AI (Artificial Intelligence) mitsuyoshi:ビジネスパーソン

 人類が初めて宇宙に飛び出したのは1961年、ソ連のボストーク1号による大気圏外有人宇宙飛行で、搭乗した宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが伝えた「地球は青かった」の言葉が有名です。この頃から宇宙時代到来が喧伝されるようになるのですが、当時はまだ子供だった私が考えていたのは、将来の人類は1日1回チューブや乾燥食品や錠剤などで必要な栄養を摂るようになり、食事は不要になるのではないか、ということでした。少年雑誌にも“未来の地球人”として頭だけが異様に大きく、胴体や手足は細い、タコにも似た姿の想像図が描かれて載っていたような記憶があります。
 なぜこんなことを書いているのか、今、自分でもよくわからないのですが、自分の頭の中ではこのことがどうやらAI(人工知能)の話につながるようなのです。
 AIが人間の頭脳を凌駕する、といういわゆるシンギュラリティ(singurality―技術的特異点)が到来するのは2045年と予言しているのは人工知能研究の権威とされるアメリカの未来学者レイ・カーツワイルという人です。このAIとシンギュラリティと2045年問題は今年の流行語大賞候補になるかもしれません、というのは私の予言です(大したことない予言ですね)。
 そんなことはともかく、シンギュラリティ(技術的特異点)はカーツワイルによって次のように説明されています。
「シンギュラリティ(技術的特異点)とは何か。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のことだ。(中略)迫り来る技術的特異点という概念の根本には次のような基本的な考え方がある。人間が生み出したテクノロジーの変化の速度は加速していて、その威力は指数関数的な速度で拡大している、というものだ...」
 指数関数的速度というのは、倍々ゲームで速度が増して行けば、理論上、ある時点で無限大の速度になるということです。そしてその「ある時点」こそがテクノロジーすなわちAIのシンギュラリティであるということのようです。
 『ポスト・ヒューマン誕生』という彼の著書を読んだわけでもないし、AIについてはほとんど何も知らない私がなぜこんなことを書いているのかもわかりませんが、最近、目にする「スマホ認知症」の社会現象がAIによる「ポスト・ヒューマン誕生」という言葉(概念)とはどうしても結びつかず矛盾しているように感じるので、不思議に思い、スマホを持っていない私はノート・パソコンを使い検索し模索しながら書いている次第です。
 実はこのブログでも10月に『デジタル・ディメンチア(デジタル認知症)』の問題は取り上げましたがそれから半年も経たぬうちに、日本でも『スマホ認知症』と言葉を変えて、この問題はネット上のみならず最近ではテレビでも報道され、かなり警鐘が鳴らされているようです。要するに、認知症やうつ病と同じ症状でクリニックを訪れる人々が急激に増えてきており、その患者さんが世代的に普通は認知症にはならない40代~50代の働き盛り、さらには20代~30代の若年層にまで明らかにその波が押し寄せてきている現象が顕著になり、さすがに見過ごせなくなってきた、ということのようです。社会が騒ぎ出すと言うのは相当に事態が深刻化している証左ですからそれほど甘くはない状況のようなので、みんな気を付けましょう、ということです。
 ちなみに、スマホ認知症は今のところ医療的にはスマホべったりの生活習慣を改善すれば治るという位置づけのようですが、症状に気付かずに、あるいは無視してそのままの状態を続けていると、本当の認知症やうつ病になってしまうそうですからご用心。
 それで、AIの話はどうなったんだ?あ、はいはい。
 というわけで、実はAIに超えられるどころか、その前にこのままでは人間の脳が退化を始めてしまうのじゃないか、というのがテクノロジー素人の私の懸念です。
 とはいっても、AIの開発やその他テクノロジ―関連の産業や研究に携わっている人々は、創造的に頭脳を使ってイノベーションに貢献するのでしょうし、そのことはいいことなのでしょう。でも、それによって生み出された機器・装置(といっていいのでしょうかね?)の便利さを享受するだけの一般世間の人間の頭脳はテクノロジーとそのことによる煩悩に浸食されて退化しないように自分で守るしかないのだろうか、ということです。
 IT時代の寵児であったスティーブ・ジョブズ氏は、自分の子供にはiPhoneなどのIT機器を自由に使わせなかった。その理由は無分別なテクノロジーの使用は危険だから。「何だよ、それ」と言いたくなりますが、テクノロジーとは何なのか、その危険性も含めて熟知している開発者の彼にしてみれば、そんなことは常識というか自明のことなのでしょう。便利なものに頼り過ぎれば本来自分自身が持っているいろんな創造能力やその他の能力を害するようになる。無分別にスマホに惑溺するのが人間の脳にとって危険なのは子どもばかりではなく大人でも同じなのでしょうか。
 そして、そのようなテクノロジーの危険性を最も深く自覚しているのはジョブズ氏のみならず、日々その開発や研究に直接携わっている人たちなのかもしれません。
 ちなみに、便利な機械に頼る心が生まれると人間は本来の自分を失い本来の道を失うものだとは、二千年以上前の中国の古典「荘子」に著されていますが、これをどう読むでしょうか。
 ポスト・ヒューマンの時代になっても、人間は食事をするのでしょうか?(美味いものは食べたいっしょ)。睡眠は必要なのでしょうか?(眠らないと細胞が生まれ変わらんけんね)。人間の姿形は、私が子供の頃に雑誌で見たような、頭が異様に大きい“未来の地球人”のようになるのでしょうか?(何か、いややわー)。はたまたSFのように、脳だけが自分自身で身体は人造機械というサイボーグ人間が開発されるのでしょうか?(筋トレ不要)。
 テクノロジー研究の若い学者さんの著書によると、シンギュラリティの到来が近づくにつれ、未来的人間であるディジタル・ヒューマンと時代についてゆけない古典的人間(なんちゅうネーミングかね)の軋轢が深まるだろうと書いていたが(立ち読みしました)、AIと人間の脳の融合を考えるのもいいけど、何か大切なことが抜け落ちているような気がしませんか。
 今回はとりとめもない話になってしまいましたが、これで最終回です。一年間、おつき合い頂きましてありがとうございました。

 

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