意味がいっぱい(その2) 執筆者:田中千鶴香(実務翻訳者)

 前回に引き続き「passionのルーツをさぐる旅」を楽しんでいただきたい。
 前回紹介したように、『ランダムハウス英和大辞典』などの英和辞典に記載されている語源の解説から、passionのラテン語のルーツが「受難」という意味に深く関係していることがわかった。しかし「情熱」という意味との関連については、どの辞書も書いていなかった。英和辞典の簡単な解説を読むだけでは、奥深い言葉のルーツはわからないのかもしれない。

Oxford English Dictionaryを引く
 そんなとき脳裏に浮かぶのは、図書館の棚にどーんと鎮座していたOxford English Dictionary(OED)である。OEDは、英国オックスフォード大学で1857年に編纂が始まり、1928年に第一版が完成した世界最大の英語辞書だ。編纂には70年以上の月日がかかっている。収録語数は約60万。そのそれぞれについて可能なかぎり過去にさかのぼった語形、語義、語源を示し、現段階での最古の用例を採録している。
 つまり、OEDはめちゃくちゃ詳しい、特別な辞典だ。革装丁の全20巻がずらりと並ぶ姿はまさに威風堂々で、目当ての巻をさがして「よいしょ」とおろし、ひんやりしたページをめくると少し湿ったような臭いがした。
 それがいまでは全データを収めたCD-ROMかオンライン版を使って、パソコンで簡単に引ける(注1)。手軽になった分だけ活用しなくては。

 OEDで「passion」を引くと、語義や用例がずらりと表示される。試しに、表示されたデータをすべてコピーしてWordファイルに貼り付けたら、12ページ(総単語数4,433)にもなった。
 まず冒頭の見出し、発音、語形の変遷、語源をざっと眺めてみよう。
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 OEDではたくさんの省略記号が使われている。語源解説の冒頭にある「a.」も「ad.」も省略形である。すべてを解読しようと思ったらアンチョコが必要だ(注2)。語源の解説を読むと、sufferという意味のラテン語のpatīの活用形が語源で、古仏語を経由して英語に取り入れられたとある(注3)。英和辞典の解説とほぼ同じである。なぜだろう、「情熱」の意味はここにも見あたらない。

OEDでわかるPassionの歴史
 次に語義を見てみよう。最上位分類の語義が大きく3つ(Ⅰ~Ⅲ)にまとめられている。語義の見出しはさらに枝分かれし、各項に詳細な説明が書かれているが、最上位分類の数を最小限に抑えている点がOEDの最大の特徴だ。データ量は膨大だが、OEDは非常に合理的に整理されている。だから落ち着いて入り口をさがし、道をたどれば必ず目的の場所に着く。

【OEDにおけるpassionの語義(最上位分類)】

I The suffering of pain.
II The fact of being acted upon, the being passive. [Late L. passio, used to render Gr. πάθος.]
III An affection of the mind. [L. passio = Gr. πάθος.]

【参考訳】

I 苦痛を被ること。
II 作用を受けているという事実、受けて従っている状態。[後期ラテン語 passio、ギリシャ語 πάθος の訳語として使用]
III 心の動きがもたらす影響・結果。[ラテン語 passio = ギリシャ語 πάθος.]

 OEDでは、最上位分類の語義が年代順に並べられている。passionにおいても、「ⅠThe suffering of pain.」とその直下の「1.a The sufferings of Jesus Christ on the Cross」が最も古い語義だと判断できる。初出の用例はランベス写本(1175年ごろ)となっている。他の用例の年代を見ても、キリスト教神学的な意味(苦しみ、受難)での用例が他の意味での用例よりも古いことがわかる。
 IIIの「An affection of the mind」とは「感情」のことであり、下位見出しには「6.a Any kind of feeling by which the mind is powerfully affected or moved.」「7. a. An outburst of anger or bad temper.」「8.a Amorous feeling; strong sexual affection; love」などの語義が並ぶ。これが「情熱」という日本語の訳語に相当する箇所である。この意味での初出の用例はジェフリー・チョーサーの『トロイルスとクリセイデ(Troilus and Criseyde)』(1374年ごろ)となっている。もちろんシェイクスピアにも用例がある。

わかったような、わからないような
 つまり、古いフランス語を経由して英語に取り入れられたpassionは、当初は「苦しみ」や「受難」の意味でしか使われず、14世紀になってから「激しい感情」「ほとばしる怒り」「愛情」などの意味で使われるようになったことがわかる。ふむ、なるほど……と思う一方で、これは具体的に何を意味しているのだろうか、とも思う。
 言葉は時代とともに変化する。たとえば「不都合である。危険である」(『広辞苑 第六版』)が主な意味だった「やばい」という言葉を日本の若者たちは10年ほど前から肯定的な褒め言葉として使うようになった。
 passionも同じような意味の拡張を経験したのだろうか。あるいはチョーサーをはじめとする14世紀の英国の詩人たちが「情熱」という新しい意味をすでに存在していた言葉に付加したのだろうか。
 OEDをひもといたら新しい疑問にぶつかってしまった。だが答えはOEDの中にないようだ。もっと古い時代まで旅をしなければ。
(次回に続く)
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(注1)CD-ROM版はAmazonで購入可能。
http://www.amazon.co.jp/Oxford-English-Dictionary-Version-Windows/dp/0199563837
オンライン版は大学や公共の図書館で利用できる。
http://www.oed.com/

(注2)OED CD-ROM版の「Help」ページの「9.5 Abbreviations」に省略記号の一覧がある。インディアナ大学の次のページも参考になる。
http://www.indiana.edu/~letrs/help-services/QuickGuides/oed-abbr.html

(注3)OEDのpassion項の語源解説
【省略記号を解読したもの】
[adoption of Old French passiun, passion, adaptation of Lation passiōn-em suffering (Tertullian, etc.), noun of action formed on patī, pass- to suffer. In Latin chiefly a word of Christian theology, which was also its earliest use in France and England, being very frequent in the earliest Middle English.]

【参考訳】
古仏語passiun、passionからの借用語、古仏語passiun, passionはラテン語passiōn-em(意味は英語のsuffering、キリスト教神学者テルトゥリアヌス(c160-c230)の著書に用例あり)の訳語、ラテン語passiōn-empatī、pass-(意味は英語のsuffer)に基づいて作られた動作名詞。ラテン語では主にキリスト教神学で(「キリストの受難」の意味で)使われる言葉であり、この意味での用例が、フランスとイングランドでも最古であり、中英語最初期にかなり多く見られる。

 

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