クリストファー・ロビンの王国(5) 執筆者:水野美和子

先日、『プーと私』(著者:石井桃子/出版社:河出書房新社)を読みました。

『クマのプーさん』を翻訳した石井桃子が英米児童文学とその出版や、児童向け図書館の活動を調査するために、1955年頃アメリカやヨーロッパの児童向け図書館や出版社等を訪れた体験を中心とした短いエッセイを一冊にまとめたものです。限られた期間にやるべきことがてんこ盛りで大変だったはずなのに、のびのびと書かれていて石井の強くてしなやかな人柄が伝わってくる、とても魅力的な本です。

 

 

表題のエッセイで石井は、クマのプーとの出会いを書いています。

一九三三年(昭和八)のクリスマスイブの日、家族ぐるみで親しくしていた犬養健宅で、石井は犬養家の子供たちから
The House at Pooh Corner (邦題:プー横町に建った家) を読んでほしいとせがまれました。子供たちというのは、当時小学校四年生ぐらいだった道子(のちの評論家)と康彦(のちの共同通信社社長)の二人です。

「プーという、さし絵で見ると、クマとブタの合い子のようにも見えるいきもの」
の物語をその場で訳しながら読み聞かせをした石井は、子供たちと一緒になって物語に夢中になり、その後、銀座の教文館で他のプーの本も入手して、一九四〇年には岩波書店より『クマのプーさん』を出版しました。

同じエッセイの中で石井は、「日本は、戦争へ、戦争へとすすんでいたので、プーの思い出には、若かった私の、何か必死に自分のものをまもろうとする気もちがまつわりついている」
と書いています。

それはたとえば、この幸せなクリスマスの前年、一九三二年には五・一五事件があったことも無関係ではないでしょう。二人の子供たちの祖父、犬養毅は総理大臣でしたが、五・一五事件の際、青年将校たちに射殺されていました。さらに一九三六年に二・二六事件、一九四〇年一二月に真珠湾攻撃、と日本は苦しい戦争の時代へ突き進んでゆきます。

ここのところ、最高気温が35℃を超えることもある暑い毎日ですが、それでも安心して読書できる平和が続いていることに感謝しながら、今月も『クマのプーさん』(著者:A.A.ミルン/訳者:石井桃子/出版社:岩波書店/出版年:1957年)と原書の比較読みをします。

 

      *      *      *      *      *

 

【5章:コブタが、ゾゾに会うお話/Chapter Five in which Piglet meets a Heffalump

 

ゾゾ とは石井桃子の造語で、原文では Heffalump のことです。

挿絵から察するに、ゾゾとは、象 = Elephant のことで、 Heffalump Elephant と音の響きが似ていますね。

 

 

あらすじ:

・プーとコブタはゾゾを捕まえるために、落とし穴に餌を仕掛けることにしました。餌は何にしたらよいでしょう?⇒■ゾゾはハチミツが好きか、どんぐりが好きか

 

・餌はハチミツと決まりました。コブタは落とし穴を掘り、プーは家からハチミツのつぼを持ってきて、穴に仕掛けます。二人は翌朝6時に待ち合わせる約束をして、それぞれの家に帰ります。

 

・夜中、プーはおなかがすいて、棚のハチミツのつぼを探しますが見つかりません。探しながら、プーは自作の歌を歌います。⇒■「とってもとってもおかしいな」の歌

 

・ハチミツは落とし穴に仕掛けたことを思い出したプーは、仕方なく、羊を数えて眠ろうとしますが、ゾゾが美味しそうにプーのハチミツを食べている様子に我慢ができなくなります。

 

・落とし穴に入って、ハチミツのつぼをなめているうちに、プーはつぼから頭が抜けなくなってしまいました。もがいて暴れているプーを見たコブタは、ゾゾと勘違いして、慌てふためいてクリストファー・ロビンを呼びに行きます。⇒■おっそろしいゾゾだい!

 

・クリストファー・ロビンとコブタが、落とし穴を覗き込むと、ちょうどツボが割れて、プーの姿が現れました。コブタは家に帰り、プーはクリストファー・ロビンと一緒に朝ごはんを食べました。

 

それでは、気になる箇所の比べ読みをします。

■ゾゾはハチミツが好きか、どんぐりが好きか

 

ゾゾの釣り餌を相談する二人。プーはハチミツが良いといい、コブタはドングリが良いといいます。

 

石井桃子訳: プーはドングリよりもハチミツのほうが、ずっとわなわなしいと言いました。

原文       Pooh said that Honey as a much more trappy thing than Haycorns.

 

「わなわなしい」
が面白かったので、Trappy Collins dictionaries
https://www.collinsdictionary.com/で調べました。

 

Trappy:
[ADJECTIVE] having many traps.

 

罠がたくさん仕掛けられている→ハチミツという釣り餌の罠は、プーにとってわなわなと体が震えるほど効果的だ、といったところでしょうか。

 

さて、プーもコブタも、このままだと自分の好物をゾゾの釣り餌として差し出さなければならない、と気がついて、互いに、相手の好物を釣り餌にしよう、といおうとします。それはほんのちょっとの差で、コブタが言うのが早かったのでした。

 

石井桃子訳: 「ハチミツと。」と、コブタは、さもそのことがはっきりきまってしまったというように、おちついてこうつぶやくと、

原文       ‘Honey.’ said Piglet to himself in a thoughtful way, as if it were now settled.

 

Thoughtfulには、「おちついて」という意味もあるのでしょうか。

Collins dictionariesで調べました。

 

thoughtful:
[ADJECTIVE] If you are thoughtful, you are quiet
and serious
because you are thinking about something.

 

なるほど、コブタはドングリが惜しくて、真剣な面持ちで「ハチミツと。」と、静かにつぶやいたのですねー。

 

■「とってもとってもおかしいな」の歌 

 

夜中、お腹がすいてきたプーは、ハチミツのつぼを探しますが見つからないので、こんな歌を歌います。

 

石井桃子訳:

とってもとてもおかしいな

たしかにミツはあったんだ

上にも書いてあったんだ

      ハチミチとねえ

 

原文      

It’s very, very funny

‘Cos I know I had some honey;

‘Cos it had a label on,

Saying HUNNY

 

 

プーの作った詩歌の翻訳になります。

Funny honey の韻を踏んでいるのが原文で、七五調でまとめているのが訳文です。

HUNNY” とは、プーがハチミツのつぼのラベルへ書きこんだ言葉です。

歌の中で HUNNY honey を書き分けているのですから、HUNNY honey の間違いというわけではなく、知っていてあえて使っている、いわば「プー語」なのでしょう。対応する訳語
「ハチミチ」は、舌足らずな感じがうまく出ていますね。

 

「とってもとってもおかしいな」の歌は、さらに続きます。

 

 

石井桃子訳:

ほっぺたが落ちそにいっぱいな

つぼがどこかへいっちゃった

ああ、ほんとうにどこだろな

        こりゃおかしいぞ

 

原文      

A goloptious full-up pot too,

And I don’t know where it’s got to,

No, I don’t know where it’s gone

Well, it’s funny.

 

 

見慣れない単語なので、goloptiousCollins
dictionaries
で調べました。

 

goloptious:
[ADJECTIVE] slang
  voluptuous

 

とあるので、次にvoluptuousを調べると、

 

voluptuous: Something that is voluptuous gives
you pleasure
from the rich way it is experienced through your senses.

 

プーにpleasure与えるものといえば、ハチミツですから、直訳すれば
「つぼいっぱいに入っていた大好きなハチミツ」 になる箇所が、「ほっぺたが落ちそにいっぱいな」 となっている通り、歌の後半は、細かく読めば意訳と言えます。ともあれ、プーのハチミツへの熱い思いと、ハチミツのつぼが見つからなくて、不思議がる気持ちとが、しっかりと伝わってきます。

また、“I don’t know where it’s” と二回繰り返される表現を、そのまま繰り返して訳すのもありなのでしょうが、「ああ、ほんとうにどこだろな」と畳みかけるのも効果的な訳し方なのですね。

 

■おっそろしいゾゾだい!

 

ハチミツのつぼが頭にすっぽりはまってしまって、絶叫してもがいているプーを見たコブタは、ゾゾだと勘違いして慌てふためきます。原文でのコブタの慌て方がめっぽうすごくて、とても笑えます。

 

原文     :

‘Help, help’ cried Piglet,

a Heffalump, a Horrible Heffalump!’

and he scampered off as hard as he could, still
crying out,

‘Help, help, a Herrible
Hoffalump!

Hoff, Hoff, a Hellible Horralump!

Holl, Holl, a Hoffable Hellerump!’

And he didn’t stop crying and scampering until
he got to Christopher Robin’s house.

Heff,’ said Piglet,
breathing so hard that he could hardly speak,

‘A heff a Heff
a Heffalump’

 

石井桃子訳:

「たすけてェ!
たすけてェ!」コブタはさけびました。

「ゾゾだい!
おっそろしいゾゾだい!」

そして、またどなりながら、こんかぎりの早さで逃げだしました。

「たすけたい!
たすけたい! ぞっぞるしいゾだい!

たすけろい!
たすけろい! ぞっぞろしいゾだい!」

そうして、コブタは、クリストファー・ロビンの家につくまで、どなったり、かけたりしていきました。

「ゾロ!」コブタは話もできないほど、息を切らしていました。

「ぞっぞるしいゾル・ゾゾ。」

 

 

Horrible Heffalump = 「おっそろしいゾゾ」 という二つの単語の組み合わせが、慌てふためいたコブタの頭の中で、ごちゃごちゃに変形してしまっているんですねー。

⇒ゾの変化には元の単語の音の響き( Hellible Hoffable
)がそこはかとなく反映されています。

 

石井桃子の最新訳の同じ個所も比較します。(『クマのプーさん全集』(岩波書店 1997年 AA.ミルン
, EH.シェパード 絵 , 石井 桃子 訳 , 小田島 雄志 訳 , 小田島 若子 訳 
https://www.iwanami.co.jp/book/b254622.html

 

最後には「ぞうぞうしい」にたどり着くあたり、象という言葉へそれとなく近づいていて、上手いなぁと感心します。

 

新訳  :

「たすけて! たすけて!」コブタはさけびました。

「ゾゾだ! おっそろしいゾゾだ!」

そして,どなりながら,こんかぎりの早さで逃げだしました。

「たすけた! たすけた! おっそるしいゾロだあ

たすけろ! たすけろ! ぞろぞろしいゾロだあ!」

そうして,コブタは,クリストファー・ロビンの家につくまで,どなったり,、かけたりしていきました。

「ゾロ!」コブタは話もできないほど,息を切らしていました。

ぞうぞうしいゾル・ゾゾ。」

 

 

そのあと、クリストファー・ロビンに「どんなかっこうしてた?」ときかれて、コブタは一生懸命説明します。

 

 

石井桃子訳:

「まるでね—まるでね—

見たこともないくらい、おっきい頭してるんですよ。

とてもおっきくて、でかァい—まるで—まるで、なんでもないものみたい。

めっぽうかいもなくおっきい—あの、まるで—ぼく、わかんないや。

まるで—でかァくて、おっきい、なんでもないもの。

まるでね、つぼ。」

 

新訳  :

「まるでね—まるでね—

見たこともないくらい,おっきい頭してるんです

とてもおっきくて,でかァい—まるで—まるで,似てるものなんにもないみたい。

めっぽうかいもなくおっきい—あの,まるで—ぼく,わかんないや。

まるで—でかァくて,おっきい,なんにも似てないもの。

まるでねつぼ。」

 

原文     :

‘Like like

It had the biggest head you ever saw,
Christopher Robin.

A great enormous thing, like – like nothing.

A huge big well, like a I don’t
know
like an enormous big nothing.

Like a jar.’

 

 Like a jar”で最後にまた笑わせてくれます。コブタは慌てていても、実はちゃんと「つぼ」を見ているんですよね。

新訳と旧訳を比べると、新訳で
like nothing” の訳を強調しているのがわかります。

終わりに

 

今回は、プーの歌の訳され方や、慌てふためいたコブタのセリフの訳され方を通して、石井訳は、訳す順番を基本的に変えず、音の響きを大切にしていること、特に「わなわなしい」「ぞうぞうしい」のように、日本語での意味や響きも含めて翻訳していることを学びました。また、新訳との違いから、たゆまず、よりしっくりくる訳を模索し続ける石井訳のすごさを知ることができました。

今回の五章はやや長めで、ここでは紹介しきれないほど面白い場面がたくさんあり、絞り込むのにとても困りました。よろしかったらぜひ、プーの本をご覧になってください。

それにしても、五章で一番はじめに象のことをElephantではなく、Heffalumpと呼んだのは、クリストファー・ロビンです。前回の驚異のライティングといい、またやってくれましたという気持ちです。つまり、コブタの慌てふためいたセリフ “Horrible Heffalump = 「おっそろしいゾゾ」 がぐずぐずになってゆく可笑しさのきっかけをつくったのは、実はクリストファー・ロビンだったのでした。