2021年2月号 柴田耕太郎

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ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。
今回から旧訳が永井淳、新訳が田口俊樹による『飛行士たちの話』。いづれも早川書房刊。

『アフリカの物語』 An African Story

英軍飛行士がアフリカのキリマンジャロの見える人気のない高原に不時着し、そこで出会った老人に奇妙な話を聞く。元々この地には、老人とジャスドンという男の二人だけが住んでいた。ある日二人の飼っている牛の乳が出なくなった。老人が夜通し見張っていると、四メートルはあろうかと思われるマンバがあらわれ、牛の乳房に口を当て飲み始めたのだった。翌日老人はジャスドンに嘘をいう。現地のキクヨ族の子供が夜中に乳を盗みにきている、と。ジャスドンは牛の傍らに塹壕を掘り、見張りに付いた。真夜中マンバがやってきた。老人が「来たぞ」と叫ぶと同時にジャスドンは塹壕から飛び出し、盗人を棍棒で叩こうとするが、マンバと鉢合わせし、胸をかまれ七転八倒のあとあえなく死んでしまう。

永井淳の訳は、古い人には珍しく間違いが少ない。ちょっと素っ気ない訳文だが、サーッと読むには充分だろう。田口俊樹は、永井の間違いを正して、かつこの作品にふさわしくとても情緒的に訳している。両方とも、そう悪くはない。


原文:p210
In farther places the people heard about it a few minutes afterwards, and they too began to prepare themselves.
旧訳:p33  ×
僻地に住む人々も数分後にはこのニュースを聞いて準備を開始した。
新訳:p33  △
本国から遠く離れたところにいた者たちは何分か遅れてそれを聞き、彼らもまた準備を始めた。
コメント:
The people in the island(本土)と前にある。それと対比させて「外地」。間違いというほどのことではないが。


原文:p210
This time he had engine failure on the way, due to water in the fuel tanks.
旧訳:p34  ?
このときは燃料タンクに水が入っていたのが原因で、飛行中にエンジントラブルを起こしたのだ。
新訳:p34  ?
今度は燃料タンクに水が溜まってしまったせいで、飛行中にエンジントラブルを起こしたのだ。
コメント:
直訳は「燃料タンク内での水のせいで」。逆に「水が蒸発して冷やせなくなった」のではないか。


原文:p211
He walked over to the shack, and there he found an old man, living alone, with nothing but a small patch of sweet potatoes, some brown chickens and a black cow.
旧訳:p34  〇
丸太小屋をのぞいてみると、ひとり住まいの老人がいた。猫の額ほどの甘藷畠と、数羽の茶色の鶏と、一頭の黒牛がこの老人の全財産だった。
新訳:p35  〇
小屋まで歩いていくと、老人がひとり住んでいた。わずかばかりのヤムイモ畑と、茶色の鶏が数羽と黒い牝牛が一頭以外、何も所有することなく。
コメント:
「ヤムイモ」って何かなと思って広辞苑を引いたら、つぎのようにあった。
ヤマノイモ属植物のうち、栽培されているものの総称。熱帯アジア・アフリカで主食として重要。日本のナガイモ・ヤマノイモもこれに属する。


原文:p212
He stood quite still in the bright sunshine, screwing up his eyes, listening for the noise.
旧訳:p36  〇
彼は目を細め、耳を澄まして、まばゆい陽ざしを浴びながら身じろぎもせずに立っていた。
新訳:p37  ×
まぶしい陽射しの中にじっと立ったまま、老人は眼をすがめるようにして、物音に耳をすました。
コメント:
「すがめる」は、片方の目を細めること。ここeyesだから、まずいだろう。


原文:p213
Away in the north stood Mount Kenya itself, with snow upon its head, with a thin white plume trailing from its summit where the city winds made a storm and blow the white powder from the top of the mountain.
旧訳:p39 
北のほうには白雪をいただくケニヤ山が聳え立ち、冷たい風が嵐を呼び、白い粉を吹きおろす山頂から、羽毛のような白い縞模様をしたたらせていた。
新訳:p40 ?
頂に雪をたたえたケニヤ山が北の彼方に見えた。頂上から細長い白い煙がたなびいていた。凍てつく風が嵐となって、山のてっぺんから白い粉雪を舞い上がらせているのだ。
コメント:
the city windsが分からない。両訳とも破綻がないからこれでいいか。


原文:p217
… he added, ‘we got to catch this boy, otherwise you’ll be going short of milk, not that that would do you any harm. But we got to catch him. I can’t shoot because he’s too clever; the cow’s always in the way. You’ll have to get him.’
旧訳:p44  ×
…彼はつけくわえた。「どうでも、あの小僧をつかまえなきゃならん。さもないとお前の牛乳が足らなくなってしまう。だからってお前が困るというわけでもなかろうが、とにかく小僧をつかまえなきゃならん。やつは利口だから撃つチャンスがない。いつも牛を楯にとっているからな。ひとつお前の手でやつをつかまえてみろ」
新訳:p47  ×
…と、老人は続けた。「この小僧は捕まえなきゃならん。でないと、乳が足りなくなる。だからと言っておまえが困るわけでもないが。それでも捕まえなきゃならん。だけど、おれには小僧を撃てない。ずる賢い小僧で、決まって牛を盾にしやがるんだ。おまえが捕まえろ」
コメント
乳が足りなくなったら、困るはずだ。両訳ともthatの指すものを取り違えている。下線部はI would not say that that would do you any harm.(だからと言って、そのことでお前になにかしらの危害が及ぼされることになるといっているわけではない)の意味。
そのこと=thatは、catch this boyを指す。wouldは仮定法。次のbutは「しかし」との逆接でなく、「とにかく」といった感じ(主体がweに変わっている)の、単なることばの繋ぎ。「何もお前に危険なことをやらせようって云うんじゃない」でどうか。


原文:p221
‘You can have his share,’ he said quietly. ‘We don’t mind you having his share,’ and as he spoke he glanced back and saw again the black body of the Manba curving upward from the ground, joining with the belly of the cow.
‘Yes,’ he said again, ‘we don’t mind your having his share.’
旧訳:p52  〇
「あいつの分はお前にやるよ」と、彼は静かにいった。「ちっとも構わんから遠慮なく飲んでくれ」そういいながらちらりと振り返って、地面から弓なりに牛の腹までのびているマンバの黒い胴体をあらためて見なおした。
「そうとも」と、老人は繰りかえした。「ちっとも構わんよ」
新訳:p57  △
「あいつの分なら飲んでもいいぞ」と老人は静かに言った。「あいつの分を飲んでもおれとあいつは気にしない」そう言いながら老人は振り返り、マンバの黒い体が曲線を描いて地面から持ち上がり、牝牛の腹にくっついているのをもう一度眺めた。
「ああ、そうとも」と老人はまた言った。「あいつの分を飲んでもおれたちはちっとも気にしない」
コメント:
新訳は深読みではないか。このweは総称用法で、漠然とした「(一般に)人は」。新訳は「誰も」ぐらいが適当だろう。

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