2021年4月号 柴田耕太郎

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 第2場
スガナレル:
こんなことにこだわるなんて、お前バカか。仲のいい同士に時々必要な気付け薬じゃないか。棒の5、6発は、睦まじくしている者同士の愛情を深くするかすがいさ。さあ、俺は森に行ってくら。今日は薪束を100も作るって約束するぜ。
  第3場
マルチーヌ:一人で
いくら言いくるめたつもりでも、アタシは恨みを忘れやしないからね。アンタが恵んでくれた棒叩きのお返しを何とかして見つけてやる。女ってものは、亭主に復讐する手段には事欠かないものさ。でもそんな当たり前の奴じゃ手ぬるい、あのバカ野郎には、もっと骨身にしみる罰を与えてやらなきゃ。アタシの恨みは、そんなもんで満足できやしない。
  『嫌々ながら医者にされ』第1幕第2場第3

飲んだくれの木こりのスガナレルは、働きが足りないとなじる女房のマルチーヌをうち叩く。隣人のロベール氏が仲裁に入るが、マルチーヌは「アタシゃ亭主にぶん殴られたいのさ」と言い、スガナレルといっしょになってロベール氏をど突いて追い出す。スガナレルは女房に仲直りの握手を求めるが、マルチーヌはなかなか肯ぜない。それから上の台詞に続く。そして医者を探し求める豪商ジェロントの下男に出会い、棒で叩かれるのが好きな名医がいると亭主を紹介し、豪商の娘を診察させる。娘の仮病を悟ったスガナレルは、その恋人のレアンドルを助手にして、まんまとふたりを駆け落ちさせる。事が露見し、吊るし首にしてやると息まくジェロントの前に立派な財産家となったレアンドルが現れ、許しを乞う。スガナレルも罪を許され、女房に次の台詞を吐いて幕となる「よしと。お前が俺をこんなに偉い地位にまで高めてくれたのに免じて、棒打ちを食らったことは忘れてやる。だが以後、お前は偉い地位にいるこの俺を大いに尊敬せねばならんぞ。そしていったん医者を怒らせたら、何が起こるか分からんものと肝に銘じておくことだ」。

何度読んでも、スガナレルとマルチーヌの心理が分からなかった。
「アタシゃ亭主にぶん殴られたいのさ」と言いながら、「アタシの恨みは、そんなもんで満足できない」とは矛盾していないか。まんまと医者に化けさせ、棒打ちを食らわせ溜飲を下げたのはいいが、心配になって後を追って来、吊るし首にされると分かると、「多くの人たちの目に晒されて、アンタはおめおめと死んで行かにゃならんのかい」と嘆く。
亭主を憎んでいるのか愛しく思っているのか、サドなのかマゾなのか、どうも分かりにくい。性格の首尾一貫性を重んじるリアリズム演劇ではありえないことだ。
だがよく考えると、「人間はみな、相矛盾する性格をバラバラに束ねた集合である。論理学の本には、黄色は管状で感謝は空気より重いなどというのは理屈に合わないと書いてある。だが、人間というあの矛盾の混合物にあっては、黄色が一頭立ての馬車であり感謝が来週の真ん中であっても一向に構わない。自分は他人を見る目があるなどという人がいると、わたしはつい肩をすくめてしまうのだ」(サマセット・モーム)が真実に近いだろう。DV(家庭内バイオレンス)がニュースになるたび、何でもっと早く…と思ったりするが、報道などによると、DVの被害者である女性が加害者である男性への愛情(というか執着)を断ち切れないが故に、何ら改善が見られないままずるずると関係が続き、最後に大きな悲劇につながるケースも少なくないという。この愛憎半ばの微妙な感情を映している点では、モリエールは現代人の先駆と言えるかもしれない。

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