「は」は取り立て助詞なのか?  執筆者:川月現大(編集者)



 現代日本語文法には大きく2つの流れがある。ひとつはいわゆる国語学の流れを汲んだ日本語文法(以下、日本語文法Aと呼ぶ)で、もうひとつは寺村秀夫らを中心に組み立てられた日本語教育文法(以下、日本語文法Bと呼ぶ)だ。さしあたって我々の興味は、この2つの文法の異同ではなく、現代日本語を整理されたかたちで説明できるものはどのようなものかという点にある。

 学習者にとって最初に問題になるのは、日本語文法AとBで用語体系が異なる点だ。たとえば、日本語文法Aでの「形容詞」は日本語文法Bでは「イ形容詞」、「形容動詞」は「ナ形容詞」と呼ばれている。イ形容詞と呼ぶのは、「高い、楽しい」など語尾音がイで終わるため。ナ形容詞では、語全体にナが付いて、「きれいな、変な」というように使われる。
 「形容詞・形容動詞」と「イ形容詞・ナ形容詞」であれば、単に呼び名が違うというだけで問題はないが、日本語文法Aでの「副助詞」と日本語文法Bでの「取り立て助詞」ではそれほど単純な話にならない。副助詞とは山田孝雄(やまだよしお)が命名したもので、数的(可算)あるいは量的(不可算)な程度を表す。一方、取り立て助詞(とりたて詞)も意味合いとしてはほぼ同じで、おおむね以下のものがある。

(1)も、まで、すら、だって、しか、ばかり、だけ、のみ、でも、など、
  なぞ、なんか、なんて、こそ、くらい、は[註1]

 取り立て助詞の機能は、文中のある語句に焦点を当てて、それを(質的あるいは量的に)際立たせることで、文中に現れていない別の何かを暗示することにある。

(2)おにぎりを買った。
(3)おにぎり買った。  [「も」が取り立て助詞]
(4)おにぎりだけ買った。 [「だけ」が取り立て助詞]

 (3)は「おにぎり」に焦点を当てて、「も」で「ほかにも何か買った」ことを暗示している。
 (4)も「おにぎり」に焦点を当てていて、「だけ」で「ほかに何も買わなかった」ことを暗示している。「だけ」は、ほかに何かあったのにもかかわらず特定のものだけを取り上げ、ほかのものを排除しているため、「排他」という意味を含意することになる。
 取り立て助詞は、動詞に対しても使うことができる。

 (5)少女は泣いてばかりいる。 =いつも泣いている
   ※「ばかり」は「非難」を含意することもある。「あの人は遊んでばかりいる」
 (6)手紙を読みさえしなかった。 =少しも読まなかった(読んだってよかったであろうに)

 このように取り立て助詞を使うと、いわゆるこなれた表現になる。翻訳の場合でも程度を表す副詞(only、alwaysなど)を取り立て助詞で表現できないか検討してみるとよい。

 以前、「は」を取り立て助詞にだけ分類している日本語学習書を見かけたことがある。日本語文法Bの目的は、日本語学習者に対して効率的に日本語を学ばせることにあり、「は=取り立て助詞」としてしまえば学習の省力化につながるかもしれないが問題が多すぎる。
 「は」の機能はいくつかあるが、大きくは次の2つ。ひとつは「主題」を表す提題助詞としての役割で、もうひとつは「対比」を表す取り立て助詞としての役割だ(『基礎日本語文法』50、153ページ)。

(7)鈴木さん、街で旧友に会った。[主題
(8)昼会社で働き、夜大学で勉強する。[対比。「昼」と「夜」をそれぞれ取り立てている]

 さらに「は」は、肯定の数量表現と一緒に使われると「少なくとも」の意味を表し、否定表現の場合は「〜未満である」という意味を表す。

(9)見たところ、100人いるようだ。[=少なくとも100人いる]
(10)見たところ、100人いないようだ。[=100人未満である]

 このほかにも「は」にはピリオド越えという注目すべき機能もあるのだが、詳細についてはITmediaオルタナティブ・ブログの拙ブログをご参照いただきたい: どんなときに主語を省略できるのか 【文章技術:ピリオド越え】|エディテック

 現在のところ、タイトルに挙げた問いに対する答えは次のようになる。

「は」の2大機能は、主題の提示(提題助詞)と対比(取り立て助詞)であり、「は=取り立て助詞」という分類は禍根を残す。



[註1] 山田孝雄は「は」は係助詞であるとし副助詞には含めていないが、ここに深入りしない。詳細については、『日本語文法事典』の「係助詞」の項を参照してもらいたい。

【参考文献】
日本語文法学会編(2014)『日本語文法事典』大修館書店
益岡隆志/田窪行則(1992)『基礎日本語文法 改訂版』くろしお出版

 

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