100題 執筆者:Penny(翻訳ジム修了生)

 小学5年生の頃、詩の朗読の時間が朝あった。週に1編の詩を毎朝朗読したのか、月に1編の詩を週に1度だったのかまでは覚えていないけれど、20年以上たった今でも、ふとした瞬間に頭の中にあの時間に習った谷川 俊太郎さんの『朝のリレー』などが浮かぶことがある。
 早いもので、翻訳ジムを修了してもう2年になる。カリキュラムのはじめの2ヶ月間で取り組んだ名文家のエッセイ100題のうちのいくつかも、小学生の頃の詩と同じようにこの頃頭の中に浮かんでくるようになった。子供の頃の詩と比べて理由は明確で、どちらかというと自分に言い聞かせているようなところがある。
 今回はその中から、100題の中に何度か登場するサマセット・モームの一節を紹介したいと思う。

“It is evident that no professional writer can afford only to write when he feels like it. IF he waits till he is in the mood, till he has the inspiration as he says, he waits indefinitely and ends by producing little or nothing. The professional writer creates the mood. He has his inspiration too, but he controls and subdues it to his bidding by setting himself regular hours of work. But in time writing becomes a habit, and like the old actor in retirement, who gets restless when the hour arrives at which he has been accustomed to go down to the theatre and make up for the evening performance, the writer itches to get to his pens and paper at the hour at which he has been used to write.”
Maugham, W. Somerset “The Summing Up”より

職業作家が書きたいときにだけ書いていては、やっていけないことは明らかだ。気分が乗るまで待っていたり、作家の言うように「ひらめき」がやってくるまで待っていたりしたら、永遠に待つことになって、ほんの少ししか書けないか、何も書けずに終わってしまう。職業作家たるもの自分で書く気分をつくることができるのだ。もちろんひらめきもあるが、決まった仕事時間を作ることによって、自分の意思で創造する力を律することが出来るようになる。やがて執筆は習慣となり、引退した老役者がいつも劇場へ行き、夜の公演のための準備をしていた時間になるとそわそわして落ち着きを失うように、作家もまた、決まった時間になると筆を取り机に向かいたくてたまらなくなるのだ。