2020年5月号 柴田耕太郎

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アンリエット:
試練にさらされるとき麗しい愛の心はいつもそのように語りかけます。
でも先行きを思い定めるのはやめましょう。
私たちの愛の絆がいかに強くとも
つらい人生が運ぶ過酷さは心をすり減らします。
睦まじい夫婦といえどもお互いを責め合うようになってくるものです
日常のそうした戦いに付きまとうやり場のない苛立ちによって。
『女学者』5幕最終場

恋人クリタンドルとの結婚を両親に認められた娘アンリエット。喜んで然るべきなのに、それを辞退する上記のセリフ。相手をおもえばこそ(「私は彼が好きでたまらないから彼のために彼の手から逃れるのです」との台詞があとに出てくる)、身を引こうとするのだ。
これは日本人が大好きな「おのれを殺す」自虐趣味に似ている。例えば新派大悲劇『女系図』でのお蔦と力の恋物語―「別れろ切れろは芸者のうちに云う台詞よ。いまの私にはなぜ死ね、死ねとおっしゃって下さらないの」。
昭和を代表する評論家で劇作家である福田恒存の随筆に、アメリカ旅行中見かけた別れの一シーンがある―田舎の駅に老母を見送りに来た娘。汽車の出る前まで、さんざん熱い抱擁を交わし、涙し、嘆きの言葉を投げ合っていた。それが汽車が遠ざかって、いや発車してしまうとすぐ、娘は急にしらっとして振り返りもせず、すたすた駅を後にした。
福田はこれが日本と西洋の感情表現(乾いた感性と湿った感性)の違いだと説き、読んだ当時はなるほどと納得した。
だがいつだかこれを酒席で隣りになった英国人に話すと、それは特異な例だろうと不愉快そうにした。彼はメンタルが日本人に似ているともいわれるケルト系だった。確かに西洋人を十把一からげにはできまい。「日本人の繊細な感覚とか心映え」などと自分で言うのは自己陶酔の一種かもしれない。人情は万国共通で、現れ方が少しずつ国や民族によって異なると考えたほうがよいだろう。
それにしても若い娘が、このアンリエットのように理路整然と自分の想いを語ることが日本にあるだろうか。心根は理解できても、随分理屈ぽい女だと、嫌われてしまうかもしれない。
「貴方の気持ちは痛いほどわかる。でもこのまま二人でいても幸せになれないわ。私は足手まといになる。貴方の思いやりにすがるばかりで、私は結局は貴方を苦しめることになってしまうもの」ぐらいが恋愛テレビドラマでの「彼女」の台詞だろう。

 ちなみに冒頭のセリフの前は次のようになっている。
………
クリタンドル:
お母上さま、私は哲学にはうといのですが、でも
私は、お家の運命と歩みを一にしたく存じます。
如何様にもお使いください
不肖クリタンドルの財産たるこの身一つ、命も時も。
フィラマント:
素晴らしいその心意気、
貴方の恋の望みをかなえて差し上げたいわ。
そう、私はアンリエットのひたむきな恋心を認めて…
アンリエット:
いいえ、お母さま。私は今考えを変えました。
ご意向に逆らうのをお許しください。
クリタンドル:
何ですって。貴女は私を幸せにしたくないのですか?
それも皆さんがこの恋を認めてくださるのを目にしたこの時になって…。
アンリエット:
貴方にはわずかな財産しかないのを知っています、クリタンドル、
それで私はずっと貴方の奥さまになりたいと願ってきました、
この切なる甘い思いが実現すれば、
結婚することで貴方のお仕事へいくばくかのご援助ができるものと考えて。
でもわが家に逆風が渦巻く今となっては、
この土壇場で二人が寄り添うのは
貴方にかえって負担をかけることになります。
クリタンドル:
貴女と一緒なら、すべての運命は僕には快く思えるはずです。

貴女がいなければ、どんな運命でも僕には我慢できないものとなるでしょう。
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