2018年8月号 柴田耕太郎

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ロアルド・ダール作品集の悪訳には翻訳業界人として心を痛めてきたが、ようやく田口俊樹の新訳が出始めた。新旧訳を比べることで、翻訳の楽しさ・難しさ・奥深さを味わっていただこう。何より読者がたにとって、英文読解のよい教材となるものと思う。
TASTE
(ストーリー)
ワイン好きの成金マイク・スコフィールドの所有するワインを鑑定家リチャード・プラットが当てられるかどうかで、行きがかりからマイクは自分の娘を、プラットは自宅と別荘を賭ける。プラットは重々しくワイン鑑定に入り、当該のボルドーワインの推定産地をどんどん狭めてゆき、とうとう醸造所と醸造年を言い当てたが、実はトリックがあったというお話し。

(1)旧訳の瑕疵
まずは田村隆一による訳文*をご覧いただきたい(下線と番号は筆者が付した)。
*1976年発行、手元のもので2000年36刷

(彼は眼をとじて、また一息いれた。)
「ではまず、①<格付銘柄>の認定からかかる。それができさえすりゃ、しめたもんだ。さてと、この酒は、あきらかに②格付銘柄として第一級ではない、いや、第二級でもないぞ。③最上作の年代のものじゃないな、この性質、その、そう、なんといったらいいか、輝き、力、そういったものが欠けている。しかし、第三級、うん、これはありうる。だが、まだ疑わしいぞ。④上作だった年代のものだそうだが―これは、さっきご主人が言われたけど、⑤すこしばかりハッタリがある。あぶない、ここがあぶないぞ」
彼はグラスをとりあげ、一口すすってみた。
「よろしい」そういって彼は唇をなめた。「やっぱりよかった。これは第四級。たしかです。⑥絶対に最上作の第四級だ。⑦それがちょっとの間、第三級か第二級のような味さえしてきたのだ。よろしい!⑧ますますよろしい。さあ、もうすぐだ。サン・ジュリアン地区にある第四級の葡萄園はどれか?」

テーマが面白いらしく、朝日新聞に「この作品には田村隆一の名訳がある」などと書評欄に書かれていたこともある。だが評者は実際に読んではいまい。ちょっとワイン好きの人なら分かるだろうが、この訳文では当該ワインの可能性を狭めてゆく推理が成り立たないのだ。
以下原文に誤訳・悪訳該当箇所の番号を付し、註を記す。

(… He paused again, closing his eyes.) ’I am trying to ①establish the “growth”, ’ he said. ‘If I can do that, it will be half the battle. Now, let me see. This wine is obviously not ②from a first-growth vineyard―nor even a second. ③It is not a great wine. The quality, the―the―what do you call it? ―the radiance, the power, is lacking. But a third growth―that it could be. And yet I doubt it. ④We know it is a good year―our host has said so―⑤and this is probably flattering it a little bit. I must be careful. I must be very careful here.’
He picked up his glass and took another small sip.
‘Yes,’ he said, sucking his lips, ‘I was right. It is a fourth growth. Now I am sure of it. ⑥A fourth growth from a very good year―from a great year, in fact. ⑦And that’s what made it taste for a moment like a third―or even a second-growth wine. Good! ⑧That’s better! Now we are closing in! What are the fourth-growth vineyards in the commune of St Julien?

(註)
①growth:等級
②a first growth vineyard:第一等級葡萄園
③great wine:有名銘柄ワイン
④a good year:ワインの当たり年
⑤flattering:他動詞の現在分詞形の形容詞で「…を実物以上によく見せる」
⑥a great year:最上作年、または大収穫年
⑦make it taste ~ :(S)V O Cで、「それ(等級の低いワイン)を…のような味がするようにさせる」
⑧That’s better:紋切型表現で「よくなってきた」(調子が上がってきたこと)

(2)新訳の評価
あまりにひどいのが知れたか、こんなものを何十年も放っておいた良心を恥じたか、出版元の早川書房は2013年に田口俊樹による新訳を出した。
以下が田口の訳。

「ワインの“等級”を探り出してみよう。これがわかればもう賭けにはほとんど勝ったも同然だ。さてと。まずこのワインは明らかに一級に格付けされたブドウ園のものではない―二級でもない。つまり、偉大なワインではないということだ。質として―なんと言えばいいか、そう―輝き、力強さが欠けている。三級というのはありうるだろうが、私に言わせればそれも疑わしい。これは当たり年のワインということだが―それはもうわれらがホストから聞いた―そのおかげで例年よりも味がよくなっているのだろう。ここは慎重にならなくてはいけない。そう、とりわけ慎重にね」
彼はグラスを取り上げると改めてワインを少し口にふくんだ。
「そう」舌で唇を舐めながら言った。「やはり正しかったな。これは四級のワインだ。それはもうまちがいない。これは秀作年の―①実際には偉大な年の―四級のワインだ。だからほんの一瞬、三級のような―二級と言ってもいいほどの味に感じられるんだ。よし、いいぞ!これでだいぶ答えに近づいてきた。さて、サンジュリアン村の四級に格付けされたブドウ園はどこか」

成程、以前の訳とは様変わり、読みやすくなり、これならワインの推理が楽しめそうだ。
ケチをつければ、①「実際には偉大な年の」[柴田コメント:悪訳]は「いや大収穫年の」にしたほうがよいだろう。great yearは業界用語。in factは曲者で、前後関係から「実に」「実は」「それどころか」「もっと言うと」「いや」などと訳し分けねばならない。ここは言い換えの箇所。

参考に私が上演用に翻訳・脚色した当該部分を記しておく。翻訳は用途により微妙に表現が変わるのが分かるだろう。
(柴田試訳)
「ではまず、等級の確定から始めよう。それさえできれば、半分勝ったようなものだ。さて、いいかな。このワインは明らかに第一等級のブドウ園のものではないし、第二等級でもない。有名銘柄ワインではない。質は、そのなんて言うか…輝き、力、が欠けている。だが第三等級ではありうる。いやいや、違うな。当たり年のものだ…そうご当主はさっき言われた…それで、実際以上にこのワインをよく見せたのだ。注意しなきゃ。ここのところは十分に注意しなければ」
彼はグラスを上げ、またわずかばかり口に含んだ。
「そうだ」唇をなめながら言った「やっぱりそうだ。これは第四等級。自信をもってそう言える。当たり年…つまり大収穫年の、第四等級。それが、このワインを少しの間第三等級…いや第二等級ともとれるような味に見せかけたんだ。いいぞ。わかってきた。だんだん近づいてきた。サン・ジュリアン地区で第四等級のブドウ園といったら?」

(3)新訳の不満
さて、この作品は新訳が比較的功を奏した例だが、折角ベテラン翻訳家が新訳を手掛けるなら、ニュアンスまでも訳文に出してほしい気持ちも出てくる。
例えば次のような箇所。

p10―p441 (訳文―原文)
ある特定のクラレット(ボルドー産の赤ワイン)の銘柄と②収穫年を当てさせようと、…

… Mike had played a little betting game with him over the claret, challenging him to name its breed and ②its vintage.

[柴田コメント:悪訳]
②目くじら立てるほどのものではないが、ブドウ自体でなく、ビン詰めしたワインのことだ。相応しい言い方に変える。
修正訳:醸造年

p21―p446
これにはルイーズ・スコフィールドが跳び上がって叫んだ。「なんなの、冗談じゃないわ!ちっとも可笑しくない。パパ、こんなの、全然可笑しくないわ」
「まあまあ、ルイーズ」と彼女の母親が言った。「お父さまたちはただジョークを言っているだけなんだから」
「いや、これはジョークじゃありません」とプラットは言った。
「馬鹿げてる」とマイクが言った。また平静を失っていた。
「きみは私が賭けたいものならなんでも賭けると言ったじゃないか」
「金額の意味で言ったんだよ」
「いや、金額とは言わなかった」
③「それでもそのつもりで言ったんだ
「そんなふうに言わなかったとは残念なかぎりだけれど、いずれにしろ、初めに申し出たことを取り消したいのなら、私のほうはそれでまったくかまわない」
「申し出を取り消すとか取り消さないとかの問題じゃないよ、リチャード。どっちみち賭けにならないから言ってるのさ。だって私が賭けるものに見合うものがきみにはないんだから。きみが負けた場合、私には娘がいてもきみ自身にはいないんだから。たとえいたとしても、私はきみの娘さんと結婚しようとは思わないが」
④「それを聞いて安心したわ、マイク」と彼の妻。

Louise Schofield gave a jump. ‘Hey!’ she cried. ‘No! That’s not funny! Look here, Daddy, that’s not funny at all.’
‘No, dear,’ her mother said. ‘They’re only joking.’
‘I’m not joking,’ Richard Pratt said.
‘It’s ridiculous,’ Mike said. He was off balance again now.
‘You said you’d bet anything I liked.’
‘I meant money.’
‘You didn’t say money.’
③‘That’s what I meant.
‘Then it’s a pity you didn’t say it. But anyway, if you wish to go back on your offer, that’s quite all right with me.’
‘It’s not a question of going back on my offer, old man. It’s a no-bet any way, because you can’t match the stake. You yourself don’t happen to have a daughter to put up against mine in case you lose. And if you had, I wouldn’t want to marry her.’
④‘I’m glad of that, dear,’ his wife said.

[柴田コメント:ともに悪訳]
③thatはmoneyを指す。「金こそ私が意味したところの事だ」→「金のつもりでいったんだ」。だからこそ次に「何でもとは金に関してだよ、といわなかったのは残念だ」→「そう言ってくれなかったのは残念だ」→「だったら最初からそう言ってくれよ」(意訳)が来るのだ。「それでも」が立ちすぎて、会話を切ってしまう、あるいは自分の非を認めながら苦し紛れの発言に聞こえてしまう。除いてはどうか。
修正訳:そのつもりで言ったんだ
④be glad of は喜びの持続的心理状態を示す。「聞いて安心する」なら瞬間的喜びを表すのでatが来るはず。例:I am glad at having received a good mark.(良い点を取ってくれてうれしい)。ここは夫の馬鹿げた言動を皮肉って妻が返した言葉ととるべき。thatは夫のI wouldn’t marry herという言葉。「私はそのことで(その言葉を聞いて)喜んでいます」→「それはありがたいことだわ」。商品としての翻訳なら、意識の流れを訳してほしい。
修正訳:それは嬉しいことね、マイク

p23―p447
「ご本人は勝てると思っておられるようだけれど」
「よく聞いてくれ。私には自分が何を言ってるのかよくわかってるんだから。クラレットのテースティングというのは、エキスパートでもそれがラフィットやラトールといった、有名で偉大なワインでないかぎり、⑤ブドウ園しか当てられないんだよ。だから、そのワインがボルドー地方の産だったら、リチャードにはもちろん、それがサンテミリオンかポムロルかグラーヴかメドックかは言えるだろう。しかし、それぞれの地区にはいくつかの村や小さな郡があって、そのそれぞれの郡にさらにいくつもの小さなブドウ園がある。だから、そうしたブドウ園までワインの味と香りだけで当てるなんて誰にもできるわけがないんだ。言わせてもらえば、このワインはそんな小さないくつものブドウ園の中にある小さなブドウ園のものでね。当てられるわけがない。そんなことは不可能なのさ。

 ‘He seems to think he can.’
‘Now listen to me, because I know what I’m talking about. The expert, when tasting a claret―so long as it is not one of the famous great wines like Lafite or Latour―⑤can only get a certain way towards naming the vineyard. He can, of course, tell you the Bordeaux district from which the wine comes, whether it is from St Emilion, Pomerol, Graves, or Medoc. But then each district has several communes, little counties, and each county has many, many small vineyards. It is impossible for a man to differentiate between them all by taste and smell alone. I don’t mind telling you that this one I’ve got here is a wine from a small vineyard that is surrounded by many other small vineyards, and he’ll never get it. It’s impossible.

[柴田コメント:誤訳]
⑤掛かり方が間違っている。onlyは強調の副詞でa certain wayに掛かる。
このcertainは「ある決まった」の意。「ブドウ園を当てるにあたって、専門家といえども決まったやり方しかできない」のだ。決まったやり方とは、後に出てくる、ワインの味と香りだけでブドウ園を当てる事。
修正訳:ブドウ園を当てるには、一定の決まったやり方しかないんだ

p25―p447
「二軒の大きな屋敷なんか要らない」
「だったら両方とも売ればいい。この場でプラットに⑥売って返してやればいい。その手続きは全部私がしよう。それでどうなるか考えてごらん。おまえは金持ちになれるんだぞ!これから一生、金に不自由することなく独立して生きていけるようになるんだ!」

 ‘But I don’t want two large houses, Daddy.’
‘Then sell them. ⑥Sell them back to him on the spot. I’ll arrange all that for you. And then, just think of it, my dear, you’ll be rich! You’ll be independent for the rest of your life!

[柴田コメント:悪訳]
⑥日本語がおかしい。
修正訳:買い戻させればいい。

p25―p447
「でも、パパ、わたしは気が進まない。こんなことをするなんてやっぱり馬鹿げてる」
「わたしもそう思います」と母親が言い、鶏のように頭を上下に小刻みに振った。「マイク、あなたったらよくも恥ずかしくないわね。⑦そんなことを言い出すなんて!しかも自分の娘を賭けるだなんて!

 ‘Oh, Daddy, I don’t like it. I think it’s silly.’
‘So do I,’ the mother said. She jerked her head briskly up and down as she spoke, like a hen. ‘You ought to be ashamed of yourself, Michael, ⑦even suggesting such a thing!  Your own daughter, too!

 

[柴田コメント:悪訳]
⑦賭けに賛同したこと自体でも(even)恥ずべき行為なのに、さらにその対象が自分の娘ということなどとんでもない、と妻は考えている。このtooは「その上」の意。
訳文はevenとtooの連関が上手く訳せていない。
修正訳:そんなことを言い出すなんて!おまけに自分の娘よ!

p29―p449
これはとてもやさしいワインだ。最初の一口は恥じらうようにひかえめで内気な感じがするが、二口目になると、かなり鷹揚な感じに変わる。

This―this is a very gentle wine, demure and bashful ⑧in the first taste, emerging shyly but quite graciously⑧ in the second.

 

[柴田コメント:誤訳]
⑧二回啜るとはどこにも書いていない。一回啜ると、味が口中で変わるのだ。それが良いワインの証し。最初は「控え目におずおず」、しばらくして「優雅な」味わいが出てくる、ということ。
修正訳:最初は /  その後

p31―p450
「そう」舌で唇を舐めながら言った。「やはり正しかったな。これは四級のワインだ。それはもうまちがいない。これは秀作年の―⑨実際には偉大な年の―四級のワインだ。だからほんの一瞬、三級のような―二級と言ってもいいほどの味に感じられるんだ。

 ‘Yes,’ he said, sucking his lips, ‘I was right. It is a fourth growth. Now I am sure of it. A fourth growth from a very good year―⑨from a great year, in fact. And that’s what made it taste for a moment like a third―or even a second-growth wine.

 

[柴田コメント:悪訳]
⑨これも前にあった多義に注意すべきin fact。
前の一般語a very good year(とても良い年)を専門語に言い換えている。ダッシュはすなわちの意。
修正訳:もっと言えば大収穫年の

ざっと見て、誤訳が2か所、悪訳が7か所。旧訳のそれぞれ10か所以上で、推理が成り立たないのに比べればましといえるが、これぐらいの短編であれば、望むべくは誤訳1か所、悪訳は3か所ぐらいにとどめてほしいものだ。


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