2018年12月号 柴田耕太郎

ドン・ジュアン:
何だと。最初に丸め込まれた女のものとなって、縛られたままでいろと言うのか。最初の女に義理立てし世間と縁を切り他には関心を示さないのがいいと。(第一幕 第2場)

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我ながら小気味いい訳文だ。
だが本当にこんなこと言っているのか?
他訳を見てみる。

なに?おまえは最初にできた女といつまでもくっついていろ、その女のために世間と縁を切れ、ほかのだれにも目をくれぬな、と、こう言うんだな?(鈴木力衛訳)

何だと?じゃおまえは、自分の心を一番最初に虜にした相手とずっと一緒にいろって言うのか?その相手のために人生を捨てて、もう誰のことも見ちゃいけないのか?(秋山伸子訳)

随分と違う。原文はどうなっているのか。
Quoi? tu veux qu’on se lie a demeurer au premier objet qui nous prend, qu’on renounce au monde pour lui, et qu’ on n’ait plus d’yeux pour personne?
何だと?お前はこう言うのか。俺たちを手にする最初の恋人の所有のままでいろ、その最初の恋人のために世間と縁を切れ、そしてもはや誰に対しても関心を持つな、と? (直訳)

かつて『ベニスの商人』の法廷の場の一節を、英文学者の中野好夫が「えい、やってられるかこんなこんにゃく問答」と訳した。読者(おそらく謹厳な学者だろう)から、その台詞は原文のどこにありますか、と皮肉交じりの投書がきたそうだ。
ポーシャとシャイロックのだらだらした問答に、訳者の気持が覗いてしまったのだ。だが、全く原文にない台詞を中野が加えたわけでもない。戯曲の翻訳は、解釈の幅が広く、コンテクストを誤らなければ、多少の誤差は許されるのである(もちろん正確に読み解いた上でのことだが)。

ここも訳者それぞれの翻訳への処し方が表れている。
秋山訳は女性らしく上品だ、ドン・ジュアンは紳士にみえる。鈴木訳は学者らしく解釈を控え、演じ手により振幅が出るだろう。柴田訳はずいぶん荒っぽい。
「最初に丸め込まれた」は、どこからこの訳が出るのかと疑問の方もいよう。prend>prendreは英語のgetだが、「を掴む」⇒「を取り込む」⇒「(感情)を捉える」⇒「を丸め込む」と文脈の支援により、意味が狭まる。ここle premier objet nous prend (par la douceur)と、カッコ内のことばが隠れていると私には読める(最初の女が俺たちを甘言で丸め込む)。「最初の女に義理立てし」はpourを強く訳したもの。ドン・ジュアンは破滅へと直走るが、単なる女好きではない、美に焦がれ、事実しか認めない、侠気ある男として私は訳したつもりだ。

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