翻訳の勉強 執筆者 日々わくわく子(時々翻訳者)

今回は私が英文教室で学んだことについて書きます。

「英文教室」との出会いは、今から3年前だった。某通信の翻訳コースが修了して、さて次はどうしよう、どうやって力をつけることができるのだろうと悩んでいた。そんな時、ネット検索をしていると、柴田先生の「英文を一点の曇りもなく読み解く」という有名なフレーズが目に止まった。それがきっかけで、英文精読ゼミを受講するようになった。一番初めのガイダンスで、やや固い感じの英文を訳して先生に講評をいただいた。文の中にforという接続詞があって、その訳し方をほめられた(?)のでちょっと嬉しかったのを覚えている。でもそれから本番の授業が始まり、約10日毎に4題の訳文を提出しなければならず、もうほめられるどころではなかった。優秀な訳にあたえられるマル印は、めったに頂けなかった。思えば、毎週あの哲学思索的な文章をよく訳した/訳そうとしたものだ。一、二度まるで分からない、いくらもがいても解けない謎のような部分もあった。それでも先生はさらさらと解釈をされる。「君たちは高級な英語を訳しているのですよ」と言われて、なるほど高級とは何と難解なことかと私の苦闘は続いた(笑)。毎回同じクラスの人の訳文を見る機会があったが、その中の一人の日本語の文章力が見事で、どうしたらあんなに無理なくすらすらと読める訳文を書けるのだろうといつも思っていた。その人はプロで色々とお仕事をこなしているらしかった。やはり、経験がものを言うのだ。それと元々備わっている文章力かもしれない。
約一年の授業が修了した時、実力の伸長はともあれ、おかげさまでよく鍛えられたなという実感があった。このクラスで学んだことの一つは、もっと思い切った訳し方をしてよいのだということだ。大学受験の頃の馬鹿真面目風な訳ではなく、言葉の意味と文法のからくりをしっかり掴めばいかようにでも訳出のアレンジができる。思い切って言葉の橋を渡ってみようと、試みるようになった。でも訳し過ぎてもいけない。その微妙な加減のコントロールはひたすら修行によって培われるのではないか。
私はとあるアートギャラリーで働いている。いわゆるアート翻訳の分野で、それも和文英訳にたずさわることが多い。哲学的な文章がひんぱんに出てくるので、これについては授業で学んだことが感覚的に役に立っているのかもしれない。
その後、英文ゼミに引き続き向学心は絶えることなく(?)と言うか、何となく勉強を続けたくて英文法ゼミを引き続き受講した。こちらは厳しかった。自分にとっておさらいの連続、今さらながら英文法は奥深い。このクラスが修了した時、いつものように修了証を先生から直接頂き、後日授業内容全てを網羅した印刷物を送って頂いた。何というか、先生並びにスタッフの方の、生徒を思ってくださる親心に感動してしまう。こんなに生徒を大切にする翻訳学校があるなんて。これからもまた折にふれて勉強会などに参加させて頂きたく思う。