考える力を養う場 執筆者:流浪の会計士

 今回は、英文精読ゼミで読んだラッセルの著書「幸福論」(The Conquest of Happiness) の一節を取り上げ、英文を読んで考えるという話をしてみたいと思います。なお、この本は、昨年11月にEテレの「100分de名著」という番組で紹介されたので、ご存知の方も多いでしょう。
 次の文章はゼミで読んだ課題文の一部です(原文は「第17章 幸福な人(The Happy Man)」より)。
The happy man is the man who lives objectively, who has free affections and wide interests, who secures his happiness through these interests and affections and through the fact that they, in turn, make him an object of interest and affection to many others.

 ゼミでは、事前に課題文を訳して柴田先生に提出することが求められます。私は、冒頭の“The happy man is the man who lives objectively”をどう訳すかで悩みました。ジーニアス英和辞典(第5版)には、objectivelyの訳として「客観的に」、「公平に」とあるので、「幸福な人とは、客観的に生きる人である」で良さそうですが、客観的に生きる人とはどんな人なのかがはっきりしないと感じたのです。そこであれこれ考えてたどり着いたのが次の訳文です。

私の訳文(柴田先生による添削後)
幸福な人というのは、誰とも分け隔てなく暮らし、惜しみない愛情の念と幅広い興味を持ち、これらの興味と愛情の念によって、それがひるがえって、他の多くの人々から興味と愛情の対象となることによって、幸せを確かなものとする人である。

 まず、「客観的に」とニュアンスが似ていそうな「主観的でなく」、「偏見がなく」、「冷静に」といった言葉が思い浮かびました。また、「他人から興味を持たれ、愛情の対象になる」と続く文脈から、「他人を差別しない人」とか「みんなと仲良くやっていける人」といった人物像をイメージしました。こうして浮かんだ考えをまとめた結果、「誰とも分け隔てなく暮らす人」がフィットするように思いました。
 このように、英文精読ゼミの勉強中は、「訳は一応できたが、一体どういうことなのだろう?」と思うことがしばしばありました。そうしたときは、文脈を見直して著者の意図を検討し、訳文を書き換える作業を繰り返していきました。そしてようやく「これだ」と思う訳文ができたときの充実感は何物にも代えがたいものでした。私にとって英文を読むことは、文法や単語の知識を得るだけでなく、考える力を養う場でもあったのです。