[月例翻訳批評 5月号]

『英文教室』[月例翻訳批評] by 柴田耕太郎


 受験英語界のドンといわれた故・伊藤和夫(元・駿台予備学校専任講師)の名著『英文解釈教室・改訂版』(研究社) 全15章を、月1章分または2章分づつ、取り上げてゆく。
 この本を対象にしたのは、優れた英語指導書だからである。だが、どんなよい本にも瑕疵はある。細かいと思われるかも知れないが、その欠点をあえて指摘することで、この偉大な参考書がいつか再改定され、完璧なものとなることを望むものである。
 記載は例文、伊藤の訳文、筆者(柴田)のコメント、の順。
 浅学非才の身、あるいは指摘自体がおかしい部分も出てくるかと思う。読者の御叱正を乞う。

第4回『英文解釈教室 第5章』

5.1.2
Rarely does a man love with his soul, as a woman does.
女性のように@全霊をこめて愛することは、男性にはめったにない。

@「全霊をこめて」:悪訳
広辞苑によれば「全霊」とは「精神力のすべて」のこと。英語では、devote oneself to
〜 とでもなろう。ちと大げさではないか。soulは、広くは「心」だが、知に対する「情」に力点があることば(例:He has no soul.彼には情がない)だから、「心をこめて」「情愛深く」といった意味が伝わる訳語を選ぶのがよいだろう。

修正訳:
「誠心誠意」

5.1.8
Only when we use our ingenuity and energies to give happiness to others regardless of reward may we achieve happiness ourselves.
@報酬のいかんを無視して他人を幸福にするため才能と精力を用いるときにのみ[用いるときはじめて]、みずからも幸福になることができる。

@「報酬のいかんを無視して」:悪訳
regardless ofは、(1)…を無視して。例:She is regardless of the doctor’s advice.(彼は医者の言うことを無視している) (2)…に構わず(省みず)。例:He went regardless of our objection.(我々の反対にもかかわらず、彼は出かけた)、のうち(2)。

修正訳:
「報酬のいかんにかかわらず」

5.2.4
At a quarter of a mile from the point at which the highway issued from between the banks was a stone post, marking the spot where three roads met and united in one.
公道が@堤防の間から出ている地点から4分の1マイル行った所に1つの石の道標があって、3本の道が出会って1つとなる地点を示していた。

@「堤防の間から」:誤差
訳文を読む限りでは破綻はないが、原文と照らすと、この訳語では複数の堤防(the banks)相互の位置関係とそこから道がどう出ているかがわからない。
前にもあったがbankは、微妙に多義。「川床」「堤防」「川岸」「川の両岸(複数形で)」「川沿いの土地」。この一文だけからはどれが適当かは判断できないが、banksと複数になっていることから、「川沿いの土地」ととるのが順当ではないか。例:They built house on the banks of the River Seven (= on land near the river).[OXFORD現代英英辞典]

修正訳:
「川沿いの土地から」

5.2.8
From a study of the production of the various presses of different countries can be determined, more or less accurately, the general requirements of the reading public.
各国のいろいろな出版社の刊行物を調べると、@その国の読者層の一般的要求がだいたい正確に推定できる。

@「その国の読者層」:誤訳
different countriesを構成する逐一の国を受けて、the reading publicを「その国の読者層」ととることはできない。その場合は、each country。ここのthe reading publicは、「読者層全体」を指す。

修正訳:
「読者層全般」

5.2.9
His health was never good at any time of his life, and coupled with this was the fact that all his life he was poor in financial circumstances.
彼は生涯、いつも健康がすぐれなかった。そして、@このことに加えるに、一生彼は経済的に窮乏していたという事実があった

@「このことに加えるに、一生彼は経済的に窮乏していたという事実があった」:誤訳
ここを普通の文に書き換えると、The fact (that all his life he was poor in financial circumstances) was coupled with this. (thisは、his health was never good at any time of his life) つまり、厳しい経済状況と身体の弱さは不可分、ということ。ほかの例:Knowledge must be coupled with tolerance.(知識は寛容と結びつくものだ→ものを知るほど人は寛容になる)
「このことに加えるに」の訳語は、coupled withが前置詞的に使われた場合の意味(「…とあいまって」。例:The rise in unemployment, 〜 with low pay increases, is proving a drag on consumer spending.失業率の増大は、賃金上昇率の鈍化とあいまって消費者支出にブレーキをかけている)からの類推だろう。他山の石とすべし。

修正訳:
「このことは生涯にわたる窮乏生活とつながっていた」

5.3.2
He was honest, clean, and clever. But one very important quality in men of good position he had never learnt, and that quality was politeness.
彼は正直で@清潔で頭がよかったが、高い地位の人には非常に重要な1つの性質がどうしても身につかなかった。そしてその性質とは礼儀正しさであった。

@「清潔で」:誤差
一読すると「キレイ好き」なのかと思ってしまう。二読して「精神的にキレイ」なのか、とわかる。読者にちょっと不親切。三つの形容詞がでこぼこなく並列する訳語を選ぶ。

修正訳:
「高潔で」

5.3.8
We change and change vitally, as the years go on. Things we thought we wanted most intensely we realize we don’t care about.
歳月がたつにつれて、我々は@根本的な変化に変化を重ねてゆく。昔はどうしてもほしいと思っていたものが、今はどうでもよくなっていることに我々は気づく。

@「根本的な変化に変化を重ねてゆく」:誤差
意味がとりにくい。vitallyは、必須、活力、根本を示す形容詞vitalの副詞形(extremely; in an essential way)だから、「本質的かつ激しい様」をいうのがわかるように訳す。また動詞の繰り返しは強調。

修正訳:
「根本からの変化をどんどん重ねてゆく」

5.3例題(2)
No doubt throughout all past time there actually occurred a series of events which constitutes history in some ultimate sense. Nevertheless, much the greater part of these events we can know nothing about, not even that they occurred; many of them we can know only imperfectly; and even the few events that we think we know for sure we can never be absolutely certain of, since we can never revive them, never observe or test them directly.
@過去の全時代を通じて、Aある究極の意味でB歴史を構成するC一連の出来事が現実に発生してきたことはたしかであるが、それにもかかわらず、これらの出来事の大部分についてはD何も、Eそれが起こったということすら知りえない。多くの出来事については我々は不完全にしか知りえないし、確実に知っていると思う少数の事件についても絶対的確信を持つことは不可能である。それらを再現したり、直接に見て調べることは決してできないからである。

@「過去の全時代」:誤差
timeは(u)不可算名詞で「時間(なるもの)」「時(の流れ)」、(c)可算名詞で「時期」「時代(複数)」。ここは(u)「時の流れ」だが、そのまま訳すとしつこくなる。

修正訳:
「過去全体」

A「ある究極の意味で」:誤差
「どんな究極的な意味」なのか興味津々になってしまう。そんな思わせぶりな意味ではない。はっきり分かる言葉にする。someは可算名詞単数形につけた場合、aの代わり(不確かなものに使う)となる。例:some boy(少年が誰か)

修正訳:
「根本的な意味合いで」

B「歴史を構成する」:誤差
構成するでは硬い。歴史がいろいろな要素から出来上がっているということ。

修正訳:
「歴史を作り上げている」

C「一連の出来事が」:誤差
ことばづらはいいが、意味がわかりにくい。「連続して起こっている」ということがはっきりわかるように訳す。

修正訳:
「出来事が一続きとなって」

D「何も」:誤差
knowは、ここでは「知っている」をさらに狭めた「精通している」の意味で使われている。だからカンマ以下のいいかえで「起こったことさえ」が生きるのだ。「何も」と強く否定しては後が続かない。(muchは副詞で、比較級を強調するもの。)

修正訳:
「ほとんど何も」

E「それが起こったということすら知りえない」:誤差
カンマが言い換えであるのを訳に出すのが親切というもの。

修正訳:
「いやそれが起こったということすらよくわからない」

5.4.1
Slowly there grew up through the centuries the belief that nations should treat one another according to certain rules of right and justice.
国家はその相互関係においてある種の@正義の法則に従うべきであるとの信条が、何世紀かの間にしだいに生まれてきた。

@「正義の法則」:誤差
rightもjusticeも似たような意味を重ねる同義語反復。一語でまとめるのは構わないが「正義」にひっかかる。あまりに抽象的だからだ。ここはJustice have done.(審判《裁き》は下された)とおなじような使い方だろう。それが分かるように訳す。

修正訳:
「公正・公平の原則」


5.4.9
In large cities today the workers enjoy more comforts than did the workers of former periods of history.
現代の大都会では、労働者は昔の時代の労働者よりも@快適な生活を送っている

@「快適な生活を送っている」:誤差
enjoyはここでは「よいものを持っていること」。comfortは、複数で可算名詞化され具体的な「慰めのもととなるもの」→「快適な生活設備」。

修正訳:
「快適な生活設備に恵まれている」

5.4.12
Edison tries thousands and thousands of ways to do a thing, and never quits, even should it take ten years, until he has either found a way or proved conclusively that it cannot be done.
エジソンは@あることをするのにA何千もの方法をためしてみて、方法を発見するか、その不可能を決定的に証明するまでは、万一10年かかっても、決してやめない。

@「あることをするのに」:誤差
このdoは「する」でなく「作る」(もっと狭めれば「発明する」)。例:do a book(本を書く) do a movie(映画を作る)

修正訳:
「ものを作るのに」

A「何千もの」:誤差
「何千もの」ならthousands ofだけでよいはず。数を重ねることで、多さを強調する。

修正訳:
「何千何万の」

5.4例題(1)
There may be said to have developed in the last few years a “revolt of the individual” against the conformity which an excessive regard for material objects has imposed on daily life. Behind this change is a sense that personal possessions now have lost their power to distinction.
物質的なものに対する過度の尊重のために、日常生活は誰の場合も同じようなものになってきているが、この種の一様性に個人が反逆する傾向がこの数年間に生じてきたと言ってよいかもしれない。このような変化の背後には、個人的な財物を持っていてもそれで他人よりすぐれていることにはならなくなったという考え方がある。

@「物質的なものに対する尊重のために、日常生活は誰の場合も同じようなものになってきているが」:誤差
このあたり直訳すると「物質的なものに対する過度の敬意が日常生活に押し付けた画一性(に対する『個人の反抗』)」。
意訳なら元のままでもよいが、他の箇所はだいたい直訳的になっているので、ここもそのように統一しないと、何故ここだけが意訳なのかと読み手は疑念を抱いてしまう。

修正訳:
「物質的なものに対する過度の尊重が、日常生活を画一的なものにしてきたが」
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