10月のお知らせ

土曜公開セミナー

潟Aイディ英文教室にて開催(地下鉄曙橋3分)

英文読解のポイントを執拗なまでに解説します。
実例をふんだんに盛り込んだ総集編です。
時間の足りない部分を補う自習用テキストも差し上げます。

12月:バットとオア
1月:カンマ
2月:お休み
3月:記号
4月:掛かり方
5月:日英語の誤差

(バットとオア)
It is not red, but black.
I did not go, but stayed at home.
This is not green but blue.
それぞれのbutの違いを言えますか?
butは「しかし」だけではありません。
orは「あるいは」だけではありません。
規則を知ると英文が論理的に読めるようになります。

テキストは当日お渡しします。
10時から入室できます。
早めに来て目を通すことをお勧めします。

お申し込み・お問合せはこちら

柴田耕太郎主宰『英文教室』事務局あて 件名を「公開セミナ−参加申込み」としてメ−ルでお申込みください。(メールアドレス:eibun@id-corp.co.jp)
ウエブサイト トップペ−ジ右上のお問い合わせ欄からもお申込みいただけます。
お申込みをお待ちしております。

会員限定翻訳勉強会

実力講師を招聘し主にゼミ形式による複数回の連続講義です。
テーマは次の四つ。隔週土曜日開催。

(1)翻訳理論:純粋理論、翻訳史、比較文学
実務と研究の橋渡しを目指します
(2) 翻訳文法:学校文法の一歩先、英語学の一歩手前
翻訳に役立つ文法を学びます
(3) 翻訳教育:翻訳の思考過程を応用した英語教授法
柴田方式による翻訳教育法を啓蒙・普及します
(4) 翻訳出版:現場の編集者による実践
会員が世に出る機会を作ります

11月17日16:00〜17:30
講師:井上健(東大名誉教授、比較文学)
演題:明治翻訳ことはじめ(一案)
   欧米語翻訳草創期の跡を辿ります。

研究社WEBマガジンLinguaに柴田連載開始

なかなか一人では読み切れない、伊藤和夫『英文解釈教室』に詳細な解説を加えてゆきます。

「英文和訳」(文法的に理解する)「英文解釈」(論理の筋を追う)「英文講読」(専門知識と照らし合わせる)「英文翻訳」(日本語表現にこだわる)、の順で英文読解は進むはずですが、伊藤先生が「…悪文が、翻訳だけでなく評論文などにも見られることの最大の責任は英語教師にあるのではなかろうか」(「予備校の英語」)とおっしゃるように、現在の英語教育は英文をきちんとした日本語に移すところまで至っていません。翻訳の思考過程を応用した英文読解法を、『英文解釈教室・改訂版』の解説を通して提示したいと思います。

研究社WEBマガジンLingua
http://www.kenkyusha.co.jp/uploads/lingua/prt/15/eibunkai1611.html

日本出版学会「第3回翻訳出版部会委員会」

11月24日土曜14:00〜15:30
曙橋潟Aイディ会議室にて。
演題:「映像翻訳界の現況」
演者:岡田壮平(字幕翻訳者)
外部参加可能です。編集者・研究者の参加を期待します。
希望の方は次のところまで:
日本出版学会事務局
e-mail: info@shuppan.jp
fax: 03/3313/7348

柴田耕太郎近著のお知らせ

(概要)
鳥影社刊
2800円+税
総ページ 260頁

(作品)
ドン・ジュアン、才女きどり、嫌々ながら医者にされ、人間嫌い

(推薦)
壌晴彦 俳優
言葉と身体は連動する。この訳なら足どり確かに劇世界を疾走できる。
吉岩正晴 演出家
戯曲の翻訳で大切なのは長さを原語上演に近づけことである。芝居創りの現場をよく知る柴田耕太郎訳はこの勘どころを心得ているのが素晴らしい。
井上健 東大名誉教授
満を持して世に問うた新訳、平易でいて一本筋の通った訳文で読み応え十分です。

(内容の一部)
ドン・ジュアン:
何だと。最初に丸め込まれた女のものとなって、縛られたままでいろと言うのか。最初の女に義理立てし世間と縁を切り他には関心を示さないのがいいと。結構なことだ、貞節という有難くもない評判を得ようとするとは。永遠に一人の女を愛の対象にし引きこもるとは、そして俺たちの眼を惹きつける全ての美しい女に若いうちから無関心でいるなどとは。ふざけるな、節操などは愚かな人間にこそ似つかわしい。美しい女には全て、俺たちを惹きつける権利がある。最初に出会ったというだけで、別の女たちから男の心を遠ざける特権などない。俺にしてみれば、どこであれ美しいものを見出さば、それに心を奪われずにはおれない。そして優しくも荒々しい力に引きずられ、その美にいともたやすく屈するのだ。俺には約束などまるで無意味。一人の美しい女に愛情を抱いたからとて、いささかもこの魂が他の女に垣根を張るよう強いられるものではない。俺にはどんな女の美質をも見抜く眼力がある。そうした女たち一人びとりには当然のこと敬意を表し貢物をを捧げる。つまりだ、愛すべきものとみなした全ての女に対し己が心の要求を退けることはできない。そして美しい女に乞われれば、たとえ俺が一万の心を持っていようと、それを残らず与えるだろう。生まれたての恋心は胸をときめかせずには措かないものだし、恋の喜びはことごとく変化の中にこそある。男たるもの珠玉の喜びを味わえよう、何百もの褒め言葉によって若く美しい女の心をなびかせ、日に日に自分が相手に及ぼす小さな影響を眼で確かめ、情熱的な言葉と涙・溜息を通して、なかなか降伏しない汚れなき魂の恥じらいを徐々に弛め、こちらに抗うささやかな素振りを手なずけ、操こそ大切とする頑なな心を屈服させ、それからゆっくりとこちらが望む向きに導いてやる、この喜び。だがいったん男が女の主人になった暁には、もはや願うべきこと言うべきことは何もない。恋の悦楽はそれで終い、恋は日常に埋もれ微睡んでしまう。新たな何がしかの対象が俺たちの欲望を眼覚ませにやって来ないかぎり、征服したい気にさせる魅惑の相手がやって来ないかぎり。とどのつまり、美しい女の抵抗に打ち勝つことほど心地よいものは何もない。俺はこと恋にかけては征服者の野望を持っている。いつも勝利から勝利へと飛び回り、征服者として振舞う野望を自ら制限することなどできるものではない。この望みの激しさを留めうるものなど何もない。俺には全世界を愛したいという情熱がある。だからアレキサンダー大王のごとく、もっと他の世界があればよいのにと願うほどだ。そうすればそこに行ってわが恋の征服譚を増やすことができるだろうに。








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