意味がいっぱい(その1) 執筆者:田中千鶴香(実務翻訳者)

 あるときpassionという英単語に「受難」の意味があることを知って驚いた。「情熱」や「~したいと強く思う気持ち」という意味を高校時代に暗記した人は多いと思う。私もそうだった。なぜかpassionは試験によく出る単語だった。

Passion Flower
flower

時計草(季節の花300より)

 「受難」の意味を知ったきっかけは、「時計草」という花だ。学名Passiflora、英語名passion flower。たいていの園芸書にこの英語名とその由来が載っている。16世紀、南アメリカ大陸に派遣されたスペイン人宣教師が時計草を発見し、その個性的な花形のさまざまな部分を磔刑に処されたキリストに関連するものになぞらえたのだという(注1)。時計草には実のなる種がある。果実はパッションフルーツと呼ばれるが、「情熱の果物」という意味ではない。

「受難」と「情熱」
 英語の文章にpassionが「受難」の意味で出現すれば、ほとんどの場合、「キリストの受難」を指している。Pを大文字にしてthe Passionと綴ることもある。「キリスト教徒でなければ『受難』の宗教的な意味など知らなくてよい」と思う人がいるかもしれない。だがキリスト教は、英語圏の文化や言語と密接に関わっている。英語の文章を読んだり書いたりするならば、キリスト教をまったく知らないではいられないし、知らないでいると大きな間違いを犯したりする。
 ある映画の字幕でpassion-playが「情熱プレイ」と訳されていたそうだ。正しくは「受難劇」である。「情熱プレイ」の訳には非難ごうごうだったと聞く。では「受難劇」とはどのような劇だろう。知らない人はぜひ調べて欲しい。インターネットが手近にあれば、“受難劇”や“passion play”で動画を検索すると、実際の劇を観ることができる。「想像していたよりも楽しそうだ」と思う人が多いのではないだろうか。

 さて、passionが「(キリストの)受難」と「情熱」の両方の意味を持つのはなぜだろう。同じ単語の意味であるのに、「受難」と「情熱」ではずいぶん距離が遠いように思われる。脳科学者の茂木健一郎氏もpassionが気になっておられるようで、自身のブログ、Twitter、講演で触れられている(注2)。ただし「パッションは受難が語源」という茂木氏の発言は厳密にいうと正しくない。
 passionが「情熱」と「受難」の意味を持つようになった経緯を調べてみた。
 手始めに英和辞典を引く。語義の配列の1番~4番ぐらいまでは、「(激しい)感情, 熱情, 情熱」、「(怒りなどの)激情, かんしゃく;激情の爆発」、「(男女間の)(激しい)愛情; 情欲」といった情熱・感情系の訳語が並んでいる。5番~6番目に「(キリスト教徒の)受難[殉教]」という訳語が出てくる(注3)。英英辞典でもほぼ同じ順番だ(注4)。

英和辞典で語源を調べる
 passionの大元にひとつの意味があり、そこから意味が枝分かれしたのだとすれば、語源を調べれば語義の変遷がわかるはずだ。語源を調べるといっても実はそれほど面倒ではない。知らない人が多いようだが、たいていの英和辞典に語源が載っている。
 主な英和辞典に書かれているpassionの語源を並べてみよう。
『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館
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『新英和大辞典 第6版』 研究社
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『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店
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『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社
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 辞書ごとに書き方に特徴があり、略語が多い。それぞれの辞書の前書きや使い方のページに、語源の読み方の解説がある。解説を読めば記号を解読するのは、それほど難しくない。

 この4つの辞書に書かれた語源を読むと、passionの語源がラテン語のpati/patiorまたはその活用であり、その意味が「苦しむ」であることがわかる。なんということだ! ラテン語の語源には「情熱」の意味が見当たらないではないか。
 「苦しむ」という意味のラテン語がpassionのルーツであるなら、「キリストの受難」の意味で使われるようになった経緯は容易に想像できる。だが「情熱」の意味はどこにいったのだろう。passionは一体いつから「情熱」の意味で使われるようになったのだろうか。
(次回に続く)

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(注1)Louise Frost and Alistair Griffiths, Plants of Eden (Eden project), Alison Hodge, 2001
(注2)https://www.youtube.com/watch?v=Hw-15G3CNqE
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/04/post_14.html
https://twitter.com/kenichiromogi/status/24321648188
(注3)訳語はすべて『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』大修館書店から引用。
(注4)一般の辞書での語義の順番は「頻度順」、または、頻度を基にしつつ「意味の流れ」を重視して並べた順番になっている。

 

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