2021年2月号 柴田耕太郎

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アルバート:
若君を咎めるですと、胸の疼きが
貴方の恋心となって震えているのが私には見えるのに!
老いの悲しみのゆえこの魂が邪になりはしません
恋の炎という甘い情熱の現れに対して。
私の天命は日没に近づいていますが
申し上げたいのは愛は貴方のような方にこそお似合いだ、
また美しい女性からの投げ槍に対して貢物を返すのは
その方の魂が美しいという確かな証拠である、
また恋を知らないままで
若い王子が偉大で寛大になり得はしない、ということです。
(『エリード姫』第一幕第一場)

イタク国の王子ユリヤールはエリード姫に恋している。お目付け役のアルバートが王子の情熱を是とし、咎めるどころか、雅な言葉でもってその恋を褒める箇所。
 以前訳者が男か女かで、訳文の調子が微妙に変わると指摘した(モリエールのことば9:ドン・ジュアンの台詞)。また訳文に訳者の年齢が反映する例も指摘した(モリエールのことば28:女学者の夫の台詞)。ここもそう。

原文と直訳を挙げる。
(原文)
Moi, vous blamer, seineur, des tendres movements,
Ou je vois qu’aujourd’hui penchent vos sentiments!
Le chagrin des vieux jours ne peut aigrir mon ame
Contre les doux transports de l’amoureuse flame;
Et bien que mon sort touche a ses derniers soleils,
Je dirai que l’amour sied bien a vos pareils,
Que ce tribut qu’on rend aux traits d’un beau visage
De la beaute d’une ame est un clair temoignage,
Et qu’il est malaise que sans etre amoureux
Un jeune prince soit et grand et genereux.
(直訳)
若君、優しい心の動きに関して私が貴方を咎めるですと、
今日貴方の感情がその動きほうに傾いているのを見ているのに!
老いた日々の悲しみがわが魂をいらだたせはしません
愛の炎の甘い熱情に対して;
そしてわが運命はその最後の陽に触れてはいますが
私は申し上げます、愛は貴方のような方に相応しい、
また、美しい方が放つ投げ槍にご当人が返す貢物は
魂の美しさのはっきりした印であって、
愛することなくしては難しい
若い王子が偉大で寛大になることは、と。

秋山伸子の訳は次のごとし。
恋するお気持ちを私が非難するとお思いですか?老いぼれの我が身が悲しくて、恋の炎が生み出す甘い心の動きを咎めるつもりはありません。私は老い先短い身ですが、「恋はユリヤールさまのようなお方にはお似合いです」と申し上げるでしょう。美しいお方に敬意を表されるということは、王子様のお心ざしが美しい証拠ですし、恋を知らない若い王子さまが、偉大で寛大になるのは難しいことです。

柴田訳「老いの悲しみのゆえ」と秋山訳「老いぼれの我が身が悲しくて」、また柴田訳
私の天命は日没に近づいていますが」と、秋山訳「私は老い先短い身ですが」はえらく印象が違う。
私は古希を過ぎていて、この台詞「(直訳)わが運命はその最後の陽に触れてはいますが」が実感できる。人生の最終時期を、あからさまに言いたくないのが老人だ。一方、秋山がこれを訳したのは30代前半と思われる(大したものだ)。老いは絵空事と感じていただろう。かくして、柴田の象徴的な訳文と、秋山の具体的な訳文に分かれたものと思われる。
もう一つ、この作品、第二幕第一場の途中までは韻文、それ以降は散文で書かれている。翻訳の文体を途中で変えたのでは、読者・観客が理解しづらい。全幕、柴田は韻文調、秋山は散文調で通したから、違いが出ているともいえよう。
私としては、ト書きにある「アルバートは雅な言葉でもって」に沿いたかったこともある、と付け加えておこう。

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