2020年12月号 柴田耕太郎

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ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。
旧訳が田村隆一、新訳が田口俊樹による『あなたに似た人』。いずれも早川書房刊。

2020年12月号
『フィージー氏』MR FESSEY
クロードと私は一攫千金を狙って、ドッグレースに八百長を仕掛けた。
瓜二つの犬を用意し、何回か遅い方の一頭を走らせ、この犬には勝ち運はないのだと犬券屋たちに思わせた。この闇ドッグレースの主催者であるフィージー氏も騙しおおせた。そこで今回はいよいよ本命、俊足の方の一頭のお出ましだ。思惑通り、こいつはぐんぐん他の犬に差をつけ文句なしの一等になった。
そこで私は買った犬券ナンバーをもって賞金に代えようと勇んで賭け屋の屋台に向かったが、どの賭け屋もその券は一等の犬のものではないと言う。犬券にナンバーは振ってあるが、どの犬に賭けたかは賭け屋のノートにしか記されていないので、主張の証拠なく、体よくあしらわれて二人はすごすご立ち去る羽目に。

これ、実に読みにくかった。これまで見てきた同じロアルド・ダールの短編と思えないほど。こんなのに当たった訳者はご苦労様だが、田口訳はなかなかよくできている。それでも瑕疵はあり、そこだけねちねち見てゆく。八年前に同じ作品を取り上げていたので、ほぼそこから引用することとする。
*ページは田村訳、田口訳、英語原文の順。

(p445-188-635)
Then he started putting extras into it―three peeled onions, a few young carrots, a cupful of stinging-nettle tops, a teaspoon of Valentines Meat Juice, twelve drops of cold-liver oil―and everything he touched was handled very gently with the ends of his big fat fingers as though it might have been a little fragment of Venetian glass.
田村訳:× ×
それから、あまりもの―皮をむいた玉ねぎ三つ、黄色い人参を若干、いらくさの頭ヴァレンタインの肉ジュースを茶さじに一杯、それに鱈の肝油十二滴―そんなものを、まるでヴェニス製の高価なガラス製品のこまかい断片のように、太い指先で、ごく丁寧につまんでは、ポットのなかにいれていった。
田口訳:× 〇
それからほかの材料―皮を剥いたタマネギ三個、新鮮なニンジンを数本、イラクサの葉をカップ一杯、<ヴァレンタイン>の肉汁を小さじ一杯、タラの肝油を十二滴―を鍋に入れた。彼は触れるものすべてを太くて丸い指の先で、まるでヴェネチア・グラスの破片でも扱うかのようになんども繊細に扱った。
コメント:
stinging-nettle topsは「いらくさの芽」のこと。食用になる。
例:take the young tops 枝先の新芽を取る

(p447-191-636)
Claud knew Mr Feasey was famous for spotting ringers, but he knew also that it could be very difficult to tell the difference between two dogs when there wasn’t any.
田村訳:×
フィージー氏が、不正競技者の摘発にかけて有名なのは、クロウドもよく承知していたが、この瓜二つの二匹の犬を見分けるなんてことは、とうて、あの人にできっこないということも、よく知っていたのだ
田口訳:×
ミスター・フィージーが替え玉を見破ることで有名なことはフィージーも知っていた。が、同時に、寸分たがわぬ二匹の犬のちがいを見抜くというのはきわめてむずかしいことも知っていた
コメント:
「どちらか一方しかいない場合、どちらなのか見抜けない」ということ。… when there wasn’t anyは、anyのあとにof+名詞(この場合them)が省略されている。このanyは「どちらか」の意。例:both or any of them 両方かどちらかひとつ。
田村訳は苦し紛れの誤魔化し。田口訳は辞書を丁寧に引けば避けられる体のもの

(p453-197-639)
Afterwards, I went to the bank and drew out the money (all in ones), and the rest of the morning seemed to go very quickly serving customers.
田村訳:×
まもなく私は銀行へ行き、金をまとめてひき出した。それからというもの、午前中は、お客さんの応対で、またたくまにすぎてしまった。
田口訳:×
それから銀行へ行って金をふたり分まとめて引き出した。午前の残りの時間は客を相手にしていたらあっというまに過ぎた。
コメント:
「全部1ポンド紙幣で引き出した」。oneは、ドル(米)、ポンド(英)。

(p468-214-647)
This dog was led by a tall man with long teeth who wore a dark-blue, double-breasted lounge suit, shiny with wear, and when he said ‘Soldier’ he began slowly to scratch the seat of his trousers with the hand that wasn’t holding the leash.
田村訳:△
その犬は、長い歯をした、濃いブルーのダブルの服を着た、いかにも弱々しげな背の高い男に、連れられていた。
田口訳:△
その犬を連れているのは長い歯をした背の高い男で、着古して、てかてか光っている濃紺のダブルのスーツを着ていた。
コメント:
「長い歯」とすると、よほどの縦長の歯を想像してしまう。long noseが「高い鼻」であるごとく、長ければ自然大きいわけだから、日本語としては「大きな歯」としたほうがよいだろう。

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