2019年4月号 柴田耕太郎

スガナレル:
……いいですか旦那さま、諺に言うではありませんか「危ない橋はいつかは渡れぬ」。そして誰だかの言葉にもあるでしょ「この世での人の立場は枝に載る小鳥さながら危くて」って。――その鳥載る枝は木が支え/ 木は道しるべたるよき教え/ よき教えには麗句あり/ 麗句飛び交う社交界/ 社交界には貴族さま/ 貴族大好き流行歌/ 流行生むのは夢ごころ/ 夢ごころの元御魂から/ 御魂あっての命なり/ 命なくすは死ねばこそ/ 死んだら行きたい天の国/ 天のおわすは大地のうえ/ 大地は海ではありませぬ/ 海には嵐がつきもので/ 嵐は船を悩ませる/ 船には必要船頭さん/ よき船頭は慎重で/ 慎重欠けるは若い衆/ 若い衆は苦手お年寄り/ 年寄り大好き金銀貨/ 金銀持つはお大尽/ 大尽のさかさま貧乏人/ 貧乏人には物が要る/ 物は規則じゃ買えませぬ/ 規則持たぬは人でなし/ 人でなしなら地獄落ち……それで貴方さまは結局、破滅なさいます。
『ドン・ジュアン』 第五幕第二場

 

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 誰だかとは、モリエール(1622-1673)と親交のあったシラノ・ド・ベルジュラック(1619-1655)、言葉とは次の詩と思われる。

夜の小鳥
鶯は高き枝より流れに映る己れが姿を眺め水に落ちしと思ひて槲の木の
頂きにありながら常に溺れん事のみ恐れき。(シラノ・ド・ベルジュラック)

霧たち籠むる河水に樹木の影は
烟の如くに消ゆ。
その時影ならぬ枝の間より何處とも知らず
夜の小鳥は泣く。
ああ旅人よ。いかに此の青ざめし景色は、
青ざめし君が面を眺むらん。
いかに悲しく、溺れたる君が望みは
高き梢に嘆くらん。
(永井荷風『珊瑚集』より)

シラノ・ド・ベルジュラックは、フランスの詩人、劇作家、小説家。モリエールと親交があり、自由思想の点で共鳴していた。モリエールの『スカパンの悪だくみ』にシラノの『衒学者愚弄』からの盗用と見られる箇所がある。男気に溢れ、一流の剣士でもあり、その生涯はエドモン・ロスタン(1868-1918)の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』に、誇張して描かれている。



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