恩師のY先生 執筆者 日々わくわく子(時々翻訳者)

短大時代に素晴らしい教えを受けたY先生。今年の3月にご病気で亡くなられた。台風24号が関東へ向かって来るという9月最後の日曜日に、先生を偲ぶ会が開かれた。あいにくの天候にもかかわらず、都内のホテルの会場には沢山の教え子が集まった。プログラムは、キリスト教系の学校だったので祈りのスピーチから始まり、ありし日の先生の様々な写真のスライドショー、数人の教え子達のスピーチ、先生に捧げられた音楽演奏等々で進められた。 皆が語るエピソードを耳にしながら、常に明るく前向きで探求心を怠らず、そして教え子思いであった先生の姿が浮かんだ。先生は本当に皆に愛されていたのだ。

Y先生はその昔フルブライト奨学生としてアメリカ留学をされていて、きれいな発音で流ちょうに英語を話された。始めて先生が話す英語を聞いた時、その並外れた会話力に圧倒された。先生は英語学が専門だったが、文学の授業もされていた。私は2年生の時、先生の「米国小説」というクラスを受講した。教材はアメリカの作家の短編小説集という分厚い原本で、毎週各人が和訳を割り当てられた。私は先生の言葉に対する解釈の仕方に魅了された。単なる英語から日本語への直訳ではない。そこに何が込められているかを深く読み取ろうとする姿勢があった。この授業は私にとってtop priorityで、絶対におろそかにしたくなかった。自分の分担を発表した後、先生が改めて説明されるのだが、自分の訳した文章にたちまちいきいきと血が通い始めるのだ。ある時、授業の後で先生と言葉を交わす機会があった。その時、「あなたね、いい物持っているわよ…」と、これは私の訳についてだと思うのだが。以来先生のその一言に自信を与えられ、決して忘れない心の支えとして、何とか英語と取り組めて来たのかもしれない。嬉しかった。あれほどの優秀な方にほめられるなんて今でも誇りに思う。(その後、それほどの成果はあげられなかったにしても。)

この珠玉の様なクラスは卒業後も続いた。先生のお宅で月に一度、有志による読書会が開かれた。形式は学校の時の授業と同じだったが、お茶を出して頂いて、リラックスした雰囲気だった。そこで、先生が日頃思ったこと感じたことなどを語ってくださった。物事の見方に対する反省であったり、新しい知識への好奇心であったり、若かった私にとってひたすら薫陶を受ける貴重な時だった。先生はその頃、日本人と外国人の身振り、手振りの違いについて色々な状況における例を調べられていて、ついには著作として出版された。Non-verbal communicationに優れた興味を持たれていた先生の結晶である。

その後上記読書会は何かの理由で長くは続かなかった。先生と再びお会いすることもなかった。今年に入って同窓の友人から、先生はご病気だが手術は受けない覚悟をされていると聞いた。それから訃報を聞くまで長くはなかった。先生は、生前「いい人生だった。」と幾度となく仰っていたそうで、私もいつかその様な心境にたどりつきたいと願う。最後に、「私が相手に投げたボールが、正しくキャッチされた時のエキサイトメントがたまらない。」と先生の言葉の一つだそうだが、教育に熱心だった先生の人間性が伺われる。Y先生のご冥福を尽きせぬ感謝の念とともに、心からお祈り申し上げたい