2014年7月号「アンドとカンマと記号③」

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なかなか快調に飛ばしているNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。週替わりの副題に「腹心の友」とあった。原文はa bosom friendか。

腹心という言葉は空海の性霊集にすでに登場しているから平安時代には使われていた由緒ある言葉のようである。広辞苑第四版には「@はらとむね A心のおくそこ。考えの底 Bどんな秘事でも打ち明けて相談することができる者」とあり、用例として、性霊集の「任するに―を以てすれば」のほか「―の部下」が挙げられている。しかし、「腹心の友」といういういい方はあるのだろうか。「腹心の部下」のように、社会的な上下関係がある場合に用いるのが普通だ(大切な秘事はだいたいエラい人が握っている)。一種の迷訳ともいえるのだが、筆者は、なぜかこの言葉が好きである。風雪に耐えた重みが独特の味わいをもたらしているのかもしれない。

今回のテーマは日英語の誤差です。

日英語の誤差

(1)英語は多義

「王子は美しい金で覆われていました」
ワイルドの「幸福の王子」の一節を大学の授業で、ある学生がこう訳してきた。何かヘン、とすぐに思うのは金なら美しいに決まっているからだ。そこで原文をみると、fine goldとある。

学生にはこう言った「確かにfineは多義で、素晴らしい、美しい、細かい、晴れた、結構な、繊細な、洗練されたなどの日本語があてられる。だがこれを全部覚えるのは大変。語源を覚えて、文脈にあった訳語をつけるのが賢明です」

フランス映画の最後にFINとあるのをご存じだろう。もっとたどるとラテン語のfinis。「最後の」という意味。「最後」から「完成した」「申し分ない」「見事な」と意味が広がってゆくのだ。この場合、金をどんどん精製していって最後に「純金」となるのである。

(2)訳語のズレ

生と死、のような定義に類するものは日本語と英語が同じ意味領域でなければならない。だが、それ以外だと次に示すようなズレが生じる。これが誤訳・悪訳を生む元となっている。

J:日本語、E:英語

  • JとEは同一:死とdeath(J=E)
  • JよりEのほうが意味が広い:王子とprince(J
  • JのほうがEより意味が広い:十代とteenager(J>E)
  • EにJ1、J2の違う意味がある:信頼、信念とconfidence(J1=E、J2=E)
  • JとEは一部重なる:自然とnature(J≒E)
  • JとEは異なる:下町とdowntown(J×E)
  • JとEは同じ意味、ニュアンスが異なる:民衆、大衆、人民とpeople(J1、J2、J3=E)
  • Eの意味をJが狭める:力、権力、政権とpower(J1>J2>J3=E)

(3)文例で点検

実際には上記の分類が入り混じり、かつ文脈依拠によることが多い。

@(以下は訳文、原文の順)

一昨日、それを読んだために非常に衝撃を受けた言葉がある。フィリップ・ストラトフォードの「信仰と文学」という本のなかの一節だ。・・・
インタヴューで老いたモーリヤックはこう言ったという、「私は小説のなかで信仰を失ってしまった」と。

I have lost faith in the novel.
*たぶん元のフランス語はJ’ai perdu (la) confiance dans le roman.

解説:

信仰、信念、信頼のどれを充てるか。ここはfaith in(…に対する信頼、…を頼みとすること)からして、「小説を信頼する気持ち」

A
The appearance of a comet in the sky caused whole nations in former days to tremble with fear.
空にほうき星が現れると、昔は国中が恐怖におののいた。

解説:

「国中」ならthe whole nation。これは「諸国・諸国民」

B
He had pale, almost colourless eyes with tiny bright black pupils.
この男の眼ときたら、ほとんど無色といっていいほど白眼と、キラキラ輝く、ちいさな黒い瞳だった。

解説:

日本語の眼も英語のeyeも瞼の内側全体から、瞳、瞳孔まで幅がある。ここのeyeは瞳、pupilは瞳孔。「瞳が薄い色をしているが、その真ん中の瞳孔は黒く輝いている」

C
The cottage stood alone in a corner of the big field. There was a path from the front door which led across the field to a stile and on over the next field to a gate which opened on to the lane about three miles from the village.
その田舎家は広い草原の一角にぽつんと建っていた。表口から一本の小径が延びて野原を横切り、垣根の階段に達し、つぎの野原も横切って、村からおよそ三マイルのところにある田舎道に面した木戸に通じていた。

解説:

fieldは多義で(1)野原(2)畑(3)牧草地。ここは、stile(踏越し段。家畜が逃げないようにうず高くした土盛り)との兼ね合いから、fieldは牧草地ととるのが良いだろう。

D
She turned and smiled at him, a surprisingly lovely, almost a beautiful smile, although the face itself was very plain, ‘Hullo,’ she answered him.
女はふりむくと、微笑をうかべた。目をみはらせるような、美しい微笑だった。しかし顔そのものは、いたって無表情だった。「今日は」と女は言葉をかえした。

解説:

ラテン語のplanus(平らな)から→地味な→見場の良くない(ブ細工の婉曲な言い方)。「無表情」は「素直な」→「ぶっきらぼうな」→「無表情な」と勝手に意味を拡大して決めた訳語か。

E
Many people have married whose chances to do so were much inferior to Miss Marth’s.
世の中にはマーサほどの好チャンスがなくても結婚した人がたくさんいる。

解説:

chancesは可能性の高さを含意。a chanceは機会、好機。不可算名詞chanceは偶然。 「有利な条件」

F
For a long time that day her mind dwelt on the subject. She imagined the scene when he should discover her little deception.
その日は永い間このことを考え込んだ。彼が彼女のちょっとしたペテンを発見する時の様子を想像した。

解説:

独身女性マーサが、店の客である渋い中年男のため、こっそりパンにおまけをつけるくだりのあとの文。
確かにdeceptionは「詐欺」「ペテン」「ごまかし」「欺瞞」だが、ここは比喩的に言っているので、すこし弱めの訳語をつけるとよい→「いたずら」

G
My view of history is itself a tiny piece of history; and this mainly other people’s history and not my own.
私の歴史観は、それ自身が一つの小さな歴史だといえる。その歴史も、主として他の人が作ってくれた歴史で、私自身の作った歴史ではない。
解説:

元訳では判じ物のようだ。一般語と専門語の区別に注意(例:law (1)法律 (2)法学)。ここは(1)人間の営みとしての「歴史」(2)研究対象としての「歴史」のうち後者→「歴史学」。

H
Horatio: O day and night, but this is wondrous strange! Hamlet:
And therefore as a stranger give it welcome. There are more things in heavens and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy.

解説:

エルシノアの城壁で、死んだ国王の亡霊を見て驚く学友(ウィッテンバーグの大学で研究している)ホレイショにハムレットが言うセリフ。
「この天と地の間にはな、ホレイショ、哲学なんぞの及びもつかぬことがタンとあるのさ」

「ホレイショーの哲学竟に何等のオーソリチーを価するものぞ」と木の幹に刻んで華厳の滝に一高生、藤村操は身を投じた。yourを「ホレイショーの」ととったようだが、これは「所謂」の意(皆言うけど自分は認めていないがね、を含意)。例:your modern girls:今どきの女の子たち。 youの多義を理解していれば、死なずに済んだかもしれない。

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