2009年9月号(第5回)『forの意味』

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2009年9月号(第5回) 『forの意味』
まず次の詩をとくと味わっていただこう。
I wander’d lonely as a cloud
谷を越え山を越えて空高く流れてゆく
That floats on high o’er vales and hills,
白い一片の雲のように、私は独り悄然としてさまよっていた。
When all at once I saw a crowd,
すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、
A host of golden daffodils,
黄金色に輝く夥しい水仙の花の群れが、現われた。
Beside the lake, beneath the trees
湖の岸辺に沿い、樹樹の緑に映え、そよ風に
Fluttering and dancing in the breeze.
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。
Continuous as the stars that shine
夜空にかかる天の川に浮かぶ
And twinkle on the milky way,
煌く星の群れのように、水仙の花はきれめなく、
They stretch’d in never-ending line
入江を縁どるかのように、はてしもなく、
Along the margin of a bay:
蜿蜒と一本の線となって続いていた。
Ten thousand saw I at a glance
一目見ただけで、ゆうに一万本はあったと思う、
Tossing their heads in sprightly dance.
それが皆顔をあげ、嬉々として躍っていたのだ。
The waves beside them danced, but they
入江の小波もそれに応じて躍ってはいたが、さすがの
Out-did the sparkling waves in glee: —
煌く小波でも、陽気さにかけては水仙には及ばなかった。
A Poet could not but be gay
かくも歓喜に溢れた友だちに迎えられては、いやしくも
In such a jocund company!
詩人たる者、陽気にならざるをえなかったのだ!
I gazed — and gazed — but little thought
私は見た、眸をこらして見た、だがこの情景がどれほど
What wealth the show to me had brought.
豊かな恩恵を自分に齎したかは、その時気づかなかった
For oft, when on my couch I lie
というのは、その後、空しい思い、寂しい思いに
In vacant or in pensive mood,
襲われて、私が長椅子に愁然として身を横たえているとき、
They flash upon that inward eye
孤独の祝福であるわが内なる眼に、しばしば、
Which is the bliss of solitude;
突然この時の情景が鮮やかに蘇るからだ
And then my heart with pleasure fills
そして、私の心はただひたすら歓喜にうち慄え、
And dances with the daffodils.
水仙の花の群れと一緒になって躍り出すからだ
 ご存知、ウィリアム・ワーズワース『水仙』。平井正穂(東大名誉教授、故人)の訳文(岩波文庫)は丁寧で分りやすが、一箇所、意味が取れないところがある。第4連「というのは…躍り出すからだ」は、第3連末尾「…、その時気づかなかった」の理由として提示されているようだが、論理がすんなりつながらない。「(見た当時)その光景の功徳に気づかなかった」わけは「(後になって)夜中に水仙の光景を思い出して心がうち震える」からである、とはいえないだろう。  
 英文学の大家でも、このように
for とくるとパブロフの犬的に「というのは…だからだ」とやってしまうのが、恐ろしい。おそらく誰にでもある、少年期の英単語丸暗記の影響だろう。そこで簡単に、理由を示す接続詞の復習を—



◊ 理由を示す接続詞の分類
強さの順:becausesinceasfor
既知の理由を導く:since, as  未知の理由を導く:because, for
等位接続:for 従位接続:because, since, as



◊ 接続詞 for の特徴

文語的、補足的、主観的、個人的、前後を結ぶ論理性が薄い



◊ なぜ for を「というのは…だからだ」と訳せないことがあるのか

経験では八割方「というのは…だからだ」と訳しておかしくない。だが残りの二割につき、この訳語で通そうとすると意味がわかりにくくなる、あるいは論理が読めなくなる。  これは
for が等位接続詞であることが大きい、と思う。従位接続詞が、主文に寄り添おう、寄り添おう、とするのに対し、等位接続詞の for は、気位が高いというか気儘というか、主文にぴったり付いたり少し離れたり、する。



◊では for をどう訳せばよいか ?

「というのは…だからだ」と訳しておかしくなければ、そうしてよい。
おかしいと判断されたら、前後をゆるく結ぶ訳語を適宜考える。
 例えば「それで」「そもそも」「なにしろ」「おわかりだろうか」
「…ですからね」など。



例1:譲歩に訳す

“Nothing in particular, she replied. I might have been incredulous had I not been accustomed to such responses, for long ago I became convinced that the seeing see little.
(目の不自由な著者が、森から戻った健眼者に、何を見てきたかと尋ねると…) 「別に何も」と相手は答えた。眼の見える人がものを見ていないのを知っているからよいようなものの、そうでなければこうした答えに大いに驚いたことでしょう。



例2for を訳さない

The designers of modern architecture believe that in developing and perfecting it so as to answer this century’s problems and to be in tune with its outlook, they are helping at the revival of architecture as a live art. For it is a mistake to suppose that, because modern architects are particularly concerned to relate buildings more closely to the needs they have to serve, they are only interested in the practical side of architecture.
現代建築の設計者は、建築を進歩発展させて今世紀の諸問題を解決し、建築のあるべき姿にふさわしいものたらしめようとすることで、建築を生きた芸術として復活させる役に立っていると確信している。  現代の建築家が、建築物に課されている役割を十全に果たさせようと努めているがゆえに、彼らが建築の実用面のみを考えていると思うのは誤りである。

 では、『水仙』の
for の訳はどうすればよいだろう。一案を示します。皆さんなら、どう訳されるでしょうか。




私は眺めた—さらに眺めた—だが、ほとんど考えもしなかった。
この光景がいかなる幸福を私にもたらしたかを。

それが、虚ろな、あるいは悲しい気分で
時々、寝椅子に横たわっているとき、
独りでいる至福そのものたる心の眼に
あの水仙がぱっと浮かぶのだ。
すると私の胸は喜びでいっぱいになり、
そして水仙と共に踊りだす。



   

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