新しい年雑感  執筆者 日々わくわく子(時々翻訳者)

2019年が始まった。今年は平成の年号が変わる。今メディアでは、次は何という年号になるかと予想が盛り上がり始めている。何しろ四月一日には分かると言うから興味のあるところだ。誰かが、これまでの明治、大正、昭和、平成のローマ字表記の頭文字、M, T, S, Hとはかぶらないだろうと言っていた。となるとアルファベット26文字の内22文字以内のどれかとなる。これで予想が当たったら面白そう!
閑話休題。毎年のことだが、年が明けてしまうと年末の忙殺感がひと昔前に思える。師走になると、「忙」の一文字が空気中に漂ようかのように気ぜわしくなる。私にとっては、大掃除、正月の準備、年賀状書きと、これらを一挙に再後の数日でこなそうとするから精神的プレッシャーは大きい。中には、きちんと計画を立てて月始めから余裕でこなす人もいる。私の場合は多少手を抜いても忙がし感は変わらない。一瞬、これら全てを無しで済ませることもできるのだという考えが頭をよぎった。そしたらどんなに楽だろう。でも次の瞬間、いや私は日本人、今まで長年積んで来た年末の習慣をここで崩すことはできないと思い直した。ぎりぎりで全て(手抜きでも)仕事を終える達成感を味わえるのはこの時位ではないか。何とか一年をきっちりと収めねばならぬという義務感の様なものか。大掃除も正月の準備もたかがエクストラの家事である(年賀状書きは昨今では止めちゃった人が増えているが)。でも、やはりこれ抜きでは年を越せないようだ。
ところで、一年はあっという間に過ぎると皆が言うけれど、私にとって一年はいつも長い。どうしてだろうか。現役の時からそう感じていた。パーツ毎には短いと思うのは分かる。一日はすぐに終わり、一週間はすぐに次の週となる。楽しい時間ほどすぐに過ぎ、退屈な時は時間が間延びしている。それでも総じて一年は長いのだ。心理学の先生に説明して頂くとよいかもしれない。何も起きずに暇な時間がたっぷりあれば、多分長く感じるだろう。私の今の生活はあまり変わり映えせず、年中何かに忙殺されているわけではない。一年が短いと、もう終わってしまうのか、まだ何もやってないのに年だけ取って行くと焦りを感じるのだろうか。私も別にほとんど何も達成しないで、年だけ取って行く。それは止められない。それでもきっと私のどこかで、まだまだだと思っているふしがある。もうだめだと決して思わず、また継続して行くという、虫のよさなのかもしれない。一生そのように思い続けるかもしれない。ずっと頭で感じてきたことを言葉で表わしてみるとこうなる。
最後に私にとって健康であることは重要なポイントで、昨年体調をちょっとくずしたことから、大いに自覚するようになった。幸いに大病もせずこれまでこれた。これからもずっとこの状態でいやそれ以上に過ごし続けるために健康を維持しなくてはいけない。これは何よりの宝であると気づいた。
今年も一年はきっと長いだろう。明るく楽しく元気で行きたい!