『基礎日本語辞典』補完計画  執筆者:川月現大(編集者)



 森田良行の『基礎日本語辞典』(1989年)は日本語の研究者には欠かせない一冊だ。国語辞典や類語辞典では確認できないような微妙な意味や類義語との違いなどを教えてくれる。優れた記述例として、「とりどり まちまち」の項を見てみよう。同辞典の説明を要約すると次のようになる(165〜166ページ)。

〔とりどり まちまち〕
 種類の多彩さという点で「いろいろ」「さまざま」と似た意味を持つ。「とりどり」は、それぞれが相似的、類似的でなく、個性的で皆ちがうことを表している。プラス評価の語である。一方、「まちまち」は、それぞれがある1種類の状態で統一されていない状態を表している。つまり不揃い、不調和であり、マイナス評価の語である。
 同じ対象の状態であっても、観察者の主観が「統一的状態をよし」としていれば、そうでない状態を「まちまち」と考え、「個々に異なるのをよし」とする者であれば「とりどり」と見ることになる。マイナス・プラスの評価を含まなければ「いろいろ」「さまざま」などで表される。

 上記は要約だが、「とりどり」と「まちまち」の違いを明快に説明している。特に言葉の細かいニュアンスを知りたい場合には強力な助っ人になる。また著者は日本語教育が専門であるため、助詞などを含めた「文型」からの視点が取り入れられているのも特色の一つだ。
 一般には知られていない専門辞書ではあるが、文筆業に関わる人たちや、適切な訳語についていつも考えているような翻訳者にファンが多いようだ。2000年頃なかなか増刷されず入手困難な時期もあったが、いまならアマゾンなどで簡単に入手できる。この手の専門辞書にしては増刷を重ねており、手持ちの2冊は2007年発行のものが12刷、2012年発行のものが14刷となっている。
 
■『基礎日本語辞典』は完璧というわけではない
 『基礎日本語辞典』の親本にあたる「角川小辞典シリーズ」の『基礎日本語 意味と使い方』の第1分冊が発表されたのが1977年であるから、誕生からおよそ40年近くになる。本辞典は一人の著者が何十年もかけて作り上げたものであり、森田氏は大変な偉業をなし遂げたと言える。だが欠点がないわけではない。1989年に合本にするときに多少の増補が加えられたにせよ、それ以降の言葉の意味分析の研究成果などが取り込まれていないのである。
 また、意味分析の検証にあたってはもっぱら著者の内省(内観)に頼っているため、説明不足だったり、説明に合わない反例の存在を指摘する識者もいる。
 記述内容が矛盾している例としては「かこむ〔囲む〕」がある(301〜304ページ)。302ページでは「半分や三分の二程度では『囲む』と言えない」と書きつつ、303ページでは「三方[を]山に囲まれた盆地」のように「状態性の意識が強い『囲む』では、三方や二方を仕切る形でもかまわない」と述べているのだが、いささか苦しい説明のように思える。
 この点について著者は次のように述べている(2ページ)。

所詮ことばとは各個人の経験の集合にしかすぎないのであるから、語の意味・用法も決して万人普遍のものとは言い難いのである。その意味で本書の意味・用法記述も、つまるところは著者という一個人の日本語観の記録ということになるであろう。

 なるほど言葉の意味というものは、究極的には主観に基づくのは確かだ。その点については異論もあるが本稿では扱わない。研究・執筆時期も1960年代から70年代であるから大規模コーパスもなかった時代だ。先行研究も乏しく、パイオニア精神で本書を作り上げていったのは想像がつく。我々としてはこの偉業を讃えつつ、進化的発展を目指したい。このプロジェクトを「『基礎日本語辞典』補完計画」と名付け、同辞典への補足、改善を試みることにする。

■「こわい」と「おそろしい」
 簡単な言葉ほど難しい。日本語ネイティブの人であれば「こわい」と「おそろしい」はなんとなく使い分けているはずだ。だが、どのように使い分けているのかと問われると説明に困るのではないだろうか。実際に国語辞典でどのような語釈が与えられているか見てみよう。

新明解国語辞典 第七版 (以下、新明解)
こわい【怖い】:「恐ろしい」意の口頭語的表現。
「このあたりは夜道を一人で歩くのは怖い」
「怖いもの無しの強豪チーム」
おそろしい【恐ろしい】:危険や災害が自分の身に及んで(及ぶことが予測され)、極度の不安に駆られる様子だ。
「大雨で堤防が決壊し、川沿いの住民が恐ろしい目に遭う」
「彼は紳士の仮面をかぶった恐ろしい人だ」
明鏡国語辞典 第二版(以下、明鏡)
こわい【怖い(恐い)】危害を加えられそうな感じで、身がすくむ思いがする。恐ろしい。おっかない。「僕は蛇[真実を知ること]がこわい」「こわい先生」
おそろしい【恐ろしい】:(圧倒的な力の差から)身の危険を感じ、いたたまれなくなる気持ちである。こわい。
「戦争がおそろしい」「おそろしい顔をする」

 2冊の国語辞典を調べてみたが、新明解は「こわい」は「おそろしい」の口語的表現で意味は同じだとしている。明鏡も同様に「こわい」と「おそろしい」は同じ意味として扱っている(悪名高き「循環定義」だ。怖い→恐ろしい→怖い→ …)。はたしてこの2つの言葉は同じ意味なのだろうか? 饅頭はこわいものに違いないが、恐ろしいものなのかどうかははなはだ疑問である。では、『基礎日本語辞典』ではどのように説明しているだろうか(248〜249、456〜457ページ。表現を一部変更した。太字は引用者)。

こわい〔怖い 強い〕
 ある状況や対象に対して、こちらが脅威や危険を覚える場合に用いる。「こわい」は特定の対象がなくても、場面・状況・環境などからこわいと感じることが可能。危険度の高い、または危険性のある状況に至るまで、広く使用できる。
おそろしい〔恐ろしい〕
 対象に対して身がすくみ、逃げたくなるような気分。「恐ろしい」は特定の対象に対して抱く感情。具体的な恐怖の相手に対して用いる。ある面が相手に恐怖を与えるほど甚だしい状態が「恐ろしい」である。

 『基礎日本語辞典』では、「こわい」と「おそろしい」の意味を区別している。特徴的なのは「特定の対象」の有無を強調している点だ。用例として以下のものを挙げているが、これらは「特定の対象」の有無が関係ある文だろうか。

(1)投機買いは当たればいいが、外れることもあるからこわい
(2)高い煙突のてっぺんで逆立ちなど、こわくてできない。
(3)「人相の悪い男たちに周りを取り囲まれてね」「まあ、恐ろしい
(4)暴力団のいる恐ろしい

 (1)と(2)は「こわい」の用例、(3)と(4)が「おそろしい」の用例だ。筆者の感覚では(1)は「こわい」のほうが自然だが、(2)(3)(4)は「こわい」でも「おそろしい」でも不自然ではないと感じる。もしかしたら40年前は「こわい」と「おそろしい」は「特定の対象」の有無で使い分けられていたのかもしれないが、現代日本語としてはどうだろうか。今後の検討課題としたい。

■「わびしい」と「さびしい」
 『基礎日本語辞典』を子細に見ていくと、「こわい」と「おそろしい」以外にも気になる説明が見つかる。「さびしい」の関連語「わびしい」について、以下のような説明があった(498ページ)。

わびしい
 必要なものが極端に乏しく悪条件にあるため、悲しくつらく感じるほどの強い心細さ。また、そのような感情を与えるほどの、ひどくみすぼらしい状態。
  侘びしい……生活、暮らし、風景、格好
「寂しい」より、もっと感情性の濃い主観的な語である。

 『基礎日本語辞典』では、「わびしい」のほうが「さびしい」よりも主観的な語であるというのだが、加藤恵梨(2009)は次のように指摘している。

「わびしい」はある対象に何らかの要素が欠けていることによって気持ちが沈むさまを表すのであり、「さびしい」のように欠けている要素を求めるという意味は表さない。
(中略)
「さびしい」は主体がある対象に何らかの要素を求めることによって生じる感情であることから、……「さびしい」は「わびしい」よりもより主観的な語であると考える。

 このほかにも加藤恵梨(2009)では興味深い分析がなされているので、ネットで公開されている論文(「わびしい」の意味分析)をご覧頂きたい。



【参考文献】
森田良行(1989)『基礎日本語辞典』角川学芸出版(同辞典は「角川小辞典シリーズ」の『基礎日本語 意味と使い方 1〜3』(1:1977、2:1980、3:1984)を合本とし、一部修正・増補を加えたもの)。
加藤恵梨(2009)「わびしい」の意味分析,言葉と文化(10),1-10,2009-03,名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/10/10-01.pdf

 

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