2021年3月号 柴田耕太郎

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ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。
今回から旧訳が永井淳、新訳が田口俊樹による『飛行士たちの話』。いづれも早川書房刊。

あらすじ:
負け戦の続くアフリカ戦線。私はブレナム機でたびたび出撃する。今回も「簡単な任務(お茶の子さいさい)」と言って飛び立った。途中までは良かったが、目的地のエジプト西南部の町メルサの手前でエンジントラブルがあり、地面にぶつかりそうな不時着をした。顔がヌルヌルし、眼が見えない。やっと友軍が迎えに来てくれたのは覚えている。その後は夢か現か…。雲なすドイツ軍メッサーシュミット機に果敢に単独挑戦。宙返りしているうちに目が眩んで、いつの間にか野原を一人駆けていた。突進した野原の先は崖で、その下は暗黒しかない。奈落の底に落ちてゆく予感…。とその時、声がした「大丈夫よ、貴方は助かったの。ここは病院ですからね。安心しておやすみなさい」。看護婦は私の具合を確かめると、そそくさと出て行ってしまった。

原文:p222
‘Bomber boys unhappy,’ Peter said.
‘Not unhappy,’ I answered.
‘Well, they’re browned off.’
‘No. They’ve had it, that’s all. But they’ll keep going. You can see they’re trying to keep going.’
旧訳:p56 △
爆撃機の連中はふさぎこんでいる」とピーターがいった。
「そんなことはないさ」と、わたしは答えた。
「じゃあ、うんざりしてるんだ」
「違う。連中は疲れてるんだ。それだけだよ。しかし、連中は飛びつづけるだろう。飛びつづようという努力がありありと見えるじゃないか」
新訳:p62 △
「爆撃機のやつら、あまり幸せそうじゃないね」とピーターが言った。
「いや、幸せそうじゃないというのとはちがうよ」と私は言った。
「だったら、うんざりしている」
「いや、まいっちまってるんだよ。ただそれだけのことさ。でも、戦いつづけてる。見てのとおり、戦いつづけようとしてる」
意見:
unhappy、browned off、have had itの意味はそれぞれ似たようなもの。unhappyは「落ち込んだ」、browned offは「うんざりした」have had itは「疲れた」、keep goingは「頑張る」。意味は前後しても、度重なる出撃に嫌気がさしている感じを会話に出せばよいだろう。
「爆撃機の連中は暗いな」とピーターがいう。
「そんなことないさ」とわたし。
「じゃ、機嫌が悪いんだ」
「違う。うんざりしてるんだよ。それだけさ。でも飛び続ける。飛び続けようとしてるのがわかるだろ」

原文:p223
‘Piece of cake,’ I said.
‘Like hell.’
‘Really. It isn’t anything at all. It’s a piece of cake.’
旧訳:p57 ×
「わけない仕事なんだよ」と、わたしはいった。
そうとも
「ほんとだよ。どうってことはないさ。わけないよ」
新訳:p64 ×
「ちょろい任務だよ」と私は言った。
どこまでもね
「ああ、ほんとに。なんてことはない。ちょろい任務だ」
意見:
like hellはイディオムで「まさか」。
例:’I’m skiing with my boyfriend.’ ‘Like hell you are.’
「ボーイフレンドとスキーに行くわ」「絶対にいかん」

「お茶の子サイサイだ」と、わたしは言った。
とんでもない
「そうさ。全然どうってことない。簡単な任務だ」

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