2019年1月号 柴田耕太郎

エリーズ:
でも仮病は見抜かれてしまうわ、もしお医者さまを呼ばれたりしたら。
ヴァレール:
冗談を。医者にどうしてそんなことが分かるでしょう。さあ、何でも好きな病気にかかったふりをしてください、どうしてその病気に罹ったか、貴方に教える適当な理由を医者は見つけてくれますよ。
『守銭奴』第一幕5場

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強圧的な父親にいきなり嫁に出すと言われ、娘のエリーズは恋人のヴァレールに相談する。
それに答えるヴァレールのことば。

また、医者の装いをした従僕のスガナレルが、出まかせの処方をして治った病人に感謝されたら愉快なことだろう、と言うのに返すドン・ジュアンの台詞。
何故そうならないと思う。どうしてお前は医者どもが持つ特権が自分では持てないと考えるのだ。医者なんてものが病人を治せないのは、お前と同じだ。奴らの技術は皆まぎれもないまやかし、運よく病人が治ればしめたもの。お前も奴らよろしく、本人の回復力と何かの偶然によるものを全て、自分の治療法のせいにすればよい。
『ドン・ジュアン』第三幕1

さらに、恋人リュサンドとの仲の取り持ちを頼み込むレアンドルに、実は自分はニセ診察医だと打ち明けるスガナレルの台詞。
何しろこいつは最高の職業だ。病人が治ろうが治るまいが、同じ分だけ金をもらえるのだからな。責任がこの身に降りかかることはない。そして、好きなだけ、患者を煮たり焼いたりできる。靴を作ってて、革を切り間違えたら、靴屋はその責任は自分で負わなければならない。だがこの世界では、人間様をぶっ壊しても、何ら責任は問われない。ひどいへまも医者の責任にはならず、死んでゆく当の人間の自己責任ということになってしまう。結局、この職業の良い所は、死んだ連中の方が大人しく黙りこくってる、世界で一番慎み深いってことだ。それで、自分を殺した医者に対し誰も愚痴をこぼすなんてことがないのさ。
『嫌々ながら医者にされ』第三幕1

フランスでは当時、パリ大学医学部が幅を利かせ、ヒポクラテスのことばを金科玉条とし、
患者を治すことよりも病名をつけること、病気の理屈に御託を並べることが優先されていた。モリエールは喘息の持病を抱えており、能書きばかりで、ちっとも治せはしない医者にいらいらを募らせていたといわれる。
ジェロント:
はい、娘はこれしかおりません。この娘が死んでしまうようなことになったら、私は絶望の極みです。
スガナレル:
娘さんはそれを控えねばなりません。医師の処方なしに死ぬことなど許されておりませんからな。
『嫌々ながら医者にされ』第二幕1

こうした医者へのあてつけは庶民感情として当然のことかもしれない。
古くは有名なことわざのLife is short, art is long.
ふつう「人生は短く、芸術は長し」とロマンティックに訳されるが、
このartを外科手術ととり「(医師の手際が悪く)手術に時間がかかると、人はすぐ死んでしまう」ととる向きもある。
名文家の文章の一節ではThere is nothing more unjust than the vulgar opinion, by which physicians are misrepresented as friends to death.
「医者は死の味方だなどと言われるが、この俗論ほど誤ったものはない」

いつの時代も、健康と長命を求めればこそ、医者への過剰な期待が、このような揶揄を生むのかも知れない。
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