[アイディ英文教室連載コラム] 『どこが違っているのかな?!』 第23回『キス・キス』(開高健訳)  イディオムそのⅠ

2017年1月号

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 10年かけてロアルド・ダールの短編集(The Collected Short Stories)を点検し終わった。一字一句精読し、市販訳(早川書房)と比べてゆくのである。
 このシリーズは開高健、田村隆一などの名手が翻訳しているのだが、若い頃読んでいて読みづらいと思った。やはり誤訳・悪訳がボロボロ。
 でも興味を覚えた。一応の英語使いが間違える箇所なら、一般の英語学習者にとっても苦手な箇所のはずだ。ならばそれを列挙し説明をつけて学習者に裨益しようと、当欄の姉妹コラム「誤訳に学ぶ英文法」(アイディのホームページにあり)で連載してきた。
 このコラムでは、それを作品集別、品詞別に分類し、誰もがつまづきそうな箇所でそう複雑でないものを選んで解説してゆく。辛抱強く読んでゆけば、実力向上疑いなし。パズルを解くように楽しんでいただければ幸いです。

①『女主人』The Land Lady

原文と市販訳:

… it was about nine o’clock in the evening and the moon was coming up out of a clear starry sky over the houses opposite the station entrance.
(バス駅に着いた時にはもう)夜の九時、駅の出口の、向い側に並んだ家々のかなたから、澄み切って星々の輝く夜空へと、月が上ってゆく所だった

背景:

新人社員のビリーが赴任地のバースの町に到着。これから下宿を探そうとする。

ヒント:

辞書の訳を鵜呑みにしないこと。

解説:

「家々のかなたから…夜空へと」では、家並のずっと奥から夜空目指して月が出てくる、みたいだ。
overは「全面に蔽って」の意味の前置詞。芝居の書き割りのような家並みの上に大きく夜空が広がっている様が感じられる。come upは「(太陽・月が)上る」の意味もあるが、夜9時なら上り切っているはず。ここは次のout of「(運動・位置、立体的に)中から外へ」と合わさり、「浮かび出る」ととるのが順当。進行形は場面のクローズ・アップ。upは強調の副詞(すっかり)。「屋根の連なりの上に広がる夜空、その中から月がグイっと浮き出ようとしている」のだ。

修正訳:

直訳:家々を蔽う、星いっぱいの澄んだ夜空で、月がグイっと浮き出ようとしているところだった。
意訳:家々のうえ広がる澄み切った夜空に月がぽっかりと浮かんでいた。

②『女主人』The Land Lady

原文と市販訳:

He had stayed a couple of nights in a pub once before and he had liked it.
彼は前にも一晩か二晩、パブに泊まったことがあったが、それは悪くない経験だった。

背景:

泊まるのはパブにしようか下宿屋にしようかと迷うビリー。

ヒント:

a couple ofはどのくらい。

解説:

a couple of nightsは、二晩と限らず「二、三の」「いくらかの」(四ぐらいまでの数字)の意味。「一晩か二晩」ではすこし足りない。

修正訳:

何度か

③『ウィリアムとメアリイ』William and Mary

原文と市販訳:

‘It seems to me there’d be some doubts as to whether I were dead or alive by the time you’d finished with me.’
きみがわたしと絶交するまでに、わたしが生きているか死んでいるかということに、いささか疑問があるように思えるが」

背景:

死後も頭脳だけは生きながらえる手術を医師ランディに勧められ、当人のウィリアムは疑問を口にする。

ヒント:

finish withの読み違え。

解説:

there’d の’dはwouldの縮約形で仮定法。doubtは可算名詞化され、具体的な「疑問点」に転化。whether ~ or ― は、~か―かどちらかの選択を示すが、訳文は意味があいまい。finish withを「私と終える」ととり、「絶交」としたのだろうが、「…を処理する」「…を片づける」のイディオム。ここは、脳を生きたまま取り出す手術の可否をやりあっている場面なので、状況がわかるように訳す。

修正訳:

全文直訳:「(もしそうなった場合)きみが私に対して(手術を)やり終えてしまうまで、私が死んでいるか生きているかどうかについていくらかの疑問点が存在することになるものと、私には思える」
全文意訳:「きみの手術が終わるまで果たしてぼくの命がもつだろうか」

④『ウィリアムとメアリイ』Whilliam and Mary

原文と市販訳:

You know what, she told herself, looking behind the eye now and staring hard at the great grey pulpy walnut that lay so placidly under the water, I’m not at all sure thatI don’t prefer him as he is at present.
なんだかわかる気がするわ、と彼女はひとりごちながら、水の中にじっとしている、大きな灰色のどろんとしたくるみをいっしょうけんめいに見たわたしには、現在の彼のほうが好きかどうか、ちっともわからない

背景:

死んだ夫ウィリアムは脳だけ保存されて「生きて」いる。その姿をまじまじと見つめる妻のメアリイ。

ヒント:

knowを無理に訳そうとするからおかしくなる。

解説:

You know whatは、発話で相手の注意を引くために発する間投詞的なもの。ふつう「いいですか」「あのね」といった具合だが、ここはI’m not at all以下(自分の心の声)を導くもの。
tell oneselfは「自分に言い聞かせる」。ひとりごつ、はtalk to oneself。心の中で考える、はsay to oneself。考えごとを口に出す、はthink aloud。I’m not at allはdon’t preferと呼応し、強い肯定に転化「好まないと確信しない」→「大いに好む」。
前の下線部を削除し、あとの下線部を次のように変える。

修正訳:

見て、彼女は思った。そうね、このウィリアムならちっとも悪くないわ。

⑤『牧師の楽しみ』Parson’s Pleasure

原文と市販訳:

‘Oh dear,’ Mr Boggis said, clasping his hands. ‘There I go again. I should never have started this in the first place.’
いや、私は帰ります。はじめからこんなことをするべきではなかった」

背景:

牧師に変装して旧家のお宝を手に入れようとする骨董商のボギス。今回も相手をじらせ、安く買い叩こうとする。

ヒント:

There I go again.は紋切型の表現。

解説:

これは、嬉しくないことが、言った通りまたは懸念した通りに実現してしまったときにいう台詞。「ほら見たことか」「だから言ったでしょう」「やっぱりね」「こんなことになると思ってた」など。

修正訳:

こりゃ参ったな。

⑥『牧師の楽しみ』Parson’s Pleasure

原文と市販訳:

What wouldn’t a newspaperman give to get a picture of that!
新聞記者はただで、この写真をとるだろうなあ

背景:

文化財級の家具をタダ同然でせしめたボギス。骨董業界の大ニュースが巻きおこす騒動を想像し、ほくそ笑む。

ヒント:

単語をバラバラに組み立てても意味は通じない。

解説:

これは長いイディオム「…を手に入れるためには(人は)どんなことでもしたい」

修正訳:

意訳:新聞記者はさぞかしこの写真をとりたがるだろうな

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