2018年5月号 柴田耕太郎

「さあさあ。同志として危険は分かち合おう。ガレー船での二、三年の苦役など、この逸る気高い心を留められはしないさ」
『スカパンのわるだくみ』

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頑迷な親爺連中から金を引出し、ついには結婚を認めさせるよう知恵を貸してほしい、と若い恋人たちに懇願され、スカパンは一計を案じる。それに巻き込まれそうな悪友のシルベストルが「頼むから、裁判所と揉めごとを起こすようなことはさせないでくれよ」と釘をさすのに、スカパンが返す台詞。
自分の得にはならなくとも、頼まれればあるいは人が困っているのを見ては、放っておけない。スカパンの「気高い心」は、日本語なら「男気」か。例えば映画の「寅さん」。ついひと肌脱いで割を食うが、助けられた人間は幸せになる。人生とはこんなもんよ、とうそぶくのが寅次郎だ。

この種のお節介が大好きなのは万国共通。
編集者の心得えを諭すイギリスの名エッセイにも、こんな一節がある。
Charity shown by the publication of an inferior article would be like the generosity of those highwaymen of old, who pitied the poor so much that they robbed the rich to have the means of relieving them.
(憐憫の情から出来の悪い作品を掲載するというのは、貧乏人を哀れみなんとか助けたいとの一心で金持ちに盗みをはたらいた、あの昔の追いはぎのgenerosityと変わるところがあるまい)。
generosityは「寛大さ」ではあいまい。「義侠心」と訳したいところだ。
と言っても自らそれをやる人は少ない。「君子危きに近寄らず」で、見て見ぬふりをすることが多いからこそ、男伊達に喝采し、後ろめたさを昇華するのだろう。

シルベストル:
なんで、厄介な事柄を進んで招きよせようとするんだ。
スカパン:
無鉄砲な企てをするのが好きなものでな。
シルベストル:
再三言うが、そんな計画はやめにしたほうが身のためだぜ。
スカパン:
ああ、だが、俺はやりたいことをやるんだ。
シルベストル:
そんなことして、一体何が楽しい。
スカパン:
何が心配だ。
シルベストル:
だって、必要もないのに、棒で何発も叩かれる危険を冒そうとするんだからな。
スカパン:
へっ。そうなったって俺の背中だ、お前のじゃない。
シルベストル:
そりゃアンタの肩はアンタのものだ。好きなように使えばいいさ。
スカパン:
そうした危険があったところで、すこしも俺はためらわない。どころか、俺は臆病が嫌いだ。ああだこうだと思い悩んだ挙句、結局何もやろうとしないのがな。

その心意気たるやよし!

これがさらに進むと不条理(仏:absurde、英:absurd)ということになるが、日本とフランスで現れ方が違ってくる。

『昭和残侠伝 破れ傘』(東映)では、高倉健扮する渡世人花田秀次郎が一宿一飯の恩義のため、筋の通った相手方の代貸(池辺良)と切り合いをするはめになる。「あんさんには、何の恨みもござんせんが、渡世の義理です。勝負させていただきやす」。ましてや代貸は、幸せに暮らしている昔の恋人(星由里子)の良人なのだ。答える池辺良のセリフも唸らせる「あたしもあんたみたいな人と勝負してみたかった」。心意気だけでは済まない、義理と人情の板挟み。互いに相手を認めながらも、戦わざるを得ない。そのあとこれでもかこれでもかと理不尽が二人を襲う。悪親分の傍若無人に堪忍袋の緒が切れた二人は、一致して組に殴り込みをかける、という仕儀。

 理屈っぽいフランスではこれは通じまい。

Maman est morte.「ママンが死んだ」の書き出しで知られる、アルベール・カミュ『異邦人』。翌日主人公ムルソーは浜辺で女を引っかけ、遊びほうけ、揚句人を殺めてしまう。理由を尋ねられ「太陽がまぶしかったから」と答える。此の殺人にはもはや動機なぞない。ムルソーが望むのはただ、自分の処刑の日に見物人が罵声を上げてくれることだけだ。あちらの不条理は、一気に知も情も捨象してしまうようだ。
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