春は桜 日々わくわく子(時々翻訳者)

今月からブログ執筆を拝命しました。にわか物書きの境地であります。ライトな感覚で一年間文章修行させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。

早速、桜の話をしよう。このブログがアップされる頃は早くも散りゆく頃だと思う。三月末に満開を迎えるとは異常気象の故なのか。
我が家から徒歩一分の所に通称「桜土手」がある。昔は、地元のМ川に流れ込む用水路脇の約400メートルの長さの土手と言うか道路沿いに、ソメイヨシノの木が植わっていた。今やその水路は遊歩道となったが、桜の木々は健在で春になると満開の華やかさを繰り広げてくれる。この桜の木々はある時古木で病気となったために、ほとんどが植え替えられた記憶がある。その時は切り倒された姿を見て何ともむごいと思った。しかし、数年の後早くも新しい桜の木々が再び成長した姿を見せてくれた。
桜土手は、子供の頃は小学校の通学路だった。入学式の日、桜の木の前で父に記念写真を撮ってもらった。そして初登校の朝、二つ上の姉とこの道を歩いていると、突如眼の大きな利発そうな女の子が話しかけて来た。彼女も同じ一年生で、いっしょに行きましょうと言われて、私と姉はその物おじしない態度にどぎまぎした。確かに彼女は同じ学年の中で目立つ存在となった。美人で背が高く成績優秀な女の子だった。(余談ながら、彼女はその後芸大に進み、かなり有名なオペラ歌手となった。日本の唱歌を美しい声で歌う彼女のCDがよく出ていた。そう言えばあの話しかけて来た時の声も美しくはっきりしていた。天から美貌、才能、幸運と三つも与えられている人の例である。)
桜の話にもどろう。学校帰りに同級生たちと桜土手を歩いていて、その頃毎日携行していたぞうりぶくろ(知る人ぞ知る?)を満開の桜の木めがけて放り投げ、ぼきっと折らせてわあわあ言って喜んだ思い出がある。今思うと随分ひどいことを平気でやっている。悪いと知りつつやっていたような気がする。こんなこと今時の子供は多分やらないだろう。私はやんちゃな方ではなかったけれど、昭和の子供たちは今よりもっとワイルドだったと思う。
あの頃の桜の木は、自分がまだまだ小学一年生だったので、とても大きく高く感じられて、空一面をおおっているような気がしていた。その後、桜土手にまつわるエピソードは思い浮かばない。あまりに身近で当たり前過ぎる場所なので、桜の枝を折ってきゃっきゃっとした以外は語れるようなお話しがないのだ。最近では、一番近いセブンイレブンに行くために時々通り過ぎる位なのだが、季節ごとに違う顔をのぞかせている。
桜の花が散ってしまうと、町内会の桜の花びら大掃除がある。桜土手沿いに住んでいる人達は、花びらが否応なく自分の家の庭に飛んで来るので大変なことだろう。大掃除に参加してみて実感する。ちなみに秋の桜の木の紅葉は美しいが、その後には落ち葉の大掃除も行われる。皆さんほうきとちり取りを持ってきちんと駆けつけるからえらい。

ローカルな話題から離れて、桜名所マイランキングを挙げてみよう。第一位は何と言っても千鳥ヶ淵。お濠に向かって垂れ下がる見事な桜の木の枝ぶりはあまりにも美しい。夢み心地になる。しかし花見客が多すぎる。この時期は満員電車並みになってしまう。道がせまいのでよけいである。早朝深夜ならゆっくり鑑賞できるに違いない。小林秀雄がこよなく桜を愛する人で、どの作品だったか「桜には魔力がある」という一文を読んだことがある。昔この近辺に職場があり、退社後に夜桜を見に行った時にそれを思いだした。確かに、夜空をおおう桜の不思議な魅力に一瞬酔いしれるような気がした。
二番目は福島の三春の滝桜である。何年か前の四月の中旬の平日、ターゲットをその日にしぼり会社を休んで友人と見に行った。その前後は天候不順で、本当にその日だけが晴れた。日本三大桜の一つだそうで、青空に映えるその優雅な姿はまさに「絶品」に思えた。千鳥ヶ淵の桜がアートなら、この桜の木はそのシダレザクラの様相からして純日本的な趣がある。皆がこの唯一本の滝桜を見に押しかけてくる。そしてひたすら幸福感を味わっている。一度見に行ったら、その感激はずっと果てることはない。
第三位は奈良吉野山の桜。じつはまだ行ってないので、妄想の三位としよう。新聞で桜のアンケートランキングの一位になっているのを見て以来、行きたいと切望している。約三万本のヤマザクラという品種の桜が咲き誇るのだそうだ。山の入口から中腹、山奥と順々に開花して行くのを眺めるのが楽しいらしい。その壮大なスケールたるや、ネットで写真を見ただけで、マイ日本三景になってしまいそう。ちょっと遠いけど、いつか是非行ってみたい。
日本全国各所で真夏日の出た三月の終わりの頃、わが桜土手は満開を迎えていた。見ないともったいない気がして、歩いて来た。いつもの道が普段よりぐっと華やかな空気を運んでくれる。当たり前の幸せがつい目の前にある。見逃さずによかった。

今回はここまでで、予定していた本の話は次回にいたします。