ブレヒト

訳書『ブレヒト』の内容の一部をご紹介します。


第一幕:青春時代

ブレヒト夫妻は謹んで息子ベルトルト・オイゲンの誕生をお知らせいたします。

フラッシュバック!
1898年2月10日、ドイツ、バイエルン地方、アウクスブルクの町にベルトルト・ブレヒト生まれる。

時は19世紀末、帝国主義の絶頂期、英・仏・露の大植民地勢力による世界分割競争の真っ只中。三国の経済は拡大の一途をたどり、あらたな資源供給地の獲得に血眼であった。
植民地が欲しくてたまらない武闘派の若きドイツ皇帝ヴィルヘルム二世には、残り物しかない。アフリカのわずかな土地と太平洋の環礁。
これではコストばかりかかってもうからない。ヨーロッパで戦争する方がうまみがあると皇帝が判断するまで、たいして時間はかからなかった。
父、フリードリッヒ・ブレヒト、製紙工場勤務。
母、ゾフィー・ブレヒト、旧姓ブレジング。

学校でいい点をとるにはネ……先生が赤で直した箇所を消すんじゃなくて、間違ってないところに自分で赤を加えるってことサ。
先生はあわてて、もっといい点をくれるというわけ。

ベルトは18歳の時に反軍国主義者たらんと決意。<祖国の為に死す。そは甘美にしてうるわしきことなり>というホラチウスの詩行について、学校の課題作文でこう書いた。

ベッドで死のうと戦場で死のうと死はいつも悲惨なものだ。馬鹿な奴ほど命を捧げるなどと言いながら、いざとなると逃げ足が速い。
有名な詩句に暴言をはいたためベルトは危うく放校処分。

ドイツ参謀本部が引き起した第一次世界大戦。軍需産業にとって新兵器を試す絶好の機会だった。戦火拡大につれ、愛国心などくそくらえ、のビッグビジネスへ大躍進。
戦争はいわば温浴療法じゃ。
ヒンデンブルク(1847〜1934)
殺し屋陸軍元帥(1914〜1918)
ドイツ大統領(1925)。
効能左の如し、あらかたなり。

前線では何百万という兵士が爆撃やガス攻撃で殺戮され、すでに戦いに敗れて久しいというのにヴィルヘルム二世は休戦協定に署名しようとしない。
戦え! 降伏してはならん! ……お茶をもっとどうかねルーデンドルフ君。
徴兵を避けるため、ブレヒトはミュンヘン大学に入学して医学を専攻。まもなくアウクスブルクにある陸軍病院の性病科で軍務に服する。「死せる兵士の碑文」(まもなくこれでファシストの憎しみを買うことになる)で、ブレヒトはドイツ軍の土壇場の心理状態を告発する。
助けてくれ!
小便が……
分かった、分かった、ちょい待て!!
勅命により病院から追われ、前線に送られる。
死せる兵士のバラード
兵士の腐臭がプンプンなので
ひとりの坊主が先に立った、
兵士のからだがにおわぬように
香の煙をふりかけた。

軍楽隊が先に立ち
ブカブカドンドン行進曲をやった。
兵士はむかし習ったとおりに
尻より高く両脚あげた。

かれらは兵士の経カタビラに
黒・白・赤の色を塗った。
(それをかざしてすすんでゆく)
(色にまぎれて汚物はみんなの眼につかぬ)

(手塚富雄訳)
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