[分野別攻略法:産業]

胡散(うさん)臭そうなのが気に入った。新聞広告で「新進の翻訳会社アイディが業務幹部募集」とある。

三年間、演劇業界に身を置いてきたが、戯曲翻訳と演出助手で得た収入は都合七十万円也。いくらむかしとはいえ、これでは食べられない。吹替台本・俳優の語学レッスン・声の出演が稼ぎの三本柱になっていた(新聞配達と塾に比べれば、これでも求めるものに近い仕事にはなっていたが……)。

曲がり角にいた。いくら打っても流行(はや)らない芝居、いくらいってもできない役者、いくら締めても流れる費用に、いささかうんざりしていた。ここらが潮時か。三年やってダメなら、ずっとダメだ。思い切ってまったく違う仕事に就こう、と決めた(今日の演劇の盛況ぶりを見るにつけ、性急だったと思う。翻訳も志をひたすら全うすることだ!)。


そもそも翻訳会社というものがあることすら知らなかった私は、入ってみて驚いた。なんという未熟な業界なんだろう。語学ができるわけでもない口入れ屋が山のような書類を持ち込み、品質よりも量をこなすタイプの翻訳者にバラまく。プラント輸出華やかなりし頃、とにかく「英語になって」いさえすればよかった。どうせ技術者が読むわけではない。契約の際に形として必要なだけだ……。オフィスにあるのは電話一本と翻訳者リストだけ。これで仕事が次から次へと舞い込んでいた。わずか二十年前ほど前のことである。この頃を評して、私は「翻訳ブローカー時代」と呼んでいる。

このブームが去ると業界も落ちついて、じっくりよい翻訳を提供することで会社を伸ばしていこうという気運になってきた。ようやく年商十億を超す業界大手というものが出現し、翻訳を中心としたコミュニケーション業に転換していくのである。

私の仕事は、まず会社案内の作成から始まった。いかにも翻訳が近代的ビジネスであるかのように飾り立てたもの。これを上場企業二千社にDMでバラまく。色好い返事の会社があれば早速出かけ、打ち合わせ、受注する。いまから思えば牧歌的な営業だった。

習うより慣れろ――文学方面にしか興味のなかった私の心に変化が起こった。コトバという点では、技術ものも法律ものも学術ものも文芸ものもすべて同じだ。いかに言わんとすることを正しく伝えるか、呻吟するのが興味深い。


専門用語の辞書を左に、その分野の入門書を右に置き翻訳者から上がってくる訳文のチェックにいそしむ毎日。最初はチンプンカンプンでテニヲハしか直せなかったのが、だんだん勘どころがわかってくる。他人の、それもさまざまな分野の訳文を大量に直すという作業を通して自分自身の翻訳力も向上していった(語学力・表現力・専門知識の訓練が三位一体となってできるのだから当然だ)。


そうこうするうちに、二つの大きなヤマを当てた。
ひとつは、当時目新しいコンピュータ教育教材の日本語版制作。読むテキスト・聞くオーディオテープ・見るビデオテープがミックスされたマルチメディア教材、という触れ込みの自習システムだった(いまから考えればマルチメディアでもなんでもないが、当時は実に斬新な惹句だった)。自分で台本を書き、自分で演出し、自分の声を吹き込んだ。こういったことはお手のものである。なんだか、おカネをもらって芝居をしているような気がした。この仕事が、数年間にわたって毎月ウン百万円を稼ぎ出した。

もうひとつが、製鉄会社から受注したシームレスパイプの膨大な資料翻訳。比喩ではなくトラック一杯分の量があった。いずれも営業っぽい営業をかけて得た仕事ではない。固定客からの紹介のまた紹介。日常の仕事をしっかりこなしていれば、こんなこともあるということだ。


この二つの成功で、場末の小さな事務所も六本木のど真ん中七十坪にかわることになる。同時に、この私も、オーナーから実績を買われ、社長を任された。三十二歳のことである。


(拙著『翻訳家になる方法』青弓社より抜粋)

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