2020年11月号 柴田耕太郎

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アルガン:
だがご存じか、そのお陰でワシの健康が維持されているのを。ピュルゴン先生が申されるには、用心しなくなったらたった三日でお陀仏だと。
ベラルド:
そんな用心はせずとも、先生はいつも貴方をあの世に送って下さるよう細心の注意を払って下さってますよ。
アルガン:
では聞くが、お前は医学というものを信じないのか。
ベラルド:
信じません。私には医学を信ずるに足る十分な証拠が見当たりません。
アルガン:
何だと。全世界が認め、全ての時代が守っている事を正しいと思わぬのか。
ベラルド:
正しいと思うどころか、私はそれが、敢えて言えば、人びとのあいだに存在する最も大きな無分別の一つだと考えます。そして冷静に見れば、これほど面白い茶番劇は思い浮かびません。私には他人の病を治そうとする人ほど滑稽に見えるものはありません。
アルガン:
なぜお前は、人間は他人を治せないなどと思うのかね。
ベラルド:
いいですか。体という機関は古え以来、人間にさっぱり分からない不可思議なもの。何か知ろうとしても、自然が我々の目の前に厚い紗幕をかけています。
アルガン:
お前の考えでは、医者は何も知らないと言うのか。
ベラルド:
いいえ。彼らは大変結構な古典の知識を身につけています。みごとなラテン語で話す術を、全ての病にギリシア語で名をつけ、定義し、分類する術を。でも病を治すことに関しては、いささかの力もないのです。
アルガン:
そうは言うが、確かなことだってある。病気に関しては、医者たちはほかの人間よりものをよく分かっている。
ベラルド:
兄さん、今言ったでしょ。医者たちに大した治療はできないって。彼らのご立派な技術は仰々しい訳のわからぬ話と見せかけの戯言から出来ていて、理屈のためにことばを弄し、効果の代わりに気休めを与えるだけなのです。
アルガン:
だがお前のような賢くて学識ある人間でも、病気になったら医者に助けを求めるではないか。
ベラルド:
それは人間の弱さを示すしるしで、医者の技術が巧みだという事実を示すわけではありません。
アルガン:
医者の方は自分たちの技術が正しいと信じているぞ。何しろそれを自分自身にも用いているのだからな。
ベラルド:
医者にも二通りあります。…
(『気で病む男』第3幕第3場)

以前も取り上げたが、モリエールの医者嫌いは相当なもので、皮肉・揶揄・侮辱そして罵倒に近い台詞があちこちにみられる。
だがここでは一方的に医者を非難するのでなく、対話の形で、医者と医術の功罪を問うている。世間の人々を病気ノイローゼのアルガンに、モリエール自身をアルガンの弟で冷静なベラルドに仮託し、議論の応酬が長々と続いてゆく。
このあと、自分が病気に罹ったらどうするのだと問われ、ベラルドは「じっと休んでいればよいのです。自然の回復力で、身体が陥った不調からゆっくりと抜け出せます。心配こそ、苛立ちこそが、全てをぶち壊す。ほとんどの人はもらった薬で死ぬのであって、自分の病で死ぬのではありません」と答える。これこそモリエール自身の結論でもあったろう。
現に、モリエールは喘息の持病があったが医者にはかからず、この作品の上演中に病状が悪化し倒れてしまった。舞台で死ぬのが役者冥利とはいえ、主義を貫き通した壮絶な人生だと思う。

 


アルセスト:
そうさ。
フィラント:
何だって。オバサンのエミリイに言おうというのか
アンタの年ではおめかしは似合わない、
アンタが塗ってる白粉は皆の眉を顰めさせるって。
アルセスト:
疑問の余地なく。
フィラント:
ドラリスに向かって、実に煩わしい、
宮廷ではうんざりさせるだけだ
自分の武勇と血筋の自慢をするのは、って。
アルセスト:
たいへん結構。
フィラント:
ふざけてる。
アルセスト:
ちっともふざけてない、
そしてこの点で誰も容赦するつもりはない。
僕の目は大いに傷ついている、宮廷も町中も
僕を不機嫌にさせるものしか見せはしない。
気分が悲しみと憂鬱でいっぱいになる、
宮廷でも町でも人々がしたいようにして生きているのを眼にすると。
至るところで見つけるものはただ卑怯なへつらい、
不正、打算、裏切り、ペテン。
もうそれに耐えられない、怒りを感じる、それで僕がするのは
人間全体に真正面から反対することだ。
フィラント:
そう決めつけるのはちょっと急ぎ過ぎだ、
君に鬱の気がでるにつけ思わず笑ってしまう、
僕らは同じ教育を受けた二人ながら、
「亭主学校」に出てくる兄弟よろしく、
ずいぶんと…
アルセスト:
いや。嬉しくない喩えはよしにしてもらおう。
フィラント:
だったら、そうして何もかも腐すのは止めたまえ。
君の行動で世間が変わるものではない。
そして真摯さこそが君の大事なこだわりである以上、
僕は包み隠さずに言おう、君の病は、
行く至るところで、茶番を生んでいる、
時代の風潮に対し怒りまくる君は
多くの人にはこっけいな人物に映っている。
アルセスト:
それは結構。結構だ、それこそ僕が望むところ、
僕にとって目出度いかぎりだ、喜びはその分増す。
全ての人間が僕には忌まわしくてたまらない、
だから誉められたりしたら却って腹が立つ。
フィラント:
君は人間というものの在りようを呪いたいのか!
アルセスト:
ああ、僕は人間の性質に対しぞっとするような憎しみを抱いている。
フィラント:
可哀そうに人間は、どんな例外もなしに、
君の嫌悪の対象となるというわけか。
それにしてもだ、僕らが生きているこの世界にだって…
アルセスト:
いいや。嫌悪は全員にだ、僕は全ての人間を忌み嫌う。
ある連中は、ずるがしこいがゆえ、
またある連中は、他人にすり寄ることだけ覚え、
世間に対し僕のようなこうした強い反感を持たない
ひどい行いを見て有徳の人間なら感ずるのが本当なのに。

(『人間嫌い』第1幕第1場)

すね者、変り者と見られているアルセストと、常識主義者フィラントの対話。
アルセストの純粋さを理解し、世の中と少しは折り合うよう忠告するフィラント。聞き入れず、自分の論理をまくしたてるアルセスト。そこで逐一の例を挙げ、なだめるフィラント。よくある原則主義者と折衷主義者の議論の場面だ。
当然折り合うことはないが、モリエールはどちらが良い悪いの結論は出さず、判断は舞台を見る観客あるいは脚本を読む読者に委ねられる。
古くは儒教、道教、仏教の優劣を述べた空海の「三教指帰」でも、この手法がとられている。肩ぐるしいテーマながら芝居仕立てのために、力を入れず素直に考えられるからだろう。

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