古典への誘い 執筆者 日々わくわく子(時々翻訳者)

今年になって突然日本文学の古典に興味がわき出した。そもそも古典の好きな友だちに枕草子について書かれた新刊本を教えた。すると、面白かったと言うので試しに読んでみたら大いにはまってしまったのだ。高校の時の古文の時間は無味乾燥としか思えなかった。よく耐えていたものだ。何も分からず、動詞の段活用などは暗記したけれど、肝心の内容を味わうことからはほど遠かった。それが、年を重ねた今となり鑑賞する心持ちになった。
枕草子。1000年も前の昔の平安中期に書かれた随筆。作者清少納言は時の天皇のお妃だった中宮定子に仕えていた。この定子は若く美しく才能にあふれた女性で、年上の女房清少納言は心から憧れ敬っていた。ある時高価な紙を定子から賜り、それが枕草子執筆の発端となった。紙一枚無駄にしてしまう現代と違って、平安期に紙を手に入れることは非常に限られていたらしい。
原文は一人ではとても読めないので、枕草子の講座を見つけて通ってみた。講師の原文の解釈を聞きながら、1000年前の貴族の生活に思いをはせた。今と同じ人間の悲喜こもごもがあることに感銘を受けた。清少納言は自然の四季折々の美しさをめで、宮廷内の日常風景や人間模様を「をかし」と描写している。その繊細な感覚が今になってしみじみと味わえる。
中宮定子はその当時権勢をふるっていた関白藤原道隆の娘だった。しかし、その道隆が失脚したことで、定子も宮廷には居ずらくなり出家してしまう。だが一条天皇の彼女への寵愛が強く、定子は再び宮廷に戻されてしまう。幸いにも子宝にめぐまれたが、若くしてこの世を去ることとなる。父親の道隆の失脚後、その弟である藤原道長が絶対的権力を握った。道長は娘の彰子を天皇の妃に嫁がせる。この彰子に仕えたのが紫式部だった。(なるほどそうだったのか。)
定子に仕え、その波乱の生涯の一部始終をそばで見ていた清少納言。しかし枕草子のなかで、定子については悲劇の主人公としてではなく、あくまでも明るく輝きを放つ宮廷サロンに生きる才女の姿を描いたのだと言う。それは定子への鎮魂に他ならないが、後の世の人々の記憶にとどめるためにあえてそうしたそうだ。
枕草子に興味を抱いたことで、引き続き平安期の日記文学の講座が目に留まった。土佐日記、蜻蛉日記、更科日記、そして紫式部日記に到る内容。それぞれの作者はどんなことを考えていたのだろう。知らなかったことを知りたいと思った時のわくわく感。またこのブログでふれる機会があるかもしれない。
最後に、ふと思ったことがある。1000年前の文学に感動を覚えるように、今から1000年後地球がまだあるとして、その時代の人々も私達の遺した物に対して興味や共通点を見出してくれるといいなと考えた。ちょっと先過ぎるけれど、今まで1000年やって来たのだから、これからの人類のつながりに期待したい。