年末雑感 執筆者:プレーイングマネージャー

 いよいよ今年も最後の月、師走となりました。年々月日の過ぎるのが早いと感じる今日この頃ですが、とくに師走はせわしなくて個人的には少し苦手です。忘年会、クリスマス、そしてお正月と、あっという間に今年も終わってしまうのだろうと思います。
 さて、時代が昭和から平成に代わった30年前の流行語大賞は「セクシャルハラスメント」だったそうですが、現在ではもう新語、流行語の範疇を超えてすっかり一般に定着してしまった感のある言葉です。むしろ現在ではパワハラ、モラハラ、マタハラなど全く当時は耳にもしなかった言葉が当たり前のように飛び交うようにすらなってしまいました。これらの行為自体は当時からもちろんあったのでしょうが、人々の認知度が向上したことに加え、行為自体も増えているのかも知れません。
 今年は、スポーツ界においてパワハラ問題が日本体操協会、日本レスリング協会、日本ボクシング連盟、日大アメフト部、と思いつくだけでもこれほどまでに頻回に起こり、社会全体を揺るがす大問題になりました。毎日毎日しつこく報道されていましたので、皆さんも食傷気味だったのではないでしょうか。特にスポーツの世界は、もともと閉鎖的で、絶対的な実力、権力を持つ指導者がトップに君臨するという構造上、また指導者がかつてそのような指導を受けてきたという経験もあって、当事者に認識のないままそのようなハラスメントが起きやすいのだと思います。もちろん権力がある人間がそれを振りかざして一方的に弱者を追い込むことはあってはなりませんが、上に挙げたようなスポーツはみな真剣勝負で一歩間違えたら重大な後遺症が起こり、生命に関わる事故につながるわけですから、必然的に指導は厳しくなるでしょうし、やる気がない人間は干されても仕方なく、むしろ干されたほうが本人のためであると思います。
 個人的には、弱者がパワハラを受けていると感じたら何でもパワハラになってしまう、そのような告発があると誰かがそれに乗っかってすぐにおおごとになってしまうという現在の風潮に正直違和感を持っています。何らかの組織に属して仕事をしている場合、一人前になるには必ず上司から教えを請うたり、周りのできる人の仕事ぶりを真似たり盗んだり、やりたくない面白くない仕事(いわゆる雑用)をこなし、上に認知してもらい仕事を振ってもらって経験を積み重ねていくというプロセスがあるものだと思うのですが、雑用などの面倒くさいことはしたくないが手際よく(勉強になるものだけ選んで)経験は積みたいとか、そもそも上から教えてもらったり助けてもらうのは当然、という受け身で考えの甘い若者が多いように感じられ、どう指導すべきか日々葛藤しています。
 どこまでが「指導」で、どこから「パワハラ」なのかわからなかったので、調べてみました。威圧的、攻撃的、否定的、批判的な態度は「パワハラ」、肯定的、受容的、見守る、自然体という態度が「指導」であり、また組織や自分の利益中心なのが「パワハラ」で、組織にも相手にも利益が得られるのが「指導」だそうです。
 私自身、ぎりぎりの状況まで追い込まれて初めて人間は成長するという考えなのですが、時代遅れの考え方だとお叱りを受けるかも知れません。上の定義に従うと、相手を追い込んではならず、良いところを褒めて伸ばしてあげる、悪いところがあっても受容して見守るというのがよい指導のようです。この風潮はこの先決して変わることなく、さらにやりにくくなっていくことでしょう。
 今の若手が年をとって指導者層になった時に、少子化でさらに若手が少なくなってさらに甘い考えの人間ばかりになってしまったら、本当にAIとかロボットとかの助けを借りないと社会が成立しなくなってしまうのかも知れません。