現代フランス演劇傑作選

訳書『現代フランス演劇傑作選』の内容の一部をご紹介します。


フランソワーズ・サガン作
とげ(棘) L’ECHARDE


一幕三場

[ストーリー]――夏のバカンスも終わりに近い頃。閑散としたパリの場末のホテル。滞在客の自称「女優」エリザベットと、田舎から出て来たばかりのルーム・ボーイ、ルシアンが出会う。エリザベットは売れない女優だったが、数年前の交通事故が元で身体と心に障害をきたしている。愛人である青年イヴァンが時々面倒を見に来るが、二人の仲もそろそろ終わりに近い。演劇好きの少年、ルシアンのために、エリザベットはイヴァンを引き込み、「椿姫」の試演会を催すが、気持ちの行き違いがそこであらわとなり、イヴァンは去って行く。

エリザベットの演劇に寄せる情熱に感動したルシアンは、絵空事とわかっていながらも、彼女を先生として立て、空いている時間に芝居の稽古をつけてくれるよう提案する。


【キャスト】

エリザベット……売れないが心優しい(元)女優。交通事故のため体と心に障害をきたしている。演劇への情熱は今も一汐。

ルシアン…………ホテルのルーム・ボーイ。入試に失敗し、田舎から出てきたばかり。演劇が大好き。

イヴァン…………エリザベットの愛人だが、今の二人の関係にうさうさしている。野心も希望もあるが、満たされていない。影のある二枚目。


第一場

安ホテルの一室。壁じゅう写真だらけ。長イスに寝そべったエリザベット、『映画世界』を読んでいる。
ルーム・ボーイ、ルシアン、盆を持って登場。


エリザベット そこに置いといて。あなた新しい人?
ルシアン ええ、初めてなんですここが。
エリザベット 「初めてなんですここが」いいデクラメーションね。
ルシアン デクラメーション?
エリザベット そうよお芝居の。仕事ですもの耳は確かよ。
ルシアン 仕事って?
エリザベット お芝居が仕事なの、演劇やっているの。いいこと私、舞台女優なのよ。
(翻(ひるがえ)って)お盆置いたらどう?

ルシアン 夢みたいだ。
エリザベット どしたの、お盆よ。
ルシアン あ、ごめんなさい。僕、演劇がやりたいんです。
エリザベット あらそれはいいわ。あなた位の年って映画にしか関心ないのかと思ってたけど、あんなものはね。あなたお国どちら?
ルシアン ジェリーです、オーベルニュの。ここには昨夜着いたばかりなんです。試験に失敗して、クニには仕事もなかったもので。いけない、つまらないこと話して。
エリザベット いいのよ。俳優は――もちろん。本当の俳優のことよ――たわいのないおしゃべりも自分の人生の糧(かて)にしてしまうものなの。こういう雑誌よく読むことおあり?
ルシアン それが、田舎じゃ手に入らなくって。床屋で番を待つ時に読めるくらいです。
エリザベット じゃ私の名前、まだきっと聞いたことないわね。私、エリザベット・マドランよ。
ルシアン エリザベット・マドラン?
エリザベット そう。ほらあの写真、全部私よ。オフェリア、ベレニス、エレクトラ、椿姫、フェードル、数えられないわ……。今は思うところあってこうしてひっそり暮らしているけれど。どんな台詞だって、糸をあやつるようなもの――
 「虚飾の飾り、この面紗(ヴェール)の重きこと
  忌々しき手の綾なせる
  わが頭(かしら)の上(え)に束ねし髪……」
  ラシーヌよ。
ルシアン ラシーヌ?
エリザベット ええ。お茶下さるかしら。ちょっとした事故が尾をひいててね。

  ルシアン、震える手で茶を注ぐ。

  別に緊張することないのよ。さあお座(すわ)りなさい。お話でもしましょ。ええ、え、勿論そんなに時間はないの、でも、少しくらいならいいの、あなたもいいんでしょ。みんなバカンスに出掛けてしまって、ここもガラガラですものね。
ルシアン すみません、あの、あつかましいようですけど、僕、本当に演劇のことばかり考えてきたんです。十二の時でした、劇団が廻ってきて、その時から僕ずっと……。 エリザベット 何を演ったの?
ルシアン 「瞼の父」です。誰の作品か知らないんですけど……。
エリザベット 誰も書いてないわ。
ルシアン とても巧かったんですよ。
エリザベット でしょうね……生活がかかっているから。立派だわ、その人たち。ドサ廻りでも立派な役者よ。誇りを持って、すばらしい。握手したいくらいだわ、同じ仲間ですもの。
ルシアン (丁寧に)その通りだと思います。
エリザベット ところであなた、エリザベット・マドランがこういうつつましい宿(ホテル)で何をしているのか気にならない。
ルシアン ここ、そんなにつつましいですか?
エリザベット つつましいわ、いえ貧しい、かしら。私、住まいはクリヨンと決めているの、コンコルド広場の。でも今ひそやかに、ここにこうして居る。というのは、実はシーズン明けにとてもいい役をやることになったの。アンバサダー座でね。その役、ヒロインなんだけど、とっても貧しいの。で私は、先ず身を以ってそれを体験しようというわけ。エリザベット・マドランの庶民生活、面白いじゃない。
ルシアン そう……ですね。ぜいたくな生活を振り切るなんて、例え役作りの上からと言っても、大変な思い切りがいるんでしょうね。
エリザベット 思いきりとは言わないわ。そういうの役者言葉ではね、芸術的良心って言ってるの。まだまだそういう職人かたぎの人って多いのよ。役者バカっていう程打ち込んでしまって他の事にはわき目もふらない。こういう良心があってこそ、世に光り輝く名声も得られるんだわ。(確乎として)これ以外はダメ、作家と寝たからって。私はいつも舞台の上で勝負してきたわ、ベッドなんて論外!
ルシアン ええ知ってます……関係をつけて女優にって考えてるのが多いって。
エリザベット その通りなの。あたしはデビューの時から絶対いやだった、そういうの。あっという間に売れてしまったのは幸運すぎた。栄光の座は太陽、時としてじっとつかんでいるのが難しい太陽。目が眩(くら)むもの。
ルシアン すてきなお言葉ですね。
エリザベット クローデルやシェークスピアのお芝居をやるには詩的感受性がなければ駄目。お砂糖一つ下さる。

  ルシアン、立つ。

ルシアン (砂糖を持って)ここには長くいらっしゃる予定ですか。
エリザベット 事情によるわ。十日か、二ヶ月か。周りじゃせかせたがるけれど。別にあたしの気まぐれからじゃないの。或る朝目が覚めて、自分のやる役の感じがパッとつかめたらね。それ迄は苦痛よ。莫迦みたいでしょ、でもこんな莫迦がとてもいいんだな、あたし。あなたもこの仕事に憑(つ)かれてみなきゃ。
ルシアン 僕がですか?
エリザベット そうよ、あなたも。いつまでも安ホテルのボーイでいる気はないでしょ。やってみるのよ、男じゃない。
ルシアン でも僕、試験にも落ちたし……。
エリザベット それがどうしたの、つまらない免状一枚。私が出してあげる。私だって大学出てる訳じゃないわ、でも舞台、舞台が大学なのよ。
ルシアン こんど演るとき観せてくれますか?
エリザベット それより、自分で演ったらどう。
ルシアン 僕が?
エリザベット そんな顔することないわ。ロドリーグはちょっとダメね……体格が向いてないし。でも現代作家のものだったら、アポロンの肉体が必ずしも要るってものでもないし、却って花車(きゃしゃ)な方がらしくていいわ。戯曲はしょっちゅう読んでいるんでしょ。
ルシアン 家の革細工の仕事を手伝わなきゃならなかったもので、時間が……。
エリザベット 俳優になりたいんでしょ、なら読まなきゃ。棚にある本とって。ミュッセ……今晩読むの。
ルシアン できるかなあ、大事に使います。
エリザベット うんと読みこんで。ミュッセはあなたのような若くて純潔な青年の情熱的な手に委ねられるべきです。純潔っておわかり?
ルシアン ええそのでも……クニにいた時、獣医の奥さんがいて、みんな……。
エリザベット あら、そんな意味じゃないの。心の純潔のこと。
ルシアン それならええ。
エリザベット 今夜読んでごらんなさい。読んで、泣いて溜め息をついて、明日になったらどうかしら、演劇の虜になったあなたの情熱的な眼差(まなざ)しを期待しているわ。
  「いともあやしき女優を知らざりけりや。その野生の叫びは歓喜の魂よりほとばしり出で、汝が頬の青さをばいや増しにするをなしたり。
  タタタタタタタタタタタタ、
  而して苦悩を愛するは神を試みるの技(わざ)なり」。
  ミュッセの「マリブランヘのスタンス」。このため女は死ぬの。
ルシアン 何のためですって?
エリザベット 演劇に対する愛のために。そういう事ってありうるのよ。

  ルシアン、出て行こうとする。

エリザベット そう、忘れていた、大事なこと。私、ここには偽名で泊まってるの。わかるでしょ、むやみにさわがれたくないから。誰にもいっては駄目、約束してくれる?
ルシアン 勿論です。

  戸が開き、イヴァン登場。影のある美青年。

エリザベット あらあら、イヴァン。

  エリザベット、起き上がりよろよろと彼の方へ。

  待ってたのよ……。

  (じっとしているルシアンに)

  ルシアン、続きは又にしましょう。お盆は持って行って下さる、ありがとう……ルシアン、忘れないで、ミュッセよ。

  (イヴァンに)

  ルシアンはお芝居を目指しているの。
ルシアン ええ。
イヴァン (冷たく)サインでもあげたら。

  ルシアン、ミュッセを持ち退場。

  何さ、あれ。(と戸口を指す)
エリザベット 新しく入ったボーイ。可愛いでしょ。もうとってもお芝居に夢中なの。あの子、私のこと知っていてね、だからもう……。
イヴァン (かぶせて)エリザベット。
エリザベット 何、イヴァン。
イヴァン きいてくれ。(間)医者に行ってきたよ。レントゲンを見てもらった。
エリザベット (平静に)それで。
イヴァン 今のところ別のリハビリは必要ないってさ。ただ脊椎の側(そば)の神経がちょっと……君の場合、うまくないらしい。つまりもう少しじっとしてるのが一番だって。
エリザベット もう少し、もう少しって、もう二年になる。これ以上耐えられないわ。
イヴァン 耐えるんだ。
エリザベット どんな二年だったか分かる?
イヴァン わかってる積りだ。
エリザベット (厳しい口調で)もっけの幸いね。愛人は体が不自由だから、まとわりつかない。あなたは一日に一時間だけおなぐさみに来ては帰って行く。私をこんな風にしておいて、どうしようと言うの――お芝居の方はどうなってるのよ。
イヴァン 芝居。芝居って言ったって……たった二つの台詞のために三時間も稽古をとられるなんざ……。
エリザベット (怒り気味)そんな話はもう沢山。
イヴァン ああそうだろう、君がさんざんしたんだから。
エリザベット 私はフェードルを演った。
イヴァン アマチュア・フェスティバルで十二人の学生相手に。
エリザベット (せき込んで)アヌイだってやった。
イヴァン 台詞三つだろ。
エリザベット (ますます興奮して)完璧だった、申し分なくやってのけた。
イヴァン 黙れよ、エリザベット。
エリザベット (重く)やよ、やめないわ。絶対。聴かなきゃいや。ずっとずっと――あたしは女優よ。
イヴァン (溜め息混じり)よしよし、わかった。
エリザベット (すねて)あなたは負け犬よね。
イヴァン そうさ。
エリザベット あなたにはやれっこない。
イヴァン ないさ。
エリザベット 本当にそう思ってるなら誓って。
イヴァン 誓う。
エリザベット (不安げに)で、私、未だ演れるかしら。
イヴァン ああ、ああ……。
エリザベット 誓って。
イヴァン (無気力に)そうさ、神かけて。
エリザベット 結構よ。(間)
イヴァン じゃ、飲んで。よく眠れたかい?
エリザベット ちょっとスイミン薬のお世話になるけれど、よく眠れたわ。イヴァン、外のお話して。ここは時々退屈するの。
イヴァン 外の……そうだな……パリは今頃いい日和だ。マロニエの釣鐘のような実が目に映り、地面に散り敷いた葉っぱの上を音もなく、僕らは歩く――まるで泥棒だ。
エリザベット 外って……お芝居のことを言ったの。イヴァン、役を降ろされたときマリブレは何と言ったんでしたっけ――夕べからこればかり考えてたのよ。契約上のことはともかく、開幕が一週間も遅れてるんですもの――彼女には誰が伝えたんでしたっけ。
イヴァン (辟易(へきえき)して)芝居、芝居、それしか頭にないのかい。
エリザベット ええ。(間)お芝居とあなた、だけ。どっちももうだめみたいね。(間)
イヴァン 彼女に伝えたのは、ランビエだったと思うよ。ランビエが舞台稽古を中止したんだから……。
エリザベット イヴァン、いい考え。手伝ってね、お願い。衣裳は、あなただったら何とかなるでしょ。
イヴァン (悪い予感)衣裳って何?
エリザベット きいてイヴァン、あなたいつも衣裳係の女の子といるんでしょ……ソランジュとかいう。
イヴァン (驚いて)いや、いいかい、それは君がつまらないことをくどくど言うからつい口がすべっただけで……。
エリザベット いいのよ、いいの。でも私のいうこと聞いてくれたら本当にありがたいわ。イヴァン――いい私、ルシアンのこと考えたの、あの子にしてあげられる最高のプレゼントをするのよ、私たち。

第二場

エリザベットとルシアン
エリザベット、長椅子に横になったまま、メイクを整えながらルシアンに言いつけている。

エリザベット その腰掛け、ここ。テーブルはそっち……小卓(だい)の上に花を……幕……(窓を指して)引いてちょうだい……劇場はね、教会なのよ。
ルシアン (感激して)僕、本当にありがたくて……。
エリザベット 花、もうちょっと右にして……灯(あかり)はと……それ(雑誌か紙)カサにかぶせて。光が柔らかくなるでしょ――
  言ったわね昨日、特別に観せてあげるのよ、生のお芝居が一体どんなものか。あなたに教えてあげたいの。ほら、花、もうちょっと左って言ったでしょ。
ルシアン 右ってさっき……。
エリザベット 左よ、左。
ルシアン ごめんなさい。
エリザベット テーブル、もっと遠くにして。観客の邪魔になるから。
ルシアン 観客?
エリザベット 一人しかいないのにって言うんでしょ。本物の役者はどんな時でも大観衆を意識しているものなの。勿論、天井桟敷にいる、それも劇がみたくてみたくて、やっとチケットを買った若者のことまで計算に入れているの。現に今日はこうして、わざわざあなたの為にだけ演るんですものね。
ルシアン 何をやるのか未だ教えてくれないんですか。
エリザベット それは最後のお楽しみ。イヴァンが衣裳を運んできたら、お部屋から出てってね。そして三回鳴ったら入ってらっしゃい。
ルシアン えっ?
エリザベット 三回こちらで鳴らしますからね……。
  二十世紀フォックスには断りの電報打っておいてくれた?
ルシアン 今朝局へ行きました。勿体ないなあ。
エリザベット どうして。映画なんておかねかせぎじゃない。お芝居こそ、私の情熱のほとばしりなんだわ。そりゃ、マスコミの仕事をすればお金は入る。でも芸の足しにはなりゃしない。

  イヴァン登場。包みをかかえている。虚ろな様子。

エリザベット (微笑んではいるが、きつく)あら来たのね。遅いじゃない。
イヴァン (だれて)払い戻しした方がいいんじゃないの。やあ。

  とエリザベットにかたちだけのキッス。

ルシアン こんにちは。
イヴァン (ルシアンに)ああ、どうも。うれしいかい――お気に召すようだね。
ルシアン (うれしくてたまらず)一晩中興奮してました。
イヴァン そりゃよかった。
エリザベット 出てルシアン。衣裳合わせをするから。これからいよいよ本番、ベル代わりに壁を三回たたくわね。

  ルシアン、期待に胸ふくらませて出て行く。

イヴァン (包みを解いて)向こうも向こうなら、こっちもこっちだ、馬鹿バカしい。
エリザベット バカバカしくなんてないわ、あんなに喜んでるじゃないの。有頂天よ。
イヴァン あんたも、だろ。
エリザベット だったら何。
イヴァン まあいい……(と包みを解いて)――上下そろわなかったんだ……ほら台本。
エリザベット (本を足でイヴァンの方へ戻す)
  台本? 冗談でしょ、私すっかり入ってるわ。
イヴァン (トーンを変えず)これは失礼、でも僕の方は時間がなくて覚えられなかったんだ。幕あけ、おくらせようか。
エリザベット (命令調)じゃ読んでもいいわ。さあ衣裳つけて。
イヴァン 本気でオレにつけろと言ってるの。
エリザベット 背広姿じゃおかしいでしょ――(甘く)ねえ、お願いだからそうして。
イヴァン お願いしたいのはこっちだよ! まあいいや、(と包みの中にくちゃくちゃになっている衣裳をつかむ)着替えるとするか。(引っ込もうとするが、ふと立ち止まり、毒のある冗談)観客はどこにいらっしゃるのでしょうか。
エリザベット (乗らず)観客? (椅子を指し)あそこ。私が咳を二つするから、そしたらあなたお風呂場の方から来て……。私を視るけど、しばらく黙ったまま……それからかけ寄ってきて……ひざまずくの……で……。
イヴァン 君、演出もやるの。
エリザベット 他に誰がやるの。
イヴァン 誰も。(と出て行く)

  エリザベット、もう一度メイクを確かめ、肩にショールをかけ微笑む。

イヴァン (オフで)ズボンが小さくて。合うのはフロック・コートだけだ。
エリザベット いいわよそれで、手に帽子持って。いい。
イヴァン (オフ)OK。風呂場にいるよ。
エリザベット 緊張して、さあ行くわよ。

  エリザベットは杖の先で三つ、壁を強くたたく。ルシアン、すぐあらわれ椅子につく。

イヴァン (ソデで)咳、まだ?
エリザベット すぐよ!

  と二回咳する。

イヴァン (手に台本を持って登場。全く気が入っていない)
  私だ、マルグリット……この家の敷居をまたぐのに……何度ためらい身もさかれる気がしたことだろう――恥じているんだ、街なかに佇(たたず)み泣きながら祈った。どうか私を許してくれ!
エリザベット (朗々と)許すですって。私こそいけなかったの。でもあれが精一杯だったんです。あなたの幸せのためにこの身は捧げるつもりだったんですもの。でもあなたのお父様が許して下さったというからには。(間――低く)ひざよ、イヴァン。
イヴァン (ひざまずいて、手に台本。棒読み)
  もうお前を離すものか。マルグリット、今すぐここを二人して出よう。妹は結婚した、僕らに未来は開かれたんだ。
ルシアン あの――。
イヴァン (ルシアンに、挑むように)何だよ、この出しものはお気に召さないか。
ルシアン (びくついて)いえ、そんなこと絶対。
エリザベット (穏やかに)いい、でしょう。
ルシアン ええ、すてきです。
エリザベット (とても優しく)それで……どうなの、ルシアン。
ルシアン その、イヴァンさんが出て行くのと妹の結婚とどういう関係があるんでしょうか。
イヴァン (ひざをついたまま)ああ、そういうことか。君は、椿姫の話、知らないんだな。
ルシアン いえ、知ってます。
イヴァン じゃ……。
ルシアン 話はきいたことあるんですけど、読んだこと未だないんです。
エリザベット (有無をいわせず)いいじゃない、イヴァン。筋を知らない観客がいるなら、それ相応にしなくちゃね。(優しく)いいことルシアン、私は19世紀のオイランなの。
イヴァン (立ち上がり)つまり高級娼婦のことさ。
エリザベット 名前はマルグリット・ゴーチェ。男を食いものにして生きてきた女なの。
イヴァン 酔狂がいたんだ。
エリザベット (怒って)イヴァン、黙って下さらない。(怒りを抑えて)アルマン・デュヴァル(と、イヴァンを指す)に会うまでは、奔放に男たちと暮らしてきた。ところがこの人を知ってから片時も離れられなくなってしまった。
ルシアン (とみに興味をそそられて)でこの人は(と、イヴァンを指す)さんざん男たちにもてあそばれた女を愛するんですか。
イヴァン (うんざりして)えっ? そりゃ僕は心の広い男だから……わかってくれ。
エリザベット (優しく)彼の心に雷鳴が走ったの……全てを忘れ、全てを許し……(間)……とても幸せな二人の生活。そこにアルマンの父親が言ってきた。息子と別れてくれって……つまり娘が名門のお坊ちゃんと結婚することになったんだけど――。
ルシアン ええ。
エリザベット 向こうは断ってきた、私がいるから。評判の悪い女ですものね。
ルシアン であなたはその通りにしたんですか。
エリザベット ええ身を引いたの。
ルシアン (納得できず、イヴァンに)聞いていいですか。でも若し妹の許嫁者が本気で妹に惹かれているとしたら、そんなこと関係ないんじゃありませんか。
イヴァン いい加減、腹が立ってきた。
エリザベット (割って)イヴァン、押さえて。
  (ルシアンに)この頃はモラルってものがあったの。だから私は身を犠牲にする。アルマンにもう愛してないって言うの。身をかくして、結核になるのよ。
ルシアン ケッカク?
エリザベット (少しいらいらして)そう。当時、恋の病は結核になったの。ルシアン、もうちょっとわかってくれないと困るわ。
  (ハリのある絶対的な調子で)故に私は死んでゆく。アルマンの父親がそれを知って彼に真実を話す。アルマンはすると、もうどうしようもない、取りかえしのつかない気持ちで一杯になって、私の赴(もと)へかけこむ。そこからが今のシーン。
ルシアン (少し安心して)あ、じゃ、うまく行くんですね。
エリザベット (いら立ち)違うの、あたしは死んでしまう。遅すぎたの。(熱に浮かされるように)いい、少なくとも女優の名に値する者にとって、舞台の途中で茶々を入れられるのは、もう例えしようもないことなのよ。感情移入を初めっからやり直すのだもの。
  (死にゆく振りをする)さあどうぞ、アルマン。
イヴァン (再びひざをついて)こっちじゃないだろ。(手に台本)僕が「妹は結婚した、未来は僕らに開かれたんだ……」と言って、それを君がうける「ああ、話して……」とか。
エリザベット あ、そうね……(目の前に手をやり)。ああ話して、あなたの言葉が私に生の息吹を与えるよう。あなたの吐息が私の体をよくしていくみたい。今朝、私……(間、イヴァン動かず)ああ駄目、思い出せない……穴よ……ポカ、ルシアン。これがお芝居のこわいとこなの。
イヴァン (たしなめて)君がじゃましたからだ。
ルシアン (ショックをうけ)ごめんなさい、ごめんなさい本当に。
  (半ば腰を上げ)あの僕、お邪魔でしょうか。
イヴァン 出てけって――言うところだ。客が一人じゃなきゃな。
エリザベット (目を見開き、気をとり直し)平気、いいの、いいのよ……(集中して)さあ、続けましょう。
イヴァン 私は愛に生きた、そして愛に死ぬ。
エリザベット (不安げに)もう決して離れないって約束して下さる?
イヴァン (嘘をついて)違うだろ……君はセキしてこう言うんだ、「私は愛に生きた、そして愛に死ぬ」エリザベット あら……もう少し何かあるように思ったけど……それであなた、何て答えるの。
イヴァン (読んで)こうさ、「君は生きるんだ、何としても」。
エリザベット あ、そう……ちょっと待って……(集中し、咳する)「私は愛に生きた、そして愛に死ぬ」。
イヴァン 君は生きるんだ、何としても。
エリザベット もっともっとそばへ寄って、アルマン。私のいうことを聞いて欲しいの。今迄懸命に死と戦ったわ。口惜しいけど、もう負けよ。死に感謝してるの私。だってあなたが来るまで私を待っていてくれたんですもの。

  軽く長椅子をたたく。

イヴァン そんな話し方止めてくれ。気がおかしくなる。
エリザベット いいから、そこに掛けて。
イヴァン いやもう沢山だ。下らないことをくどくど、オレは本当におかしくなっちまう。もう終わりだ。(のびあがり、フロック・コートをはずす)ただのお道化なら、それはそれでいいさ。でもこんなお上り坊やのための道化なんざ――こいつは芝居をかじったつもり、あんたは濡れ場を演じたつもり。いい加減にしてくれ、じゃオレは一体どうなるんだ。
  只働きの看護人、人類愛の奉仕者か。
ルシアン ここも劇なんですか。
イヴァン な訳ないだろう。生(なま)の人生だ。エリザベット、僕だって外に出れば人並みで陽気な気のおけない仲間がいるんだ。未だ二十五だオレは。もう限界だ。いいかよく聞け、これでお別れだ、二度と戻ってこないからな。
エリザベット (焦って)アルマン!
イヴァン イヴァン、アルマンじゃない。君はいつもそれだ。安物の夢にひたって、色あせたポートレートに取りまかれ、「栄光」のキャリアの中で生きるがいいさ。オレはもうイヤだ。こんな茶番や絵空事。心の底から笑いたいんだ、人生を楽しみたいんだ。
エリザベット イヴァン、行かないで。イヴァン。

  戸をバタンと音たて、出て行く。

ルシアン 先生、泣かないで下さい。戻ってきますよあの人。僕がいけなかったんです。つまらない質問していら立たせたから。

  エリザベット、泣く。

  お仕事のことを考えたら。さっき言った素晴らしい言葉、思い出してください。「愛のために生き、愛に死す」って。あの言葉、僕ドキッとしました。本当です。なんで泣くんですか先生。あの人、絶対帰ってきます。先生、しっかり、人ぞ知るエリザベット・マドランでしょ……先生……。

第三場

イヴァン、ルシアンを前に押しやりながらあわただしく部屋に入ってくる。

ルシアン 僕はあなたに言うことなんてありませんよ。あなたの仰しゃることもわかりませんし……マドランさんは出かけてるんです。
イヴァン 医者だろ、知ってる。その事で君に言っておきたいことがあるんだ。
ルシアン 僕に言ったって仕様がないですよ。それよりマドランさんに謝って下さい。おとといから泣いています、あなたのせいです。そりゃ僕には関係ないことかも知れないけれど、正直言ってよくわからないんです……。
イヴァン 何がわからない。
ルシアン どうしてあんなすげなくするんです。名声も才能もある女性を。映画のワンシーンに出るだけで10万ドル、それを惜しげもなくケッちゃう人ですよ、芝居以外には興味がないって、そんな人って……。
イヴァン 10万ドルだ。何の話だい。
ルシアン (揚々と)何だ、知らなかったんですか……実は僕が断りの電報出したんです。オーベル街3番地、二十世紀フォックス社に。マドラン女史は貴下の希望に沿いかねます、って。何しろ三日前僕が責任持って打ったんですからね。
イヴァン へえ、でサインは何てなってた。
ルシアン エリザベット。(復唱して)「10万ドルの仕事ありがたけれど、今は孤独を好む。エリザベット」
イヴァン そりゃ、フォックスの方も驚いたろう。今頃泣きころげてるぞ、きっと。君は本物のバカなのか。
ルシアン 利口とは言えませんけど、それが。
イヴァン (打ちとけて)男同士の話がしたい。
  いいか、よく聞いてくれ。エリザベットの当面の生活費としていくらか用意してきた。僕からだと言って彼女に渡して欲しいんだ。もう会う気はないから。
ルシアン そんなもの受け取りませんよ、お金持ちなんだから。
イヴァン 金持ちがどうしてこんなオンボロホテルに泊まってる。
ルシアン 訳があるんです、みんな話してくれました。今度貧しい女の訳が廻ってきたので、庶民生活を実地に経験してみようって――わざわざここに居るんです。
イヴァン そう言ったのか。芸熱心にも、庶民生活を体験するって。
ルシアン あなたは間違ってますよ。あの人のような女性にもう絶対会えっこないから。大女優ですよ。一年前、あの人のために自殺したペルーの銀行家がいたんです、翌日にはその弟がこんなに大きな蘭の花束を届けて来て……。
イヴァン いいかい、落ち着いてきくんだ。エリザベットは何者でもない――無名の誇大妄想狂――雑誌に名前が出るわけない。
ルシアン 嘘だ!
イヴァン じゃ言おう。確かに彼女は役者だった――僕と同じ売れない、ね。僕は未だ二十五だ、これからチャンスもある。でもあれは駄目、お払い箱にされたんだ――なのに夢は消えない。二年前、どっかからちょっとした遺産が入ったんだろ、僕の面倒をみてくれていた。中古だかM・Gを買ってくれてね。ある夜、僕はほろ酔い加減で車をころがした。スピードを出した揚句、プラタナスの木にぶっつけちまったんだ。こっちは何ともなかったけど、彼女の方は(腰を打った身振りをする)……判ったかい。それでおしまい、いつもお百度(ひゃくど)ふんでやっともらう二こと三ことの役もサヨナラさ。何もかもおしまい、ドサ廻りの仕事すら来ない。以来、頭がどうかしちまって――だって芝居だけが生きがいだったんだものな。爪の奥の小さなトゲみたいにいつ迄も消えないのさ。しかも文無しだ。だからここに住まわせた、宿代がタダ同然だからな……さあ(金をさし出す。重い間)。でもあれは本当は優しくって気のいい、不幸にめげず生きている強い女なんだ。君さえ、もし、不甲斐ない僕の代わりに……
  (間)
ルシアン 本当なんですか。
イヴァン えっ。
ルシアン 嘘だって。本当なんですか。
イヴァン ああ。
ルシアン だったら何故僕にあんなこと言ったんだろ。何にもなりゃしないのに。
イヴァン 君が信じてくれるからさ。そのうち自分でも本当のような気になっちまうんだ。(間)
ルシアン (夢みがち)でも、あの人はぼくのこと思ってくれたんだ。
イヴァン (面喰って)何だって。
ルシアン そうとも。僕が演劇に夢中だっていったから、わざわざあんなことまでしてくれたんだ。安ホテルのボーイのためにあんなことしてくれる人、他のどこにいますか。
イヴァン 君は未だわかってない……。
ルシアン わかってますとも、とてもよく。クニでしたいと思っていた事、この一週間実現していたんだもの。あの人のお蔭です。舞台の実際もみせてもらえたし、お使いで映画会社に電報も打った。ミュッセを勉強した。女優の生活も話しきかせてくれたんです。
イヴァン (怒鳴って)うそっぱちをか。とんだ大嘘なんだよ。
ルシアン あなたには。
イヴァン オレにはだって、おかしいな君。
ルシアン 例え嘘にしても、僕は楽しいし、希望がふくらむんです。あんな事って言うけれど、そのいちいちを僕、うれしく思い返してます。
イヴァン 止めろ、泣きたい気持ちだ。さあ渡してくれこの金、あとから又、送る。
ルシアン もう戻らないんですか。
イヴァン そうさ。
ルシアン あの人はどうなるんです。
イヴァン できるだけのことはやったんだ。
ルシアン 無名でも、金持ちでなくても、なんだろうと、あの人はあなたと同じじゃない。冷静になれれば全てが変るのに……。
イヴァン 黙れ!
ルシアン 誰があの人の面倒をみるんですか。
イヴァン 昔の友達がいるさ、妹も芝居仲間も……オレの知ったことか。
ルシアン そうは言っても。
イヴァン ああ問題が別だっていうんだろ、そんなことは百も承知さ。オレにどうしろって言うんだ君は。もういやだ、これ以上!……好きな女がいるんだ、同い年の、芝居なんかやってない娘(こ)だ。
ルシアン マドランさんに比べたら、他の女(ひと)は却って現実的すぎやしませんか?
イヴァン 現実的、ああ結構じゃないか。そんなにエリザベットのことが心配なら、自分で面倒をみろよ。
ルシアン いじわるですね。僕は他意なしにあの人を素晴らしいと思ってる。それだけです。
イヴァン なら、行くぜ。さよなら

  ドアの方へ向かう

ルシアン あの……イヴァンさん……もし戻ってくるとしても……あの人には言わないでください。
イヴァン 何を。
ルシアン 僕に言ってしまったって……。
イヴァン 僕はもう会うこともないさ。

  出て行く。ルシアン一人。エリザベット、二本の杖にようやくすがって入ってくる。

エリザベット 今日は、ルシアン! あらどうしたのそんな顔して。
ルシアン いえ、何でもありません。
エリザベット イヴァンからは知らせない?
ルシアン いえ別に。何ですって、お医者さん?
エリザベット 特には。全くやになっちゃう、町医者には。あたしを診察できるからってもう大変、一生病気のままにさせておきたいみたい。でもダメ、はっきり言ってやった、もうすぐ稽古に入る都合があるの、しびれだろうがマヒだろうが強引に直してみせるって。
  (横になる)
ルシアン そうですとも。枕、出しましょうか。
エリザベット 結構よ、優しいのね、ルシアン。
ルシアン (間)フォックスから返事きました?
エリザベット 夕べ電話もらったわ。どうしてもって言うの、断るのに苦労しちゃった。
ルシアン 気分を害したんじゃないですか、先方は。
エリザベット いえいえ、みんないい人たちよ。よく判ってくれた。
ルシアン 先生、もし先生さえご迷惑でなければ――イヴァンさんも今いないことだし、二人とも午後は空いてるんですから――若しよろしければ、その……。
エリザベット ほら、はっきり言いなさい、口ごもらずに。若しよければ何なの?
ルシアン はい、台詞の稽古台に僕を使っていただけないかと思って。勉強したいんです!
エリザベット あら!……大した度胸だこと。
  (間)だからって、いけなくないわ。教えてあげる、ええ教えてあげますとも私の秘密を全部。今迄は誰にも教えなかったのよ、でももうそろそろ自分が目立つより、若い才能をきらめかせるお手伝いをしてもいいのかも知れない。いいわ、ルシアン、やりましょ。
  (手を握る)
ルシアン 本当ですか先生。感激です、先生。
  (彼女の手に口づけする)
エリザベット (いい気分になって)さあ、じゃ、すぐ始めましょう。え、私の台詞は大丈夫。その台本持って。イヴァンさんがお風呂に忘れていったフロック・コート持ってらっしゃい。きっと明日とりに来るわ。今頃きっと後悔してるのよ、あの人。だからかえって戻ってこれないのよね。コート着けたら、テキスト読みながらこっちへ来るの、いい、「私だ、マルグリット、恥じているんだ、悔やんでいる……」82ページ。
ルシアン でも、本当にいいんですか、僕で。
エリザベット ええ、いいのよ。エリザベット・マドランがホテルのボーイに演劇教室を開くの。

  ルシアン、風呂場の方へ行く。

  テキスト、お持ち?
ルシアン ええ。
エリザベット フロック・コートは?
ルシアン 大きすぎますよ。
エリザベット いいじゃない。ふたつ咳するまで待つのよ、いい。
ルシアン ええ……82ページ。
エリザベット 緊張して。行くわよ。

  きちんと座る。壁を三度たたき、二度セキをする。ルシアン登場。フロック・コートがだぶだぶ、こっけいだが本人は大得意。

ルシアン (読んで)「私だ、マルグリット……この家の敷居をまたぐのに……何度ためらい身もさかれる気がしたことだろう――恥じているんだ、街なかに佇み泣き乍ら祈った、どうか私を許してくれ!」
エリザベット 「許すですって、私こそいけなかったの、でもあれが精一杯だったんです。あなたの幸せのためにこの身は捧げるつもりだったんですもの」

  眼を閉じて朗じる。前にはフロック・コートにくるまったルシアン、不動のまま。このうちに……。

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