2020年8月号 柴田耕太郎

PDFでダウンロード

ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。
旧訳が田村隆一、新訳が田口俊樹による『あなたに似た人』。いずれも早川書房刊。

『偉大なる自動文章製造機』THE GREAT AUTOMATIC GRAMMATIZATOR
ナイプは若き天才的コンピュータ技術者だが、志は別のところにある。小説家になりたいのだ。だが投稿作品がボツの連続で、突拍子もないことを考える。自動文章作成機を作り、自分自身の名、架空の作家の名で、どんどん新作を世に出そう。目論見はうまく進み、今やイギリス現代小説の半分以上はこの機械によるものとなった。さらにシェアを拡大させようとナイプは既存作家の買収にかかる。筆を折って、以後名義だけ貸してくれれば、生涯の生活を保証すると迫るナイプに、貧乏作家は屈せざるを得ないのか…。

 旧訳は全面的によくない。冒頭の部分を挙げ、よくできている新訳と比べてみる。

旧訳:(訳文p353、原文p592)
(デスクの男は、たたんだ新聞を手許にひきよせると、読みはじめた。)
さきごろ、×政府命令によって開始された、△大自動計算器の〇建造が、このほど〇完了の運びとなった。これは現在、世界でもっとも計算の速い△電子計算器といえるものである。その×構造は、××科学および工業にとって、焦眉の必要性を満足させるものであり、過去の旧式な構造によっては、実際には不可能視され、あるいは問題が解決されるにしても、まだかなりの年月は必要とされていた。数学計算の迅速性にとっては、非常な驚異と言わねばなるまい。その×構造一切の主責任者であり、×電気技術協会の主任であるジョン・ボーレン氏によれば、あたらしい×エンジンによる△スピード能力は、普通、数学者にとって一か月を要する問題に対し、わずか五秒のうちに、正確な答えを算出すること〇が実際には可能のはずとのことである。三分間のうちには、人間が計算すれば(それが可能としての話であるが)五十万枚の計算紙を必要とする計算が、なしとげられるのである。この△自動計算器は、一秒間に百万振動を起こす〇電気の振動を応用、すべての〇計算を加減乗除にかえて解答する仕組みとなっている。△実際的な応用面は、無制限であり、なににたいしても…
凡例:
〇 できれば直したい
△ 変えたい
× このままではまずい

新訳:(訳文p87、原文p592)
かねて政府が発注していた大自動計算機がこのほど完成した。おそらく現時点で世界最速の電子計算機となる。その機能は、科学、産業、行政の分野で高まる一方の高速数値計算―従来のやり方では物理的に不可能か、案件の許容時間内にできなかった数値計算―に対する要求に応えることだ。中心となってこの新型機を開発した電気エンジニア会社の社長、ジョン・ボーレン氏によれば、この新型機は、ひとりの数学者だとひと月はかかる問題の正しい答えを五秒で出すことができ、その事実からどれほどの速さかわかるはずだということである。手書きでおこなえば、(そんなことが可能として)筆記用紙五十万枚を埋め尽くすほどの計算でも三分で結果が出るという。この自動計算機は毎秒百万回発生する電気信号を利用し、すべての計算を加減乗除に還元することで値を得る。実用に向けてその能力に限界はない…

原文:(p592)
The building of the great automatic computing engine, ordered by the government some time ago, is now complete. It is probably the fastest electronic calculating machine in the world today. Its function is to satisfy the ever-increasing need of science, industry, and administration for rapid mathematical calculation which, in the past, by traditional methods, would have been physically impossible, or would have required more than the problems justified. The speed with which the new engine works, said Mr John Bohlen, head of the firm of electrical engineers mainly responsible for its construction, may be grasped by the fact that it can provide the correct answer in five seconds to a problem that would occupy a mathematician for a month. In three minutes, it can produce a calculation that by hand (if it were possible) would fill half a million sheets of foolscap paper. The automatic computing engine uses pulses of electricity, generated at the rate of a million a second to solve all calculation that resolve themselves into addition, subtraction, multiplication, and division. For practical purposes there is no limit to what it can do …

意見:
旧訳は大学生レベル以下。田村隆一は英語が出来なかったが、下訳が悪ければ良くなりようがあるまい。点検の便宜に直訳を示しておこう。

(机の後ろの男は自分の方に畳んだ新聞を引き寄せ、そして読み始めた。)
しばらく前に政府機関により発注された偉大な自動計算機がいまや完成した。これはおそらく今日の世界で最速の電子計算機である。この機械の目的は、過去において従来の方法であれば、まったく不可能であったはずの高速数理計算、あるいは当該案件処理に許される以上の時間を必要としたはずの演算よりもっと速い演算、に対する科学、産業、行政のますます増大する要求を満足させることである。この構築に主として責任を負うべき電気会社の社長であるジョン・ボーレン氏が言うには、この新機械が作動するスピードは、それが一人の数学者であれ一か月掛かるはずの問題に対し五秒で正解を出すという事実によって理解されるだろう、とのこと。三分あればそれは、手作業で(そんなことが出来ればの話だが)フルースキャップ版の紙五十万枚を埋めるはずの計算の結果を生み出すことができる。この自動計算機は、計算を加減乗除に分解するやりかたでそのすべての計算を解くために、一秒間に百万回の割合で発生する電気信号を用いている。実際上、これが解きうるところのものには際限がない。


ページトップへ