[アイディ英文教室連載コラム] 『どこが違っているのかな?!』 第33回『キス・キス』(開高健訳)  表現そのⅤ

2017年12月号

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 10年かけてロアルド・ダールの短編集(The Collected Short Stories)を点検し終わった。一字一句精読し、市販訳(早川書房)と比べてゆくのである。
 このシリーズは開高健、田村隆一などの名手が翻訳しているのだが、若い頃読んでいて読みづらいと思った。やはり誤訳・悪訳がボロボロ。
 でも興味を覚えた。一応の英語使いが間違える箇所なら、一般の英語学習者にとっても苦手な箇所のはずだ。ならばそれを列挙し説明をつけて学習者に裨益しようと、当欄の姉妹コラム「誤訳に学ぶ英文法」(アイディのホームページにあり)で連載してきた。
 このコラムでは、それを作品集別、品詞別に分類し、誰もがつまづきそうな箇所でそう複雑でないものを選んで解説してゆく。辛抱強く読んでゆけば、実力向上疑いなし。パズルを解くように楽しんでいただければ幸いです。

今回も日本語表現がおかしい部分を取り上げます。

『ウィリアムとメアリイ』William and Maryの気になる表現

ウィリアムはオックスフォードの哲学教授。癌に侵され、余命いくばくもなくなったとき、医師のランディに、脳だけを生かす実験に協力するよう頼まれる。これを受け入れる苦渋の決断をして死んでいったウィリアム。遺書で事の次第を読んだ妻のメアリイは、ランディ医師の病院に赴く。そこで彼女がみたものは…

①多義語の形容詞の語義選択

原文と市販訳:

The whole thing was just too awful to think about. Beastly and awful. It gave her the shudders.
一切のことがただただ、あまりのおそろしさに、考えることもできなかった。獣じみている上に、おぞましいことだ。

解説:

亡き夫が脳だけを生かす実験に身を提供したことを知った妻の内面描写。
beastlyは(1)獣のような (2)野蛮な、下品な (3)嫌な、など多義。ここでは(2)。
「下劣な」

②慣用表現

原文と市販訳:

‘I want to speak to Mr Landy, please.’
‘Who is calling?’
‘Mr Pearl. Mrs William Pearl.’
「ランディ先生にお話があるのですけれど」
「どなたですか?」
「パール夫人です。ウイリアム・パール夫人ですわ」

解説:

たとえば山田太郎・花子夫妻の細君のほうを正式に呼ぶには英語ではMrs Taro Yamadaとするので、訳は間違っていないが、ふつうの日本人に抵抗ない呼び方にしたほうが、翻訳としてはよいだろう。
「ウイリアム・パールの妻です」

③リズム

原文と市販訳:

What a queer little woman this was, he thought with her large eyes and her sullen, resentful air.
なんておかしな、小さな女なのだろう、と彼は思った。眼がでかくて、ぶあいそうな、怒りっぽい様子をして。

解説:

訳語が長すぎて、意味が重くなってしまう。littleは意味範囲が広いが、ここは軽蔑的に「けちな、チンケな、つまらない」に力点がある(queerを強調)ので「小ささ」をいいたいわけではない。
「変なばあさんだ」「変な女だ」といった所。

④語義選択

原文と市販訳:

She was studying the eye closely, trying to discover what there was about it that gave it such an unusual appearance.
彼女は眼をしげしげと見ながら、このように異常な印象を眼に与えている原因を探ろうとした。

解説:

夫が脳髄と目玉だけになって生き永らえている様子をみての、夫人の感懐を叙した部分。what (the thing which)以下が、二重連鎖節(the thing which ~ that ― :~でいて―であるもの)になっている。
直訳すると「彼女は二つの眼を細かく調べた。眼のあたりに存在しているもので、眼にこのような尋常でない様子を与えるものを、発見しようとしながら。」
「異常な印象」では、強すぎる。語義を広げて、訳語をつける。
「なんともおかしな感じ」

⑤ことば足らず

原文と市販訳:

‘And he can see me?’
‘Perfectly.’
Isn’t that marvelous? I expect he’s wondering what happened.
「では、あたしが見えますの?」
「そりゃもう」
すてきじゃありません?どんなことになったのか、不思議に思っているんじゃないかしら

解説:

間違いではないが、和文和訳しないと頭に入ってこない。
「すごいことね。彼、何が起こったんだろうって、きっと思っているわ」

⑥訳のズレ

原文と市販訳:

‘It’s my husband, you know.’ There was no anger in her voice. She spoke quietly, as though merely reminding him of a simple fact.
That’s rather a tricky point,’ Landy said, wetting his lips.
「あたしの良人ですのよ」その声に怒りはこもっていなかった。まるで、ひたすら彼に単純な事実を思い出させようとするかのように、静かにいうのだった。
そこが、どちらかといえば、まぎらわしいところですね」とランディはいって、唇をしめした。

解説:

ratherは通例、(1)あまりよくないことに関し (2)強いて選べといわれれば、の感じで (3)ふつうに思われるより意外と程度が高い、を示し、「かなり」「わりと」「むしろ」などの訳語を得る。trickyは「したり、扱ったりするのが、厄介である」こと。訳文は、少しズレている。
「そこがちょっと微妙なんですが」

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