「ときめき」とspark joy 執筆者:北川知子(出版翻訳者)

『人生がときめく片づけの魔法』、2011年1月に出版されたこの本は、その後2014年10月に英語版が出版され、世界でシリーズ300万部を突破しているという。2015年4月には、著者の近藤麻理恵さんがTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。

「こんまり」さんこと近藤麻理恵さんの片づけ術については、雑誌などでも読んだことがあるし、TIME誌で取り上げられた頃だっただろうか、アメリカの家庭での片づけレッスンの様子をテレビで見たこともある。今回、私も遅ればせながら、『人生がときめく~』の日本語版と英語版を読んでみることにした。

この本のキーワードはもちろん「ときめき」。著者が教える片づけの基本は、洋服でも本でも食器でも、それを手にしたときに心が「ときめく」かどうか。「ときめく」(喜び・期待のために胸がどきどきする(広辞苑))は、古くは枕草子の「心ときめきするもの」に、わくわくする様々な瞬間が挙げられているけれど、最近では死語に近いように思う。私自身も会話でも手紙などでもほとんど使うことはない。

『人生がときめく~』日本語版では随所に「ときめく」という言葉が出てくる。「ときめく」の本来の語義からすれば、「人生がときめく」などあり得ないのだけれど、何度も目にしているとそれもありのような気がしてくるから不思議だ。「ときめく」という言葉は、こんまりさん自身が以前から片づけレッスンの中で使われていた言葉なのだろうか、それとも本にまとめるときにはじめて使われたのだろうか。

タイトルの『人生がときめく片づけの魔法』は、英語版では『the life-changing magic of tidying up』で、「人生がときめく」ではなく、本文中に何度も出てくる「人生が変わる」が使われている。「ときめく」に該当する箇所を、英語版の前半からいくつかピックアップしてみた。英訳では様々な表現が用いられている。

人生がときめくような感覚(you’ll feel your whole world brighten)、触ったときに、ときめくか(Does this spark joy?)、まあ、全部ときめくかな(everything in it gives you a thrill)
持っていて心がときめくかどうか(whether keeping it will make you happy)、心がときめかない服(don’t give you pleasure)、心がときめかない本(don’t touch your heart)、心がときめくモノ(that speak to your heart)、自分のときめきでモノを選ぶ力(the instinct for what really inspires joy)、買った瞬間にときめかせてくれてありがとう(for giving me joy when I bought you)、不思議と心がときめき(it makes you feel lighter)、ときめくかどうかだけで判断(decide whether it moves you or not)、本当にときめく本(you really love)、心がときめく本たち(that inspired pleasure)、ときめき度がそこそこのレベル(moderate pleasure)。

これが逆に、英語版からの翻訳作業であれば、これらすべてに「ときめき」という訳語を当てようとは考えないだろう。自己啓発書のようなものの場合には、英語版で表現されている概念をあらわす日本語のキーワードを選び、それを訳文の中で繰り返し使うという方法もあるのかもしれない。確認したことはないが、自己啓発書の邦訳ではそういう工夫もされているのだろう。

日本語版『人生がときめく~』では、太字で強調された文章が非常に多い。英訳版で字体を替えて強調されているのはそのうち一部だけだ。日本語版では改行が非常に多く、一行で改行されている箇所もある。英語版では、パラグラフの数は1ページに2つから多くても4つ。日本語版と英語版はほぼ同じ判型で、日本語版の本文270ページは、英語版では索引も含めて213ページに収まっている。

英語版の訳者平野キャシーさんと作家の上橋菜穂子さんの翻訳をめぐる対談の中で、上橋さんは、「日本語と英語で思考の流れが逆であるために、文章の順序がひっくり返っているところがあったりするんですよ」と語っておられる。英訳版のために原文を書き直したりもされたようだ(対談要旨は下記)。

人は誰でも、完璧な片づけを一度でも体験すると、人生がときめくような感覚を覚えます。そして、「片づけたあと」に人生がドラマチックに変化していくのを実感します。
When you’ve finished putting your house in order, your life will change dramatically. Once you have experienced what it’s like to have a truly ordered house, you’ll feel your whole world brighten.

これは、『人生がときめく~』の「はじめに」の一部だ。二つの文の語順が逆になっていて、思わずうなってしまう。私が英訳するとしたら、この二つの語順を替えようとは思わないだろう。英語版は、全体として原文に忠実に訳されているが、こういった微妙な文章の入れ替えや改行の処理をされている箇所もある。次は改行の一例だ。

 つまり、読み返される本は、じつはほとんどないということです。
 ここでも、「そのモノが持つ本当の役割を考える」ということをやってみましょう。そもそも本というのは、紙です。紙に文字が印刷してあって、それを束ねたモノを指します(略)。
In the end, you are going to read very few of your books again. As with clothing, we need to stop and think about what purpose these books serve.
Books are essentially paper—sheets of paper printed. Their true purpose, (略)

日本語版だけを読むと、この段落で重要なのは「そのモノが持つ本当の役割を考えよう」という第1文で、「そもそも本というのは~」以下の説明は付け足しのように感じるが、冒頭以外の4つの文は、「本の価値は本棚に並ぶことではなく、中身の情報にある」ことを示しているのだから、英語ではそれらを1つのパラグラフにすることが自然なのだろう。うろ覚えだが、日本語での論理展開は主題から離れたところから遠まわしにらせん状に核心に迫るのに対して、英語では最初に主題が提示され、一直線に結論に向かうとどこかに書かれていたのを思い出した。

今回は、『人生がときめく~』の日本語版と英語版をざっくり読んでみた。普段はもっぱら「英語→日本語」の作業をしていて、日本語版と英訳版を比較しながら読むことはめったになかったのだけれど、気軽に読める自己啓発書ということもあって思いのほかおもしろかった。日本語版と英語版の比較はさておき、ようやく私も「こんまり」流片づけの魔法を知ったからには、散らかった家の中を片づけ、人生をときめかせなくては。

<参考>
「翻訳は三人四脚『精霊の守り人』の作者と訳者、大いに語る」講演要旨 平成22年4月24日 国際子ども図書館 
http://www.kodomo.go.jp/event/event/pdf/2010-02summary.pdf
http://www.kodomo.go.jp/event/event/event2010-02.html

 

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