クリストファー・ロビンの王国(8) 執筆者:水野美和子

神無月のとある日、『クマのプーさん』が翻訳された場所を見てみたくて、石井桃子の自宅だった杉並区・荻窪の「かつら文庫」を見学してきました。

「かつら文庫」とは、地域の子どもたちがくつろいで自由に本が読めるようにと、石井桃子が1958年に自宅を開放してはじめた場です。現在も、公益財団法人・東京子ども図書館の分室として活動が続いています。

※公益財団法人・東京子ども図書館:http://www.tcl.or.jp/

 かつら文庫入り口。向かって左側に「かつら」の由来となる月桂樹の木があります。

 

かつら文庫を見学するには、事前に電話で予約をする必要があります。

石井桃子の書斎と書棚を見るのが一番の目的でしたが、公開書庫には故渡辺茂男の蔵書と共に、日本の児童図書賞を受賞した本も受賞年代順に並べられており、リストでは知っていても実物がずらりと並んでいて圧倒されました。背表紙だけを眺めていても、時代の移り変わりが伝わってきます。すべてを見つくせませんでしたが、今度また行ったときは、ゆっくり眺めたいです。

渡辺茂男は、『エルマーとりゅう』の翻訳者です。子どもの頃、竜が現実世界にも本当にいると思えたあの表紙を眺めて心を躍らせたのをよく覚えています。その蔵書の中から、岩波少年文庫で愛読していたメアリー・ポピンズの原書のペーパーバックや、大好きだったスーザン・クーパーの『光の六つのしるし』の原書を見つけました。

とくに『光の六つのしるし』は、評論社の翻訳で慣れ親しんでいた装丁と、ここで拝見した原書の装丁がそっくりだったことが驚きで、とても懐かしい気持ちにさせられました。

 

そしてこちらが石井桃子の書斎です。

 書斎の机と本棚

 

本棚に英語の児童書が沢山ありました。この写真から見て背後の棚には石井桃子の翻訳本と創作本が並んでいます。

書斎の隣の部屋には、“THE HORN BOOK MAGAZINE” という児童文学専門の英語の雑誌が、なんと戦前の分から置いてありました。

海外の児童文学関係者と文通をしていたことが、『プーと私』(石井桃子/河出文庫)に書かれていましたが、このようにずっと専門雑誌を読んで情報収集なさっていたのですね。いつか私もこの古い雑誌も読んでみたいです。

 

the HORN Book Inc.https://www.hbook.com/

 

では、今月も『クマのプーさん』(A.A.ミルン著、石井桃子訳、岩波書店、1957年)と原書の比較読みをします。

 

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【8章:クリストファー・ロビンが、てんけん(````)隊をひきいて、北極(ノース・ポール)へいくお話/Chapter Eight in which Christopher Robin leads an expotition to the North Pole

 

この章では、のんびり屋のプーでさえ、「おい、コブタ」なんて呼び掛けたりして、森のみんなの様子がいつもと違います。

コブタはえらそうなフクロの態度に厳重に抗議をしましたし、イーヨーはいつもより大きな声で不平を言いますし、ウサギはクリストファー・ロビンの片腕らしく振る舞います。

それもこれもみんなで「たんけん」に乗り出すという高揚感があるからなのでしょう。

子どもの頃、「たんけん」ということばの響きに心を躍らせたのを思い出しながら、再読しました。

 

あらすじ:

・プーは、クリストファー・ロビンから、北極を発見するために探検することを森のみんなへ伝えるように頼まれます。
でもプーは難しい言葉がわからなくて、探検を「てんけん」と勘違いします。

⇒■‘Going on an Expotition?

 

・プーはウサギとコブタに「てんけん」のことを伝えます。コブタはそれが、怖いものなのかが気になっています。

 

・森の住人たちが集結しました。プーにコブタにウサギ、カンガ(と息子のルー)にフクロにイーヨー。そしてウサギの「親戚友人一同」です。クリストファー・ロビンを先頭にして、一行は北極探検に出発します。

 

・危険な場所に出たことに気がついて、クリストファー・ロビンは気がついて、みんなに注意を呼び掛けます。

⇒■’Its just the place for an Ambush

 

・そのまま進んで、安全な場所に到着したのでそこでお昼を食べることになりました。

 

・お昼のあと、クリストファー・ロビンは、こっそりとウサギに相談します。そもそも、「北極」ってどんなもので、どこで見つかるのでしょうか?

⇒■‘What does the North Pole look like?

 

・みんなお腹がいっぱいになってくつろいでいるとき、なんとルーが川に落ちてしまいました。みんなでルーを救おうとヤキモキしている時、プーが長い棒を持って来て、ルーを救います。

 

・クリストファー・ロビンは、プーの棒(ポール)こそが北極(ノース・ポール)だと気がついて、探検の終了と成功を宣言します。

 

・ルーを救おうとして尻尾を凍らせたイーヨーをクリストファー・ロビンがいたわります。そしてみんな無事に家に帰りました。

 

それでは、気になる箇所の比べ読みをします。

 

■‘Going on an Expotition?

 

もちろん、Expotition という言葉は辞書にはありません。正しくは Expedition (探検)ですね。

 

クリストファー・ロビンがプーに説明をする場面の二人の会話だけを抜き出して、原文と石井訳を比較します。

 

石井訳: 「ぼくたちみんなでね、探検にのりだすんだ。」

原文  We are all going on an Expedition

 

石井訳: てんけん(````)にのりだす?ぼく、それに乗ったことがないと思うな。てんけん(````)に乗って、どこへいくんです?」

原文  Going on an Expotition? I dont think Ive ever been on one of those. Where are we going to on this Expotition?

 

石井訳: たんけん(````)だよ、ばかだなあ。けん(``)の字がついてるんだよ。」

原文  Expedition, silly old Bear. Its got an x in it.

 

プーは「てんけん」という乗り物に乗るのかと勘違いをして、クリストファー・ロビンに間違いを指摘されています。

でもなぜ、クリストファー・ロビンは“x”の話をするのでしょう。 Expotitionにも、 Expedition にも“x”は含まれているというのに。

 

実は少しあとの場面で、プーはコブタに会ってこんな会話をします。ここで“x”が大活躍するんです。

 

プーとコブタの会話だけ抜き出して、原文と石井訳を比較します。

プーからてんけんに行くと言われて、コブタは尋ねます。

 

石井訳: 「こわくないもの?」

原文  Nothing fierce?

 

石井訳: 「クリストファー・ロビンは、こわいなんてこと、なにも言わなかったよ。

原文  Christopher Robin didnt say anything about fierce.

 

石井訳: ただ、けんて字がついてるって言ってたっけ。」

原文  He just said it had an x.

 

石井訳: 「ぼく、けんのことなんか心配してやしないんだ。こわいのは、やつらの歯なんだ。」

原文  It isnt their necks I mind. Its their teeth.

 

最初に原文を読んだときはピンと来なくて、二回目に読んだときに気がついて、やっと笑えました。

コブタはプーの言う、「an x”(アン・エックス=アネックス)」を、「necks(ネックス=首)、と聞き違いをして、「ぼくは、やつらの首なんか怖がってはいないよ! やつらの歯が怖いんだよ!」と主張していたのです。

necks は、複数ですから、きっとコブタは、多頭の猛獣を思い浮かべているのでしょうね。

 

このように、ExpesitionExpositionxneck という原作者の企みを知ってから、石井訳を読むと、

たんけん→てんけん→けん→けん(おそらく「剣」)の置き換えで、うまく健闘したことが伝わってくるけれども、子供の頃は、けんが剣だとも気がつかず、このコブタの発言にはぴんときていなかったです。

 

■’Its just the place for an Ambush

危険な場所に出たことに気がついて、クリストファー・ロビンは気がついて、みんなに注意を呼び掛けます。

クリストファー・ロビンとプーの言葉だけ抜き出して、原文と石井訳を比較します。

 

石井訳: 「こういうところなんだ、奇襲があるのは。」

原文  Its just the place for an Ambush.

 

石井訳: 「なんの木の種類だって? ハリエニシダの木?」

原文  What sort of bush? A gorse-bush?

 

原文のAmbush(奇襲)→bush(茂み)→gorse-bush(ハリエニシダの茂み)という話の流れに対して、石井訳では、奇襲(キ‐シュウ)→木の種類→ハリエニシダの木 となっていて、着地点が同じになるように訳されていてさすがです。

 

Ambushについては、フクロが丁寧に説明してくれています。

 

石井訳: 「奇襲というのは、一種の不意打ちです。

原文  An Ambush is a sort of Surprise.

 

石井訳: とつぜん、だれかが、あなたにとびかかってくる、それが奇襲です。」

原文  If people jump out at you suddenly, thats an Ambush

 

プーは、とげのあるハリエニシダの木の上に落ちたときに、ハリエニシダの木が自分にとびかかってきて大変だったのを思い出して、そのことを「奇襲」と理解してしまいます。

 

■‘What does the North Pole look like?

 

クリストファー・ロビンはウサギに、北極(ノース・ポール)って、どんな格好をしているのかと、こっそり相談します。

知っていたけれどちょっと忘れてしまったのですって。でも、ウサギもちょっと忘れてしまったようです。

そこでクリストファー・ロビンは(ポール)のようなものかと言いだし、ウサギは全面的に賛成します。

 

石井訳: 「地面に立ってるポール(棒)じゃないかしら?」

原文  I suppose its just a pole stuck in the ground?

 

石井訳:(ポール)にはちがいない。だって、ポールというんですもの。

原文  Sure to be a pole, because of calling it a pole,

 

石井訳: そして、もし棒なら、地面にたってるだろうじゃありませんか。

原文  and if its a pole, well, I should think it would be sticking in the ground, shouldnt you,

 

石井訳: それでなきゃ、どこにも立て場所がありませんもの。」

原文  because thered be nowhere else to stick it.

 

北極(ノース・ポール)ポール(棒)という解釈の変化があったということです。

こういう言葉遊びだったのか!と、つながった時のことはよく覚えています。中学生のときでした。

これほど丁寧にルビで、「北極(ノース・ポール)」とか、「ポール(棒)と書かれていたのにもかかわらず、私は英語で、“North Pole=北極 と、“pole=棒、という二つの単語を学ぶまでは、この可笑しさを理解できていませんでした。

 

このあと、実際にプーが棒を見つけてくるお話なので、これまでの翻訳のように、意訳や言葉遊びに変えてしまうこともできなかったのでしょう。そんな困った状況でも、日本語ならばルビで言葉に二つの意味を持たせて、伝えることができるということがわかりました。

 

終わりに

 

子供の頃、この章については、意味をきちんと理解して楽しんだというよりも、「たんけん」という言葉にたいする、わくわくする気持ちを楽しんでいたことを思い出しました。

というのは、例えば、テンションが上がっているプーが「おい、コブタ」なんて呼び掛けるところですが、原文はシンプルで、‘Oh! Piglet,’ です。

つまり、森のみんなの高揚感が強く伝わってくるのは、プーの原文だけではなく、石井訳のおかげなのです。今回のブログで挙げたとおり、原文での言葉遊びの面白さを直接伝えることが難しいとわかった石井は、この章の場合はキャラクターの動きをいつもに増して生き生きとさせることで楽しく読めるものになる、と判断したのだと思います。

翻訳というのは、言葉を訳すだけではなくて、日英文化の違いを把握しつつも、それでも作品の面白さを伝える工夫をしてゆくものなのだということを学べました。

 

ご紹介しきれませんでしたが、この章でも、コブタがえらそうなフクロの態度に厳重に抗議をした場面や、ウサギがクリストファー・ロビンの参謀になろうとしてデキる人のふりをしている場面など、面白い場面が沢山あります。機会があったらぜひ、プーの本をご覧になってください。

 

また、冒頭でご紹介したかつら文庫は、子どもの頃本が好きだった人には、とても懐かしい本の並んでいる素敵な場所です。よろしかったらぜひ行ってみてください。

かつら文庫をご案内くださった、東京子ども図書館の吉田啓子様、ありがとうございました。