2019年3月号 柴田耕太郎

スガナレル:
しかし、ここだけの話だがお前に教えてやろう。俺のご主人のドン・ジュアンさまって奴は、古今東西この世界で類を見ない極悪人。狂犬病患者、犬畜生、悪魔、トルコ人、異端者そのものだ。
『ドン・ジュアン』第一幕1場

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 ドン・ジュアンの側仕えであるスガナレルが、ドン・ジュアンの妻ドーヌ・エルヴィーヌのお付きであるギュスマンに、主人の心変わりのワケを教える台詞。
 現代の我々には何で悪口の中に「トルコ人」が出てくるのか分かりにくいが、当時オスマン朝トルコ帝国は、西洋世界を脅かすに十分な存在であった。
 第一ウイーン攻囲(1529)では、12万のトルコ軍がウイーンを包囲した。欧州にとってはサラセン人とのツール・ポアティエの戦い(732)、蒙古軍によるハンガリー侵入(1240)に続く存亡の危機であった。
 東ローマ帝国の滅亡(1453)―白馬に乗り燃え盛る市内に消える皇帝コンスタンティヌス帝(コンスタンティノス11世)の描写(『ローマ人の物語』塩野七生)は圧巻―以来、東欧を次々にその支配下に入れたトルコ帝国はオーストリアの内紛に付けこみ、大軍をもってその首都ウイーンを攻略しようとした。この時点で、ヨーロッパに比し、トルコは圧倒的に経済力・軍事力・技術力において優っていた。8倍ものトルコ軍をかろうじて防ぎ得たのは、オーストリア軍の火事場の馬鹿力と天候の僥倖によるものである。
 だがそれから150年後の第二次ウイーン攻囲(1683)では、その三つの力が逆転しており、この戦いを契機にオスマン帝国は凋落してゆく。
 モリエール(1622―1673)の在世中はまだトルコ帝国は隆盛を誇っており、新興の西欧諸国や貿易国家ベネチアなどと小競り合いを起こしていた。この背景のもとに、上記の台詞がある。当時のトルコの栄華は、フランス国王の馬車行列を見たトルコ人外交官が「うちの国では農馬だってあれぐらいの宝石は付けている」と豪語したことでも偲ばれるだろう。以下思いついたものを拾ってみるが、そのほかの場面でもトルコの悪口はやたらと出てくる。

ラ・フレーシュ:
無理だよ、ここでは。ともかく金のことに関しては、あの旦那の心を動かすなんてこと出来るもんか。あの人はその点についてはトルコ人さ、誰をも落胆させるトルコ流の冷酷さをもっている。
『守銭奴』第二幕5

フロジーヌ:
ご心配には及びません。私がやりおおせないことなんてありませんよ。殊に縁結びにかけては余人を寄せ付けない才能をもっています。ほんのちょっとの時間があれば、この世でどんな相手とでも私は結び合わせる途を付けてしまいます。いざ私が結婚させようと考えたら、トルコ帝国とヴェネツィア共和国を添い遂げさせることだってできます。
『守銭奴』第二幕5

リゼット:
ほんとうに、とんだ気配りですこと。
娘を家に閉じ込めて外に出さないなんて私たちはトルコにいるのでしょうか?
あちらでは女性を奴隷状態にしておくっていいますものね。
トルコ人が神に呪われているのはそのせいだっていいますわ。
『亭主学校』第一幕2



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