2020年10月号 柴田耕太郎

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マドロン:
お父さま。結婚はいろいろな出来事を乗り越えてはじめて到達されるべきです。従妹も同じ意見ですわ。恋する男性は相手の女性に気に入られるために、慈しみに満ちた言葉をにじみ出るように語る術を、甘く・優しく・情熱的な気持ちをあらわす術を、心得ていなければなりませんし、その愛を求める筋道は一定の形式に則っていなければなりません。まず、彼は散歩道か教会か何か公の儀式の場で、運命の女性とゆくりなくも出会うのです。でなければ、不思議の糸に操られ、女性の家に親戚の人とか友人とかに連れられてやって来て、夢うつつで物悲しく帰ってゆくのです。彼はしばらく愛する女性に対しその情熱をあからさまにしませんが、それでも何度も訪問を重ね、そこでは必ず恋を話題にのせ、居合わせた人たちの気分を盛り上げます。やがて告白の日がやって来ます。それはどこかの庭園の細道でなされなければなりません、周りの人たちがちょっと離れた隙をねらって。そしてこの告白は激しい抵抗に遭います。私たち女は頬を染め、しばしその恋する男を遠ざけることになります。ですが彼は少しずつ巧みに私たちの気持ちを和らげ、恥じらいを弛め、するのもつらい告白を私たちから引き出すことに成功するのです。その後、さまざまな出来事がやってきます。互いに認め合った愛情の邪魔をしようとする恋敵、父親の迫害、行き違いから生じる嫉妬、不平、絶望、駆け落ち、それにまつわる一切。これこそがうるわしい恋の道程で起こるものであり、望ましくも正しい恋の進め方なのです。それが夫婦の契りが真っ先にきて、「求愛」即「結婚契約」なんて、結末から物語を始めるようなものですわ。それにお父さま、このやり口ほど俗っぽいものはありません。無理強いされると思っただけで、胸が塞がります。
『才女気取り』第4

結婚は家と家の結びつき第一と考え、冴えない男を引き合わせる父親。それに対しロマンチックな出会いこそ大切と、娘のマドロンが抗弁するのが上の台詞。
親同士の打算は流行らなくなったが、男が全体的に魅力を失い、女がカッコいい男を求めるのはむしろ今のほうが盛んかもしれない。大臣が結婚と出生率を高めようと女性を督励しても、男に魅力がなければどこ吹く風だ。男の魅力を高めることから少子化問題は考えねばならぬのかもしれない。
それはさておき。
一応マドロンが語り掛けるのは父親だが、実は立派な持論の展開であり、浅利慶太率いる往年の劇団四季であれば、客席に正面切った独白として演出する台詞だろう。

モリエール自身の人生観・宗教観を人の口を借りて、雄弁に述べる独白もある。
ドン・ジュアン:
今やそのことは恥でも何でもない。偽善は流行りの悪徳だ。流行っているものは何であれ美徳としてまかり通る。徳のある人間の役を演ずるのは一番の儲けもの。本心を隠して神を賛美するわけだ。この技術を磨いておればこそ、偽善者はいつでも尊敬される。万一そのペテンが見破られようとも、世間はとやかく言わない。他の悪徳であれば必ず批判にさらされ、攻撃の的となる。だが偽善はいわば特別扱いの悪徳。バレたらその手でもって全ての人の口を塞ぎ、目をつぶらせ、文句の出る隙を与えない。この特権を旗印に集まる連中は、一味をなして社会に巣くう。奴らの一人にでも喧嘩を売ったら、同じ偽善者全員を相手にすることになってしまう。こうした奴らに丸め込まれるのは、決まって真面目で信心深いお方たちだ。奴らの悪賢い演技を見て、志を同じくする仲間だと思いこみ、熱心に応援するのだからな。まあ、いかさま連中ときたら大したものだ。そいつらは巧みな芝居で若い頃の放蕩を隠し、信仰を盾に勝手し放題、善人の衣を纏っている。本来なら世に容れられぬはずのそうした人間が、咎めを受けずにのうのうとしている。お前も知っての通りだ。いくら奴らの腹の中を見抜き、そういう奴なのだと納得したところで無駄だ。奴らは世間に信用されている。そして頭を垂れ、溜息を吐き、目を瞬くことで、奴らは世間をうまく誤魔化す。この都合の良い偽善の隠れ家にいてこそ、俺は安心でき、色恋も恙ない状態になるというものだ。俺は楽しい習慣をいささかも捨てはしない。だが目立たぬようにし、こっそりと楽しむのがよいだろう。やっていることがたまたまバレても、下手に動き回らない。御同業の仲間が味方になって、俺の利益を守ってくれるよ。やりたいことをやって罰せられずに済むにはこれしかない。そうだ、これからは他人の行動のあら捜しをどんどんしてやるさ。世の中で正しいのは俺だけ、そう思い込む。誰かが俺を不愉快にさせることでもあれば、決して許さない。ねちねちと憎しみを持ち続ける。天に代わって不義を撃つのが俺だ。この勝手な口実のもとに、仇敵とみなす奴らを執拗に攻撃する。そいつらを不信心のかどで非難し、奴らのところへ宗教心に凝り固まった者たちをけしかけてやる。俺に言われるがまま、そいつらは雄叫びを上げ敵に迫り、悪口雑言のかぎりを尽くし、完膚なきまで奴らを打ちのめしてくれよう。人間の弱いところはこのようにして突かねばならない。その時代の悪徳に順応できてはじめて、賢明な人間といえるのだ。  
『ドン・ジュアン』第5幕 第2

素行を改めるふりを父親に見せたあと、側仕えのスガナレルに「貴方様さまはこれっぽっちも信仰をお持ちにならない。そのくせ有徳の士を気取ろうというわけですか」と咎められ、ドン・ジュアンが返す台詞。
当時の聖職者に見られる偽善を作中人物の口を借りてモリエールが非難している。堂々たる主張だ。ちょっと文体を変えれば、高級なエッセイにもなりそう。
これだけの長さを、観客を飽きさせず、緊張感と説得性を保って、とちらずに朗々と吟ずることが出来る役者はそう多くはあるまい。細切れにされた台詞なら隠れるボロが出てしまうだろう。コメディ・フランセーズの入団試験で実施されているように、こうした独白台詞を日本でも俳優の技術の審査に使ってほしいものだ。

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