「タ」は過去形ではない。 執筆者:川月現大(編集者)


 はんざわかんいち氏(半沢幹一 共立女子大学教授)が雑誌「日本語学」に「ありがタめいわく」というタイトルのエッセイを寄稿していた(参考文献1)。特に面白かったは以下の箇所であった。

  •  バイト先で、客に「ありがとうございました」と挨拶したら、店長にこっぴどく叱られた、という類いの話をよく聞く。タを使ってしまうと、その時限りで、過去の関係となり、縁が切れてしまうから「ありがとうございます」と言え、ということのようである。
     いえ、このタは、過去ではなく婉曲化による配慮の表現です、などと授業で教わったとおりに、真っ向から反論して、居心地を悪くしてしまうような学生はいない(まあ、いたらいたで、かなり鬱陶しいだろうけれどネ)。不承不承、言い直しているらしい。
     タ=過去という思い込みが、語用論レベルにまで影響を与えているのである。

 「タ=過去」という思い込みもあるが、「タ=過去形」という思い込みもよく見かける。いろいろな人の発言や書いたものをみていると、どうも傾向があるのがつかめてきた。日本語文法に詳しい人は「タ=過去」と言い、英語に詳しい人は「タ=過去形」と言う。しかし、この2つの言い方はどちらも正確ではない。
 まず「タ=過去」について見ていく。半沢氏もエッセイの中で述べているが、「タ」(日本語文法の世界では「タ形」と呼ぶ)の意味は「過去」だけではない。『日本語文法事典』(日本語文法学会編、大修館書店)によれば、助動詞タの用法は14個ある(370ページ)。以下に引用する。

(1)田中さんならあそこにいよ。[過去]
(2)「昨日田中さん来?」「いや、来なかった。」[過去]
(3)「田中さん(もう)来?」「いや、まだ来ていない。」[実現済み(完了)]
(4)ピッチャーふりかぶって、第一球、投げまし。[実現]
(5)あ、(見たら)あっ。[発見]
(6)なんだ、(本当は)ここにいのか。[認識修正]
(7)そういえば明日は休みでしね。[思い出し]※「想起」とも言う
(8)昨日手紙を出せば明日届いのに。[反事実]
(9)こんなことなら明日来るんだっ。[後悔]
(10)ちょっと待っ![命令]
(11)昨日彼からもらっ本をなくしてしまった。[発話時以前]
(12)明日勝っチームが来年の世界大会に出場できる。[主節時以前]
(13)まっすぐ伸び道(=まっすぐ伸びている道)。[状態]
(14)今 100万円あっとします。[仮定]

 ここには半沢氏のいう「婉曲化による配慮の表現」は挙げられていないようだ(同様の趣旨のことを予備校講師の鳥光宏氏が『「古文」で身につく、ほんものの日本語』(PHP新書)の第5章「日本語「た」の秘密」で述べていた)。本稿では、「ありがとうございました」の例を用法(15)としておこう。

(15)ありがとうございまし。[婉曲]

 もうひとつ「時間関係」を表す「タ」というものものある。特に小説などの物語でよく見られる書き方で、ひとまとまりの動作を表す文が続くとき、それぞれの文は出来事を1つずつ進めていくことになる(参考文献2)。この用法を(16)とする。

  • (16)下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色〔ひわだいろ〕の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた
    (芥川龍之介「羅生門」)[時間関係]

 ここでは「タ」の用法を16個挙げた。たしかに「タ」の意味のプロトタイプ(代表的な使用例)は「過去を表す」ことだが、その機能は多彩でいつでも過去を表すとは限らないことがわかった。

■ 英語の過去形は過去ではない。
 同様の現象は英語でも見られる。英語の過去形がいつでも過去を表すわけではない。安藤貞雄氏の『現代英文法講義』(開拓社)から過去形が過去を指さない例をいくつか引用する。
 1つめは“虚偽時制”と呼ばれるものだ(同書94ページ)。

(17)The man who just left was my brother.
  (さっき去ったのは、私の弟だ[っ])
(18)The animal you saw was a chipmunk. (R. Lakoff 1970)
  (あなたが見た動物は、シマリスでしよ)

 これを安藤氏は「直示時制の過去」と見るべきであろうと述べている。つまり(17)(18)は、実際に言葉をやり取りする中で表現された言葉であり、発話のすぐ前に起きた事象を指して述べたもの、ということだ。機能的には(16)の「時間関係」を表す「タ」と同じと考えてよい。

 面白いのは「未来から見た過去」だ。前掲書より引用する(97ページ)。

  • 「特にSFなどで、未来に起こると想定される出来事を過去形で表現する習わしが生じている。これは、未来に起こった出来事を、より先の未来の時点から回顧する手法である(Leech 1987: 14)。「過去から見た未来」(future in the past)と平行して,これを「未来から見た過去」(past in the future)と呼ぶことにしよう。

 例文は以下のとおり(なお、「過去から見た未来」についてはページ下部の「用語解説」を参照)。

(19)In the year A.D. 2201, the interplanetary transit vehicle Zeno VII made a routine journey to the moon with thirty people on board. (Leech 1987)
(西暦2201年、惑星間輸送船ジーノ7号は、乗客30人を乗せて月への定期飛行を行った)

 さらに、依頼を丁寧に表現する手法として過去時制を用いることがあるとしている(Leech 1987: 15)。これは「儀礼的過去」と呼ばれ、日本語では「タ」を使う。(15)の婉曲表現に相当する用法だ。

(20)I wonder / wondered if you could help me. (Quirk et al. 1972)
  (手伝っていただけるかなと思っのですが)
(21)“Did you want me?”“Yes, I hoped you would give me a hand with the painting.” (Leech 1987)
  (「ご用でしか」「ええ、ペンキ塗りを手伝っていただければと思っのです」)

 同書では、(20)はI was wondering … と過去進行形にすればいっそう控えめになる(Leech 1987)、(21)は Do you want me?(何かご用ですか)とすると、「質問が切り口上になって相手が萎縮してしまうので,過去時制を用いて質問を間接的にし,相手に依頼しやすくしている(遠景化 (distancing) の効果である)」と説明している。

■ 形と意味:過去形と過去
 ここでは簡単な考察しかしていないが、英語と日本語を対照することで「タ」の意味がいくらか鮮明になったと思う。先に基本的なことを押さえておくと、日本語の「タ」は助動詞であり、過去形という活用形はない。上に示したように、日本語の「タ」と英語の過去形は、過去を表す場合と表さない場合がある。さらに「タ」は「テイル」と組み合わさって、さらに複雑な様相を示すのだが、これについては今後の研究課題としたい。
 今回未検討なのが「英語の過去形と日本語のタ形が必ず対応するとは限らない」点だが、こちらは自明なこととさせていただければ幸いである。



用語解説:
「過去から見た未来」(future in the past)は、書き言葉の物語スタイルによく見られる。たとえば次のようなもの。(『現代英文法講義』320ページを参考にした。)
We had reached 9,000 feet. Soon we would reach the top. (Alexander 1988)
(われわれは9,000フィート地点に到達していた。まもなく頂上を極めるだろう)

参考文献:
1. はんざわかんいち(2015)[ことばのことばかり13]「ありがタめいわく」、『日本語学』2015年4月号: 45、明治書院
2. 金水敏(2015)「日本語文法の諸相:時間表現」、月本雅幸『日本語概説』放送大学教育振興会
3. Leech, G. N. (19872, 20043) Meaning and the English Verb,Longman, London.
4. Lakoff, R. (1970)“Tense and Its Relation to Participants,” Language 46, 838-849.
5. Quirk, R., S. Greenbaum, G. Leech and J. Svartvick (1972) A Grammar of Contemporary English, Longman, London.

 

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