クリストファー・ロビンの王国(9) 執筆者:水野美和子

十二月になりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

新年早々に干支にちなんで、イノシシの姿の湯たんぽを買ったのがつい昨日のようです(写真参照:もちろん来年も大切に使い続けます!)。つくづく時間がたつのは早いものですね。


さて、先週の私といえば、映画『グッバイ・クリストファー・ロビン』(2017年)を鑑賞しました。

         http://www.foxjapan.com/goodbye-christopher-robin-jp

 

この映画は『クマのプーさん』の作者であるミルンの半生を描いています。プー誕生にまつわる父と子の幸せな場面も見どころですが、幼少期のクリストファー・ロビンを演じる可愛らしい子役のウィル・ティルストンに目がいってしまいます。『クマのプーさん』のE.H.シェパードの挿絵に出てくるあのクリストファー・ロビンによく似た雰囲気の子役を、うまく見つけてきたものだと感心しました。

プー人気のせいでプライバシーが失われていく様子や、最愛の乳母との別れ、寄宿学校でひどいイジメを受けたことなど、クリストファー・ロビンの悲しさや苦しさもしっかり伝わる演技でした。

 

実在の人物を描く映画を観るとき、いつも考えてしまうのは「創作と事実の境界がどこか」、ということです。

私がこれまで読んだプー関連の本を思い出すと、次に挙げる場面は事実のようです。

 

・第二次世界大戦に出征したクリストファー・ロビンは、生死不明の時期があった。

 

・『クマのプーさん』の作者であるミルンは、第一次世界大戦から生還できたものの後遺症が残った。シャンパンのコルクを抜く音や、虫の羽音、風船の割れる音などをきっかけにして、悲惨な戦場での体験がありありとよみがえる(フラッシュバック)症状に悩まされていた。

 

・ミルンとその妻は、『クマのプーさん』に出てくる少年と息子とは別のものだと考えていた。その一方で、息子を人前に出すときには、物語に出てくるような恰好をさせた。だから読者は作者の息子こそがモデルだと信じて、クリストファー・ロビンを有名人扱いして、追いかけまわした。

 

・入学した寄宿学校で、クリストファー・ロビンは「正体がバレて」、トラウマに残るようなひどいイジメを受けた。

 

・クリストファー・ロビンはひどい難産で生まれた。そして、母よりも乳母になついた。

 

最近はプライバシーや子供の労働に対して配慮されるようになりましたが、1922年に2歳のクリストファー・ロビンと父親の写真が新聞に掲載された頃には、まだまだそんな意識もなく、ただマスコミのネタとして消費された時代だったのでしょう。

 

映画では、寄宿学校でのイジメのシーンをサラリと描いていますが、学校にも職場にも、どこにも逃げ場がなかった彼の苦しみは一般人の私たちの理解を超えた地獄だったはずです。やがて、『クマのプーさんと魔法の森』(クリストファー・ミルン著、石井桃子訳、岩波書店、1977年)で父への愛憎を率直に描けるようになるまで、クリストファー・ロビンはとても苦しんだのだろうと改めて思いました。

 

では、今月も『クマのプーさん』(A.A.ミルン著、石井桃子訳、岩波書店、1957年)と原書の比較読みをします。

 

      *      *      *      *      *

 

【9章:コブタが、ぜんぜん、水にかこまれるお話/Chapter Nine in which Piglet is entirely surrounded by water

 

章のタイトルの読み比べをすると、「ぜんぜん」が、entirely” の訳語になっています。

 

「ぜんぜん」といえば、昔々は「ぜんぜん~ない」というように「否定の先触れの言葉」(副詞の呼応)として学びましたが、現在は話し言葉での肯定の強調によく使われるようになりました。

今回のテキストは、1957年の翻訳ですので、「否定の先触れの言葉」であると言われていた時代のはずですが、このタイトルは、強調の言葉として、すっきり読めます。実際に子供に読み聞かせをして翻訳を続けていた石井訳ならではのことでしょうね。

 

あらすじ:

・雨が降り続いています。独りぼっちで家にいるコブタは他の人はどうしているだろうかと考えます。

 

・木の家がすっかり水に取り囲まれてしまい、助けを呼ぶためにコブタは手紙を書き、壜に詰めて水へ投げ入れます。

⇒■HELP! PIGLITME

 

・プーの家も浸水しましたが、プーは木の家の太い枝によじ登って避難しました。
避難して四日目、プーは水に浮かんでいる壜を見つけました。中には手紙が入っていました。文字が読めるクリストファー・ロビンに会いに行くために、プーはいいことを思いつきます。

 

・クリストファー・ロビンの家は森で一番高いところにあったので安全でした。日増しに周りがどんどん水で囲まれてゆき、まるで島のようになってゆくのを彼は面白がっていました。そこへフクロが飛んできました。

 

・クリストファー・ロビンの頼みでプーの家を見に行ったフクロは、プーの姿が見あたらないと言います。
心配するクリストファー・ロビンの後ろでプーの声がしました。

⇒■‘Here I am, ‘

 

・プーは壜に入っていた手紙をクリストファー・ロビンに読んでもらいました。クリストファー・ロビンとプーは、コブタを助けに行く方法を相談します。

⇒■F.O.P

 

・プーのおかげで、クリストファー・ロビンとプーは、コブタを無事に助けに行くことができました。

 

それでは、気になる箇所の比べ読みをします。

 

HELP! PIGLITME

 

「コブタ」=子豚
の英語は “Piglet” です。

ところが、コブタ本人は自分の名前を間違えて
PIGLIT” と書いています。

この「コブタの書き間違い」が、日本語になっても、うまく伝わっている石井訳をご紹介します。

 

コブタが書いた手紙の本文を抜粋します。

 

石井訳: たすけてくさい!

原文  HELP!

 

石井訳:タ(く)

原文  PIGLIT (ME)

 

石井訳: くてすコタてす

原文  ITS ME PIGLIT

 

石井訳: たすけてたすけて!

原文  HELP HELP!

 

子どもは自分について語るとき、一人称の代名詞である「私」や「僕」の代わりに、名前を使うことがあります。

日頃子どもは家族から名前で呼ばれ慣れているので、一人称を使わなくても会話はできます。でもやっぱり、ちゃんと一人称を使えた方が、大人でエライとわかってはいます。
だから、一人称と名前を併用した、

PIGLIT (ME)

の表記は、そんな様子を思い出させてくれて微笑ましいですね。

 

また、ご覧のとおり、

×PIGLIT  正しくは、〇PIGLET

×コ    正しくは、〇コ

というコブタの書き間違いがあるにはあるのですが、これ以外にも、石井訳にはこんなコブタの書き間違いがあります。

×     正しくは、〇

 

というのは、この手紙はやがてプーの手に渡るのですが、手紙についてプーはこんなことを言うのです。

 

石井訳: そうだよ、それで、このまる(``)のついた字は、プの字だよ。

原文  And that letter is a P

 

石井訳: それから、これもそうだし、これもそうだ。で、プは、プーなんだ。

原文  and so is that, and so is that, and P means Pooh,

 

「コブタの書き間違い」を「プーが読み間違いする」というお話なので、コブタが「す。コす。」と書かなければならなかったところを、「すコす」と、「まる」のついた文字を増やし、その上、「点々」(濁点)をなくして、読者が「まる」だけに注目できるようにしたのですね。

 

‘Here I am, ‘

 

プーの姿が見えないとフクロから聞いたクリストファー・ロビンは大きな声で言います。

 

石井訳: 「ああ、プー」 「どこへいっちゃったんだ

原文  Oh, Pooh!’ ’Where are you?

 

石井訳: と、そのとき、「ここにきました。」という、うなるような声が、クリストファー・ロビンのうしろでしました。

原文  Here I am, said a growly voice behind him.

 

石井訳: 「プー!」ふたりは走りよって、だきあいました

原文  Pooh! They rushed into each others arms.

 

ここでクリストファー・ロビンの独り言にプーが答えるときの、「と、そのとき」 に対応する言葉が原文にない原因を考えてみます。

その一つ前のクリストファー・ロビンのセリフの終わり方は、石井訳で「!」
原文では ’?’ となります。

「どこへいっちゃったんだ」の次が、「ここにきました」では唐突すぎますが、‘Where are you?’ という問いで終わった行の次が、‘Here I am, ’ ならば応答なので、スムーズです。

 

このような違いがある理由は明確にはわかりませんが、これまで本書をずっと読んできた感じと合わせて考えると、原文のクリストファー・ロビンよりも、日本語版のクリストファー・ロビンの方がやや心配屋さんであるためではないでしょうか。

原文のクリストファー・ロビンはわりとしっかりした坊やで、洪水のときも、プーのことを心配しているものの、絶対にひどいことなんか起きないと確信しているふしがあります。対する日本語のクリストファー・ロビンは、おばかさんのプーを深く心配しています。それが
Where are you
?’ ではなく、「どこへいっちゃったんだ」 に表れているように思います。

 

なお、再会してからプーとクリストファー・ロビンは、石井訳では「だきあう」のですが、原文では
rush into each others arms” = 「互いの腕の中に飛び込む」 です。

動作としては似たようなものですが、プーの「腕の中」は、幼いクリストファー・ロビンにとっても、飛び込むには少々、狭いので「だきあう」の方が合っていますね。

 

F.O.P

コブタを助ける方法を思いついた瞬間のプーを、語り手が説明する場面から抜粋します。

 

石井訳: そのとき、このクマくん、すなわち、(とん)(ゆう)(コブタの友だち)にして

原文  And then
this Bear,
Pooh Bear, Winnie-the Pooh F.O.P (Friend of Piglets),

 

石井訳: (とち)(ゆう)(ウサギの仲間)にして、棒発(ぼうはつ)(ポールの発見者)にして

原文  R.C. (Rabbits Companion), P.D. (Pole Discoverer),

 

石井訳: ()()(けん)()(はつ)(イーヨーのなぐさめて(`````)であり、またしっぽの発見者)なるプーのウィニーであり、クマのプーさんである

原文  E.C. and T.F. (Eeyores Comforter and Tail-finder)

 

石井訳: ―じつにプーそのひとが、とてもうまいことを言ったものですから、

原文  in fact, Pooh himself said something

 

この部分は子どもの頃に読んでいて、じつによくわからなかった箇所です。突然文章の調子が変わって、何が起きたのだろう? と思いました。

今回、原文にあたってはじめて、これまでのプーの功績を褒めたたえる、いわゆる「称号」のようなものを即席で作って列挙したのだとわかりました。

それをルビと漢字で表現した技そのものはすごいと思うのですが、「称号」のような概念に慣れていない日本の感覚で翻訳を眺めても、ピンとこない感じがします。それでも、おなじみの「プーのウィニーであり、クマのプーさんである」 の訳は原文と異なり、配置を後ろの方にして、読者の気をそらさない工夫がなされています。

 

終わりに

 

今回は、登場人物の「書き間違い」や「読み間違い」をわかりやすく演出するには、強調すべきところを強調し、不要な部分を削除するべきだということ、臨場感を出すには会話の間に言葉を補うとよいということ、日英文化の違いが原因でどうしても分かりにくい箇所があったとしても、できる限り元の形を崩さず、読者が読みやすいように翻訳する、ということを学びました。

実はこの章ではフクロが大活躍しています。森じゅうが水に覆われてしまっても、フクロは空を飛べますから!

だけど、難しい言葉をこねくり回しすぎてクリストファー・ロビンとの会話がかみ合わなかったり、「いいから、フクロ、話なんかしないで、さっさといっておくれよ」とクリストファー・ロビンに話をさえぎられたり。とはいえ、あまりへこたれている様子はありません。とにかくフクロは、プーを相手にするときとは違って、クリストファー・ロビンに対してとても丁重な言葉遣いをします。まるで執事のようです。こういう演出も翻訳でできることだと改めて実感しました。

 

冒頭でご紹介した映画は、クリストファー・ロビンを演じた幼少期の子役が本当に役に合っていてとても可愛らしく、その点だけでも非常におすすめです。また、プーの物語に親しんだ人なら、ピンとくるシーンがたくさんあるので、それを見つける楽しさもあります。よろしかったらぜひご覧ください。