2021年3月号 柴田耕太郎

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モロン:(道化)
はい、王様、これは冗談ではありません。私はそのことでとんだご不興を被りました。慌てて逃げだした次第です。王様だって、姫様のあれほどのお怒りをご覧になったことはありませんでしょう。
王:(エリード公国の君主)
殿下、私は嬉しい。モロンの言う通り、娘が自分の愛情をひた隠しにしていたのが確かだとするなら。
ユリヤール:(イタク公国の若殿)
陛下、この者の言が何であろうと、私にはまだ甘い期待に弾むわけにはゆきません。それでも、もし陛下と御縁続きになる名誉を望むのが、私にとって無謀でないとするなら、またもしわが人格とわが国家が…。
王:
殿下、そうした社交儀礼に則り鯱張るのはおよしなさい。私は貴方という人物の中に、父として満足できる全てを見て取ります。もし貴方がわが娘の心を虜にするなら、私にとって何の不足もありません。
(『エリード姫』第5幕第1場)

ギリシア小国の姫君は美貌で鳴るが男を寄せ付けない。周辺諸国の王子たちがあの手この手で迫り、ついにイタク国王子のユリヤールが栄光を勝ち得るというお話。

舞台は古代ギリシアのエリード(公)国。訳していてハタと困った。エリード姫の父親は原文ではPrince。これには(1)王統の血筋の濃い者 (2)小国の君主 (3)中世の独立的諸侯 (4)外国の高位の貴族、と意味が4つあり、ここで(2)。

 モナコのレーニエ(大)公に見初められ、妃となったハリウッド女優グレース・ケリーという人がいた。当時日本のマスコミは「モナコ王妃」と呼んだが、王国kingdom (仏語royaume)でなく公国principality(principalite)なのだからと、今では「モナコ公妃」とするのが普通。Prince(公爵)の治める領地principalityも、Duc(公爵)の治める領地duchy(duche)も公国。だが、Princeが独立的であるのに比し、Ducは 王の臣下の最上位であることから、前者が上であるとの意識が場合により働く。それで「モナコ公国」でなく「モナコ大公国」と言ったりするのだ。逆に「リヒテンシュタイン公国」を「侯国」とすることがある。英語ではPrincipality of Liechtensteinだが、原語のドイツ語ではリヒテンシュタインの元首はFurst(語源「第一」から、元は首領、転じて公・侯の意味で、英語に直訳するとfirst)だが、Herzog(元は軍司令官、転じて公、英訳duke)より下位であるため。ドイツで貴族の位はHerzog、Furst、Graf(元は地方長官、転じて伯)の順。Furstをfirstと英訳したため、一見位が入れ替わっている。

本編では「エリード国」を「エリード公国」、「エリード王」を「エリード公」、「イタク王子」を「イタク公国公子ユリヤール」などとするのが正しいのだが、分かりやすさを優先させた。なお題名を『エリード姫』としたが、作品中に姫の名前は出てこない。正確には『エリード公国の姫君』。
エリード君主はユリヤール若殿をprinceと呼び、ユリヤールもエリード君主をprinceと呼んでいる。日本語にすれば「殿下」だろうが、そのまま訳したのでは、どちらが偉いか分からず、読者がついてきにくい。それでエリード君主を「陛下」、ユリヤール若殿を「殿下」と訳した。

韓国の時代劇を見ていたら、臣下が国王を「王様」と呼んでいる。普通はそんな言い方はしないはずだが…。そうか、中国皇帝が唯一絶対的支配者であって、周辺諸国はその属邦ないし属国という古来の考えからすれば、「陛下」は皇帝のみ、臣下たる朝貢国の国王は「陛下」を名乗れず朝鮮であれば「国王殿下」なのだ。だが王に「殿下」は不釣り合い、苦肉の策で吹き替えでは「王様」との呼びかけにしたのだろう。こう考えると、韓国が日本の天皇を「日王」と呼び、皇帝とほぼ同じ位に感じられる「天皇」と言いたがらない理由がわかる。
そういえばemperorだとて本来のローマ皇帝の称号からすれば、「大将軍」と言った格落ちの感じになる。カエサルから始まりやたらに長い呼称が続くのが本来のローマ帝国皇帝だ。シャルルマーニュがサラセン人撃退のなどの功でローマ法王に加冠され、東ローマ皇帝に一代限りという条件付きで皇位を認められたのも、これで腑におちる。

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