2019年4月号 柴田耕太郎

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ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。

『豚』 Pig
 レキシントンは生後2か月で孤児となり、大叔母のグロスパンに育てられた。菜食主義者のグロスパンの手ほどきで料理を習い、腕前をめきめき上げた。その叔母が死ぬと、遺言に従いレキシントンはニューヨークに出かけた。この地で遺産を相続し、さらに料理修業に励むつもりだった。ところが、菜食しかしていないレキシントンは、はじめて食べた豚肉の旨さにとりつかれる。豚肉の仕入れ先を求めて、屠ちく場に赴くが、どうしたことか豚を絞め殺すためのベルトコンベアーに乗せられてしまう。哀れなレキシントンの運命は…。


原文:p155
They had known her for two days, that was all, and she had a thin mouth, a small disapproving eye, and a starchy bosom, and quite clearly she was in the habit of sleeping too soundly for safety.
旧訳:p242 △
二人があの女と暮らしたのはたった二日、たったそれだけ、知っていることといえば、薄い唇、それと認めがたいような小さな眼、骨ばった胸、それに、ぐっすりと実によく眠る女だということぐらいだ。
新訳:p305 〇
いずれにしろ、薄い唇に、非難がましい小さな眼に、いかにも硬そうな、糊付けしたような胸元をしたその保育士に、ぐっすり眠り込む習慣があるのは明らかだった。
批評:
他動詞の現在分詞形の形容詞は「人を…させる/する」だから、disapprovingは「人を認めない」「人を非難する」。他の例:an interesting person 人を面白がらせるヒト→面白い人。旧訳では目が小さすぎる、と読めてしまう。また、自動詞の現在分詞形の形容詞は「…する」「…している」例:a sleeping baby 眠っている赤ん坊。a starchy bosomは「糊の(衣服の)胸部」。新訳は丁寧に訳している。


原文:p158
Then she read The Care of Infants from cover to cover.
‘There is no problem here,’ she said, …
旧訳:p246 〇
…、やおら『育児の注意』をとりあげ、一頁残らず読んでしまった。「別に大したことも書いてないね」と彼女はいって、…
新訳:p311 △
そして、『乳児の子育て』を表紙から裏表紙まで通読すると、自分につぶやいた
批評:
前も指摘したが、新訳の訳者は「自分につぶやく」という表現がお気に入りのようだが、「自分に」は除いたほうがよいだろう。


原文:p163
‘Well, ’ Mr Zuckermann said, ‘luckily for you, I happen to be on rather cordial terms with the tax authorities around here, and I am confident that I shall be able to persuade them to waive all death duties and back taxies.’
旧訳:p254 △
「あなたは、ほんとに運がいい。わたしは、この辺の税務関係のおえら方たちと、いささか親密な間柄でしてな、遺産処理及び相続税に関して、すべて免除してくれるよう頼める自信があります
新訳:p321 △
「あなたにとっては運のいいことに、私はたまたまこのあたりの税務署の役人と親しくしておりましてね。私が頼めばきっと相続税をすべて免除して税金を返してくれるはずです
批評:
persusde 人 to doは結果を含意するから、旧訳「頼める自信があります」でなく、「頼んでチャラにさせる」。動詞backに日本語の「戻す」の意味はない。このbackは形容詞で「未納の」の意。さらっと読む分には気にならないだろうがが、新旧訳ともこれが分って訳しているかどうか疑問。「相続税も滞納分の税金も全部見逃してくれる」といった意味合い。

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