タトゥーを通して考える日本のダイバーシティ 執筆者:南條 涼子(翻訳ジム修了生)

今回は、小池百合子都知事をはじめ、あらゆる人・企業に謳われている「ダイバーシティ(多様性)」について考察したいと思います。「ダイバーシティ」とは、海外では”Diversity & Inclusion”(多様性の受容)とも言われていますが、人種・国籍・性・年齢を問わず多様な人材を受け容れ、その能力を最大限に生かすことで、企業や社会としての生産性を高めていこう、といった理念です。日本の高度経済成長を支えたのは、会社に身を捧げて懸命に働いた男性たちでしたが、人口減と少子高齢化が進み、労働人口の減少が加速し続けている今、日本が国際社会で生き残るには女性や外国人をさらに積極的に活用していくしか方法はない、と言っても過言ではありません。

しかし、ただ制度を整え、女性社員や外国人を増やせば済むということではなく、多様な人材が働きやすい環境を作るのは、まさに「言うは易く行うは難し」であると思います。人材の多様化は即ち、それぞれの求める働き方や労働環境の多様化であり、「長時間働いてなんぼ」という考えの人、子育てをしながら効率的に働く人、または会社都合で転勤を余儀なくされている人、家庭の事情で転勤を拒否せざるを得ない人が、同じ職場で机を並べることも十分にあり得ます。そんな中、自分と全く違う立場の人に対して何の不満も抱かず、互いに尊重し合いながら、企業の掲げる目標に向かって協力して働く、というのは現実問題としてかなり難しいことです。サラリーマン時代の上司もよく、「生活において身近な存在である女性すら上手く活用できないようでは、外国人などもっての他なのに」と言いながら、解決法を模索されていました。

同じ境遇や価値観の人ばかりと一緒に働けるわけではないこのご時世、やはり大切なのは、違う立場の人を尊重する姿勢に尽きる気がします。ただそう努めてみても、人というのはどうしても自分の枠組みの中だけで物事を考えてしまいがちなものです。そのことを思い知るきっかけとなったのが、「タトゥー」でした。

これまで、どんな人に対しても偏見を持たずに接しよう、と心掛けてきたものの、タトゥーを入れている人には無意識のうちに苦手意識を抱いてしまっていました。「入れるのにかなりの痛みを伴い、感染症などの恐れもある上、一度入れたら消せず、生活にも支障が出るかもしれないのに、後先考えない人なのだ」と思っていたのです。しかし今年のヨーロッパ旅行で多くのタトゥーに触れ、また海外の友人たちからタトゥーを入れた話を聞いているうちに、いかに自分が日本的な枠組みに縛られていたのかに気付きました。

タトゥーは、日本では「刺青」または「入れ墨」と呼ばれ、反社会的なイメージが強く、タトゥーがあるだけで温泉やゴルフ場、スポーツジムなどへの入場が規制されます。私の偏見も、そういう所から生まれていたように思います。しかし海外ではもっとカジュアルなものとして社会的に許容されていますし、友人たちが入れているタトゥーは、家族の絆を示す漢字や記号、自分なりのポリシーを表すマークなどであり、そうしたタトゥーに誇りを持っている彼らが日本で暮らそうとした場合に偏見の目にさらされるとしたら、とても残念だと感じました。ですが日本におけるタトゥーの認識を変えるのはそう簡単ではなく、これまでの歴史や文化的背景をすべて無視して世界の価値観に強引に合わせるというのも、真のダイバーシティではないように思います。

「ダイバーシティ」の実現への一歩として、各自が「他者に対して違和感を抱いたならば、その背景を知ろうとし歩み寄りながら、互いに尊重し合う道を模索する」という姿勢をもつ、ということが大切だと思います。例えば職場で外国人同僚にタトゥーが入っていると気づいた場合、日本と諸外国とのタトゥーの捉えられ方の違いに思いを馳せ、その人がタトゥーに込めた思いを尊重してあげられたら、双方にとって良いですし、その外国人も、日本のタトゥー人口が諸外国よりも圧倒的に少なく、罪人に入れ墨を彫っていた社会的背景からも許容されづらいということを理解していれば、怪訝な顔をされたとしてもさほど傷つかないと思うのです。

タトゥーはほんの一例ですが、他の人の働き方や仕事の進め方、社外行事への関わり方に対しても、自分の物差しで判断せず、違いを尊重し合えるような企業文化が根付けば、より多くの多様な人材が企業に定着し、より価値あるものを生み出せるようになるのではないでしょうか。マイペースに自由業をしている身分で、随分と偉そうなことを申し上げてしまいましたが、私自身これから仕事やプライベートで関わる人と気持ち良く過ごせるよう、ダイバーシティの精神を大切にしていこうと思います。

 

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