[月例翻訳批評 3月号]

『英文教室』[月例翻訳批評] by 柴田耕太郎

 受験英語界のドンといわれた故・伊藤和夫(元・駿台予備学校専任講師)の名著『英文解釈教室・改訂版』(研究社)全15章を、月1章分または2章分づつ、取り上げてゆく。
 この本を対象にしたのは、優れた英語指導書だからである。だが、どんなよい本にも瑕疵はある。細かいと思われるかも知れないが、その欠点をあえて指摘することで、この偉大な参考書がいつか再改定され、完璧なものとなることを望むものである。
 記載は例文、伊藤の訳文、筆者(柴田)のコメント、の順。
 浅学非才の身、あるいは指摘自体がおかしい部分も出てくるかと思う。読者の御叱正を乞う。

 訳文の検討は、次の要領で行なう。
誤訳:明らかな解釈・語法の誤り。英文和訳の試験でも×になるもの
悪訳:原文と日本文で理解の差を生じさせるもの
誤差:正しくはないが英文和訳の誤差として許されるもの
修正訳:日本語で原文の意味が正しく伝わっているかどうかを問題にするため、伊藤訳を最小限訂正したもの

15.1.4
It is frequently said, and @with considerable justice, that some persons enjoy ill-health.
健康でないことを楽しんでいる人もあるということが、しばしば、しかも@かなりの正しさをもって言われている。
@「かなりの正しさをもって」:誤差
justiceとくると、決まって「正義」とか「正しさ」とかの訳語をもってくるのが世の倣いだが、意味が狭すぎる、あるいはきつすぎることが多い。ここも「適切さ」をいっているので、「正しさ」では大げさに響くところ。

修正訳:「かなりの妥当性をもって」

15.1.12
In the mid-eighteenth century, novel-reading was still considered Arather a waste of time, if not @actually harmful.
 18世紀の中ごろには、小説を読むことは、まだ@現実に有害ではないにしても、Aどちらかと言えば時間の浪費と考えられていた。
@「現実に」:誤差
「現実に」では「現実のこととして」ととれるが、ここは「実際において」「本当のところ」の意味。

修正訳:「実際に」

A「どちらかと言えば」:誤差
「どちらかといえば」では「時間の無駄であるかないか、しいてどちらかに決めれば」の意味になるが、この単数名詞の前に置かれたratherは比較の気持ちは弱く、次の段階的名詞に掛かり「かなり」の意味になる。例:He is rather a fool.×彼はどちらかといえばバカだ。○彼はかなりバカだ。ratherは場合により訳語がいろいろ変わる単語だが、思いのほか、強いて言えば、といった気分が入っている。

修正訳:「かなり」

15.1例題(1)
Henri Rousseau worked as a minor official in the customs for about twenty years and then retired @on a tiny pension and painted to his heart’s content for another twenty-five years.
There may be modern states which would give such an artist a somewhat better pension, but only on condition that he conformed to some recognized standard or style. Rousseau was condemned to poverty, but at least he was free to realize his vision. He seems to have been a happy man.
 アンリ・ルソーは税関の下級職員として約20年働いた後、わずかな@年金をもらって退職し、あとの25年間は心ゆくまで絵を描いた。現代の国家の中にはこのような芸術家にもう少し多額の年金を与える国があるかもしれないが、しかし、それはある公認の基準や様式に合致する絵を描く場合にかぎられている。ルソーは貧しい生活を送らなければならなかったが、少なくとも自分の画想を自由に実現できたのであって、幸福な人間であったと思われる。
@「年金をもらって」:誤差
「年金をもらって退職し」では、事の順序が逆になってしまう(退職してから、年金が入るのだ。退職金をもらったわけでなかろう)。このonは、依拠を示す。

修正訳:「年金を頼りに」

15.2.3
AI had imagined, what @most pacifists contended, that wars were forced upon a reluctant population by despotic governments.
 @たいていの平和主義者が主張したことだが、戦争は専制的な政府がいやがる国民に押しつけるものだと、A私も考えていた
@「たいていの平和主義者が主張した」:悪訳
「私が考えた」ほうが「平和主義者が主張した」のより先。それがはっきりわかるように訳すべき。

修正訳:「たいていの平和主義者も主張した」

A「私も考えていた」:悪訳

修正訳:「私は考えていた」

15.2例題(2)
His talents went into his hobbies, which were book-collecting and gardening; for his career he had accepted @a routine occupation and was quite content to be a bank manager in that town. His wife became irritated at his lack of enterprise, and was a little jealous and impatient of his hobbies which enclosed him in himself as hobbies do, and, so she thought, got him nowhere.
 彼の才能は道楽のために用いられたが、それは書物の収集と庭いじりであった。生涯の職業としては、彼は@型にはまった職についていて、その町の銀行の支配人であることにすっかり満足していた。彼の妻は夫に積極性がないことにいらいらし、夫の道楽に少々嫉妬心を感じやきもきしていた。趣味があればそうなるものだが、趣味のために夫は自分の殻にとじこもっているのだし、彼女の考えでは、それは夫の役にまったく立たぬものだったからである。
@「型にはまった職」:誤差
「型にはまった」と「職」はコロケーションが悪い(「型にはまった人間」というように使う)。このroutineは「ありふれた」「変哲もない」「ごく普通の」といった意味。

修正訳:「ありきたりの仕事」

15.3.4
Science, it is important to realize, does not consist in collecting what we clearly know and @arranging it in this or that kind of pattern.
 明瞭に知られている事項を収集し、@それを思いつきの方針に従って配列することが科学ではないことを理解するのが重要である。
@「それを思いつきの方針に従って配列する」:誤訳
どうして「思いつき」の訳語が出てくるのだろう?このあたり直訳すれば「我々が明瞭に知っていることを、あれやこれやの種類の型にきちんと並べる」。つまり個々の事実を分類整理するのが科学ではない、と言っているのだ。

修正訳:「それを適当な枠組みの中に収める」

15.3.8
The child is not put into the hands of parents alone. It is brought at birth into a vast, we may say an infinite, @school.
 子供は両親だけの手中におかれるものではない。子供は誕生のときに、広大な、無限と言ってもよいような@学校に入れられるのである。
@「学校」:誤差
このschoolは、もっと抽象的な意味で使われている。

修正訳:「修練の場」

15.3 例題(1)
A shy man’s troubles are always very amusing to other people; and have afforded material for @comic writing from time immemorial. But if we look a little deeper, we shall find there a pathetic, one might almost say a tragic side to the picture.
A shy man means a lonely man---a man cut off from all companionship, all sociability.
 内気な人の悩みは、いつもほかの人には非常におもしろいので、遠い昔から@喜劇文学の材料になってきている。しかし、少し深く考えてみると、その情景には気の毒な、悲劇的とも言えるような側面がある。内気な人とは、さびしい人、あらゆる交友、あらゆる社交から切り離された人を意味するのである。
@「喜劇文学」:誤差
「喜劇文学」とはあまりいわない。writingは、著述、著作のこと。

修正訳:「喜劇作品」

15.3例題(2)
I never travel without books either in peace or in war. Yet many days or months will go by without my using them. Very soon, @I say to myself, or tomorrow or when I feel like it. Meanwhile time runs by and is gone, and I am none the worse.
AFor you cannot imagine how much ease and comfort I draw from the thought that they are beside me, to give me pleasure when I choose.
 私は平時でも戦時でも、旅行するときは必ず書物を持ってゆくことにしている。しかし、何日、何ヶ月たっても、それらの本を読まないことがある。もうすぐ、いや明日にでも、いやその気になったら読もうと、@私は心に考える。その間にも時は流れ過ぎ去ってゆくが、だからといって、私は別にどうということもない。Aというのは、書物が私のそばにあって、私がその気になれば喜びを与えてくれると考えることから、どんなに多くのやすらぎと慰めを得ているか、Aとても想像できないほどだからである
@「私は心に考える」:悪訳
変な日本語だ。

修正訳:「私は心の中で言ってみる」

A「というのは」「とても想像できないほどだからである」:悪訳
forとくると「というのは」とする向きは、英語教師、翻訳者にも多く見られる。だがforは、それほど前後の因果関係が強くないことが多い。なんとなく、前後の文を結ぶしるしと考え、文章の流れを生かすような訳語にするのがよい。because、since、asなど主文に対しその理由を述べる従属節を導く接続詞と違い、forは前後の節を同じ格で結ぶ等位接続詞。文語的、個別的、付加的でもある。こうしたところから、因果を強く訳すとおかしい場合がでてくるのだろう。

修正訳:「なにしろ…、人にはわからないだろうが、それだけでもう満足なのだ」

*「英文解釈教室批評」は今回にて終了。
次回からは、「翻訳に役立つ文法知識」を連載します。
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