「登山」と「校正」そして「カギ括弧VS引用符」 執筆者:城野卯響子(翻訳校正者)

フィギュアスケートの「グランプリ・シリーズ」も第4戦となる「フランス杯」が終わり、だんだんと冬の近づきを感じる今日この頃。訳した言葉のお掃除人「翻訳落ち葉掃き」こと、第三週担当の城野卯響子です。今月もよろしくお願いいたします。

先日、「日本百名山」の一つである「筑波山」に登って参りました。お天気には恵まれたのですが、「女体山山頂まであともう少し」の地点でチョモランマ(エベレスト)の最繁期の山頂アタックもかくやと思わんばかりの混雑にあい、通常20分のルートを進むのに1時間、頂上の筑波山神社(女体山本殿)参拝の順番待ちに1時間、時間が遅くなったので下りをケーブルカーに変更したところ、これも1時間待ちの大行列…と、「歩き疲れ」ならぬ「立ち疲れ」の一日とあいなりました。

今回はまったく山のぼりらしくない「立ち登山」だったのですが、いつもは山道を登りながら、「校正というプロセスは“下山時間厳守の登山”みたいだなあ」と感じます。ひとまずのゴールとする「山頂」を見すえながらも、目の前の斜面をざっと眺めて数回分の足場を決め、足もとの石や窪みに目をやりながら一歩一歩進みますが、読みが悪いと滑ったり体力を消耗したり、あるいは道を間違えたりで「山頂」までの時間が予定よりかかってしまいます。登る山の種類(訳文の分野や翻訳者さんの技量)によっては、「鎖場のない岩場」が続く感じです。山の高さ(訳文の仕事量)も重要です。どこかで大切な水筒を忘れたら(修正を漏らしたら)、また戻ってやり直し。さらには「山頂」から降りてくるルート(校正の仕上げや見直し)の時間も考えなければなりません。登りに時間を使い果たすと、帰り道は老体にむち打ちながら坂を駆け下りる羽目になります。そして「山頂」で登ったルートを見下ろすときと、時間より早く「下山」できたときは、ちょっとした快感がある…ということで「登山」と「校正」のプロセスは似ているように思えるのです。(前回は「校正の神様」神代種亮氏の「誤字を除ける校正業を“落葉掃き”」で例えた説をご紹介しましたが、これを考えると、登山家 野口健さんの奨める「清掃登山」をやってみたら、もっと「校正道」を極められるかも?というのは、私個人の戯れ言です。)

また今回も前段が長くなってしまいました。さて、今回、取り上げるのは「カギ括弧」と「引用符」の違いです。個人的な感想ですが、和文英訳方向の産業翻訳では日本語原文の「書き手」が一般の人であることが多く、その場合、無秩序に括弧類が(特にカギ括弧が)使われる傾向があるように思われます(「文書規定」が定められた企業様などではその心配は少ないのですが)。上の3つの段落のようなカギ括弧(「 」)が氾濫する文章を英訳するとしたら、翻訳者さんはぞっとするのではないでしょうか?今回は、二つの違いを表にまとめてみました。

★英文・和文の例文はそれぞれ独立したもので「対訳」ではありません。

用法

英文の引用符

和文のカギ括弧

他人や自分の言葉を文章中に示す

話された言葉、会話(英文の「直接話法」)


Did you say “He was fired”?


「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。

パラフレーズされた内容を示す(英文の「間接話法」)

※1


彼曰く「グループ全体の利益の80パーセントは海外から」とのこと。
(『ジーニアス英和大辞典』を参考に編集)

他からの引用文・語句


You wrote that specifications “have to be clarified by October 21.”


・東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間にか迷亭先生の手紙が来ている。
「新年の御慶目出度申納候。……」

・大方草稿を書き卸す序開きとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太に「香一炷」とかいた。

内面の思い

※2


吾輩はこの刹那に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」

文中で他の語句と区別して示したい特定の語句を示す

書名、雑誌名など

※3


教授の最後の著書「多元的宇宙」を読み出したのは今年の夏の事である。

章などのタイトル


I am very fond of Blake’s “The Tiger” in the Songs of Experience collection.
(『ロイヤル英文法』、826ページを参考に編集)


御話をする題目はちゃんと東京表できめて参りました。
その題目は「現代日本の開化」と云うので、〔…略…〕

商店名、地名など

※4


巴町を歩いてゐると「玉井」のショーウィンドーに実に雄大な縄文土器が出てゐた。
(小林秀雄「真贋」)
【→固有名詞は「地の文」と紛らわしくない限り、括弧類を付けないことも多いようです。】

ある語・文字・記号を説明する際に
地の文の語句を区別する


– The Spanish verbs ser and estar are both rendered by “to be.”
The Chicago Manual of Style、367ページ)

 


〔…略…〕上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字があって「日本」と云う字があって「開化」と云う字があって、その間へ「の」の字が入っていると思えばそれだけの話です。

特定の用語を定義とともに最初に提示する


… the products manufactured by Seller (hereinafter referred to as “Products”) which may be entered into subsequent to the date hereof (hereinafter called “Individual Agreement”)
(日向清人著『ビギナーのための法律英語』、218ページ)


この法律において「公職」とは、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の職をいう。
(公職選挙法第3条)

皮肉、ひねった言い方など


– Women achieved “equality” when they were granted the right to vote in 1920.
Grammar Girl’s Quick and Dirty Tips for Better Writing120ページ)

 


彼らはオイディプスのように「本質」を認識するのではなく、人間には「本質」などないのだという認識を得るのである。
(柄谷行人「マクベス論」)

「言うところの」「いわゆる」に続けて

※5


現今の吾らが苦しい実生活に取り巻かれるごとく、現今の吾等が苦しい文学に取りつかれるのも、やむをえざる悲しき事実ではあるが、いわゆる「現代的気風」に煽られて、〔後略〕

文中で特定の語句を目立たせたり、キーワードとして示したりする

※6


・「パワーランチ」とは、「商談を行うランチ」のことを言います。

・彼は「何も」変更を行わないことを強く勧めていた。
(デイヴィッド・セイン著『英語ライティングルールブック』232・233ページを参考に編集)

なじみのない語、新規な語、特定の社会や集団の中だけで使われる語、筆者による造語など


(初回のみ引用符を使用、またはイタリック体にする)


大抵の女工は「織り前しらべ」ならその仕事たけを四台一時にやつてのけ、次ぎに「杼換え、管換え」の作業にとりかかるであらう。
(細井和喜蔵「女工哀史」)

〔表中、参考資料の記載の無い箇所は下記を参照いたしました。〕
夏目漱石「我が輩は猫である」「思い出す事など」「現代日本の開化」

※1
パラフレーズされた内容は、「発言者の言葉を伝える人の言葉に直して内容を伝える」ものであるので、英文では間接話法が使われます。(参考:『ロイヤル英文法』、763ページ)
He said that more than 80 per cent of the group’s profits come from overseas.
(『ジーニアス英和大辞典』)
日本語の文章の場合、厳密な引用ではない場合もカギ括弧が使われることがあるので、英文和訳の時は注意が必要です。
※2
Interior monologueは、産業翻訳の「英文和訳」で見かけることはまれですが、「和文英訳」の方向では「創業者の伝記」的な説明文などで時折目にします。Interior monologue自体に「決まったスタイル」があるかどうか、不勉強なことに厳密に調べきってはいないのですが、大抵の場合、地の文と表記が変わらないようです。(“The Stream of Consciousness style of writing is marked by the sudden rise of thoughts and lack of punctuations.” 参考:http://literarydevices.net/stream-of-consciousness/)
※3
書籍、雑誌、船名、他国語、数学の変数などは、英文では斜体(イタリック体)となります。
※4
英文では、通常は固有名詞を引用符で囲んで示すことはありません。
※5
いわゆる「シカゴ・マニュアル」では、so-calledが前につく語句には引用符を付ける必要はないようです(so-calledそのものに「皮肉」や「疑念」の意味があるため)が、注意を喚起する対象が用語の一部分の場合は、引用符をつけるといいかも、とされています。
(So-called child protection sometimes fails to protect. 《いわゆる「児童保護」》の場合は英文には引用符は付けない、でも、These days, so-called “running” shoes are more likely to be seen on the feet of walkers. 《いわゆる「ランニング」シューズ》の場合は付けると分かりやすい、ということのようです。The Chicago Manual of Style、366ページ)
※5
「…という語」という意味で単語や句などに言及する場合、通常は強調部分をイタリックにします。引用符が用いられることもありますが、イタリックの方がより適切なようです。
Powerlunch refers to lunches where business deals are negotiated.
“Powerlunch” refers to lunches where business deals are negotiated.
(デイヴィッド・セイン著『英語ライティングルールブック』、232ページ)
This is why Heidegger draws attention to the fact that the word ‘essence’ is in scare quotes.
Oxford Dictionary of English
また、ある語句について特に注意を喚起する場合は、イタリック(または下線)が使われます。(この場合、引用符は通常使われないようです)
He strongly recommended not making any changes.
He strongly recommended not making any changes.
(デイヴィッド・セイン著『英語ライティングルールブック』、233ページを参考に編集)

 

さて、今回の内容をかいつまんで申しますと、「英文和訳」の場合、英文の引用符の用法の意味は、和文のカギ括弧の用法と対応するのでほぼ問題ないと思われますが、「和文英訳」の場合は、英語では引用符を使わずに表記する「パラフレーズされた内容を示す」「作品名(書籍や絵画、映画のタイトルなど)」や「固有名詞(地名、店名など)」にカギ括弧が使われていることが多いので、「原文」の意味にご注意いただきたい、ということでした。(もっとも、クライアント様から「スタイル」についてのご指示があれば、それが最優先となります。日本語では本来使われない表記(斜体・ボールド体など)を英語の原文どおりに訳文に反映させることもありますので、作業に入る前には、まず「ご確認」をお忘れ無きよう…)

今回も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

参考文献・ウェブサイト

  • 小学館辞典編集部編『句読点、記号・符号活用辞典。』(小学館、2007年)
  • 『ロイヤル英文法』(旺文社、2004年)
  • デイヴィッド・セイン『英語ライティングワークブック』(DHC、2006年)
  • University of Chicago Press Staff (Editor), The Chicago Manual of Style 16th Edition (The University of Chicago, 2010)
  • "How to Use an Asterisk", Quick and Dirty Tips.com
    http://www.quickanddirtytips.com/education/grammar/how-to-use-an-asterisk

※お気づきになったこと、不明点や間違いなどご指摘いただけると幸甚に存じます。

 

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