2010年6月号(第11回)『誤訳の構造』を読む 第1回

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2010年6月号(第11回)
『誤訳の構造』を読む 第1回
 今回より二年がかりで、英語読解指導書の白眉である『誤訳の構造』(中原道喜、聖文新社)を点検してゆく。
 実に難しい本で、私も最初自分の出来の悪さを棚に上げ「重箱の隅をほじくるような品のない本だ」と思い、途中で放り投げた。あるとき気になって再読し始めると、これが何ともすばらしい。自分が知らなかったこと、教わらなかったこと、がどんどん出てくる。完読したらそれまで曖昧な理解であったものが、目から鱗が落ちるようにくっきり見えるようになった。
 是非当コラムの読者にも読んでいただきたいが、奥が深く、一人で読み通すには相当な忍耐力がいる。そこで主に、著者が自明として端折っていそうなことで、本コラムを読んでいるような英語中級者以上の方に裨益すると思われる事柄を、補足する形で筆を執ってゆく。

 構成は、原文、既存訳(下線部が主な間違い:中原が付けたもの)、中原の解説、柴田の補足、の順。本稿だけでも意味が通るようにするつもりだが、『誤訳の構造』を手元において、読みながら本補足を参照して下さると、学習の効果が一層上がるだろう。

 初回はPART 1 (概説部分)より始める。次回からPART 2 (本文:誤訳の指摘と解説部分。全188項)に入る。




① p2
[中原の解説:ある随筆を引いて論評している箇所。太字は引用部分]
 インターヴュで老いたモーリヤックはこう言ったという、「私は小説のなかで信仰を失ってしまった」と。

 そして、このくだりは、次の言葉で締めくくられている。

 (…小説家であるよりも信仰を守ろうとした…)その彼が晩年に至り、「小説のなかで信仰を失ってしまった」と告白したのが本当とすると、私は愕然とせざるをえない。この事をこれから考えてみねばならない。

 引用文を枕とした名随筆である。ところが、実は、この引用文が誤訳なのである。多少とも、翻訳文を原文に還元して読むという習慣のある人ならば、この引用文の原文をすぐに推定して「ひょっとして?」という疑いを抱くはずである。筆者もそのような疑念を抱き、念のため原著を取り寄せてみた。はたして推測どおりであった。すなわち原文は
 
“I have lost faith in the novel.”
となっているのである。つまり、モーリヤックは
「私は小説のなかで信仰を失ってしまった」
などと言っているのでは少しもなく、
「私は小説というものに対して信念を失ってしまった」
と言っているのである。大違いである。なにも衝撃を受けたり愕然としたりする必要はなかったのである。

[柴田のコメント]
 指摘自体は正しい。だが「信念を失って」という訳語が少し気になる。「信念」といえば「どんな?」と問いたくなってしまうし、また「失う」とのコロケーションが悪い。ここは「信頼を失って」「信用できなくなって」などとして欲しいところだ。
 そもそもモーリヤックは母国語のフランス語で言ったはず。コリンズ英仏辞典には
People have lost faith in the government. の仏訳として Les gens ont perdu confiance dans le government. がある。これを元に上例の英文を仏語に復元すれば J’ ai perdu confiance dans le roman. となろう。confiance は「信頼、信用、自信」、dans は「…に対する」だから、やはり「小説に信を置く気持ちを失った」ということになるだろう。



② p3
[中原の解説(但し私、柴田が底本としているのは旧版(吾妻書房版)で、新版(聖文新社)ではこの箇所は、さっぱり<こんな言葉も思い起される>となっている)]
 わが国の英語翻訳史上の泰斗の名を二つだけあげるとすれば、それは朱牟田夏雄氏と中野好夫氏であろうと思うが、その中野氏の次のことばが思い出される。

[柴田のコメント]
 朱牟田夏雄は、故人・元東大教養の教授。訳書多数あるが、他人の翻訳はあまり読むことはないので訳書の質は知らない。だが、朱牟田著の英文読解指導書『英文をいかに読むか』(文建書房・刊。64刷を重ね、文部省選定図書にもなっている)は、誤訳・悪訳が多く(研究社『時事英語研究』2002年12月号の拙文参照)、私から見るといただけない。削除したのは賢明といえよう。



③ p4
[中原による原文と誤訳例の引用部分]
 
Throughout his life, modern man is the object of influences which are directed to the end of robbing him of trust in his own power of thought.
 —Albert Schweitzer: The Way to Humanity

(誤訳例) 生涯を通じて、現代人は彼自身の思考力において信念を彼から奪うという目的に向けられた影響の対象になっている。

[中原による解説]
 下線を施したinは、
trust in 〜 で「〜に対する信頼、〜を信じること」という意味関係を表すので、in を「〜において、〜の中で」などと訳しては意味がまったく通じない。したがって訳文は「…現代人は、自分自身の思考力に対する信念を彼から奪おうとする目的に向けられた諸種の影響を受けている」のように改められなければならない。

[柴田のコメント]
 まず、原文自体が悪文(ドイツ人シュバイツアーが書いた、またはそれを訳した英文)で、本来訳文の検討にふさわしくないものだが、プロの翻訳者たるもの、どんな難文でも一般読者が納得するように読み解かねばならぬ。
 中原自身の訳例だが、「諸種の影響を受けている」では、「諸種が(人間に)影響する」のか「(何かによる)諸種の影響が(人間に)及ぼされる」のか不明で、英文和訳なら○をもらえるだろうが、商品としての翻訳にはならない。ここは、
influences と不可算名詞が可算名詞化されているのだから、総称としての「影響」を「影響する(を与える)人・事・物・状態」などに読み取らねばならない。
 それであえて訳せば…

直訳: 「人生を通じ、現代人は、現代人から自分自身の思考力に信を置こうという気持ちを奪い取ろうという目的に向けられた、影響を与えようとする者たちが対象とするものである」
意訳: 「生涯にわたって現代人は、自分の思考力に信を置こうという気持ちを奪い取ろうと目論む勢力の標的にされている」



④ p5
[中原による原文と訳文引用部分]
 
---Beauty creates as many Woes as it bestows Advantages (not the least of which is the Envy of other Women) ---

 …美貌は利を授けてくれるのと同じくらい(このなかにはほかの女の羨望はこれっぽっちもはいっていません)、多くの災いを惹き起こす…

[中原による直訳と《注》]

直訳: …美貌は利を授けるのと同じくらいに多くの不利を生み出す(そのなかで最小でないもの[→その最たるもの]はほかの女の嫉妬なのです)…

《注》
not the least は「最小でない」の意から「かなり大きい」「とりわけ大きい」の意に通じる表現である。

[柴田のコメント]
 正しいが、文脈次第で「これっぽっちも」の意味になることも書いておいて欲しい(もっとも、「参照」とある本文169ページをみると、
There isnt the least danger. (危険は少しもない)の例が出ているが)



⑤ p13
[中原の解説]
 おおまかに言って、英文和訳における英和の対応は語・句を単位とするが、翻訳のそれは文・節(Paragraph)を単位とする。

[柴田のコメント]
 その通り。英文和訳と翻訳の違いを明快に記している。



⑥ p17
[中原による原文と訳文引用]
 
The 1941 war had affected him little for he was over forty and his employers claimed that he was indispensable. But he took up German he had a German grandmother because he thought that one day this might prove useful, and that was the only new thing that happened to him between 1941 and 1945.
  Graham Green: The Tenth Man

 一九四一年、アメリカ合衆国が参戦したが、彼の生活には何の影響も与えなかった。年齢が四十の坂を越えているので、兵役問題に煩わされることがなく、また彼の将来については、会社の重役たちがみな、この男はわが社に欠くべからざる優秀な販売員だと認めてくれているので、心配することは少しもなかった。そのような彼に憂慮すべき一身上の問題が生じた。彼の祖母がドイツ人だったのだ。しかし彼は、苦しい立場におかれながらも、ドイツ側の支持者であるのを公言してはばからなかった。以上が、一九四一年から四五年までのあいだに、彼が経験した厄介な政治情勢だった。(宇野利泰訳)

[中原の解説]
 参考までに、この英文は英文和訳的に直訳すれば、次のようになる。

 1941年に始まった戦争は彼にほとんど影響を及ぼさなかった。というのも彼は40を越していたし、彼の雇い主も彼が会社にとってぜひ必要な人間であると申し立てたからである。しかし彼は、いつか役に立つこともあるかもしれないと考えて、ドイツ語の勉強を始めた—彼にはドイツ人の祖母がいた—が、これが、1941年と1945年のあいだに彼の身に起こった唯一の新しいことだった。

[柴田のコメント]
 元の翻訳は、まあひどいものだ。昔はこんなものでも商品になったのだろう…いいなあ。中原の訳文は、自身では謙遜しているが「英文和訳」を超えたよい訳文だ。 だが一点、
a German grandmother は「ドイツ人の祖母」かどうか。ここでは分からないが、「ドイツ系」であることもあるので、皆さん、ご注意を。

 

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