落葉掃きの秋 執筆者:城野卯響子(翻訳校正者)

あらやだもう10月です。今月もどうぞよろしくお願いいたします、第三週担当の城野卯響子です。

暮しの手帖社の創業者 大橋鎭子さんをモデルとした連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が10月の頭で終わり、朝のひとときが少し寂しくなりました。しかし今月からはなんと《書籍の校閲》を取り上げたテレビドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』が、今をときめく石原さとみさん(映画『シン・ゴジラ』ではカヨコ・アン・パタースン役を怪演)の主演で始まりました。初回・第二回とも演出が秀逸。TVドラマゆえのキャラクターやエピソードの「ありえなさ」と、随所に配された《校閲》という仕事を語る台詞のリアリティが上手くミックスされ、「一生懸命の仕事って尊い…」という心地よく元気の出る作品になっています(少なくとも、全国の校閲者、校正者にとっては)。12月までの水曜夜はこのドラマをドキドキしながら見守りたいです。

さて、《書籍の校正》では明治から昭和初期にかけて、多くの文豪の書籍の校正を手がけ、「校正の神様」と呼ばれたレジェンドがおられます。その名も 神代種亮(こうじろ たねすけ)。名前からして凡庸とは対局の趣があり、まさに「校正家」と呼ばれるにふさわしい人物であったといいます。暮らしの手帖社のもう1人の創業者、花森安治さんの著書『花森安治集 マンガ・映画・そして自分のことなど篇』の中のエッセイ「一夜の教え—言葉の本質を聞く—」では、“校正する者は自分の物さしで計ってはいけないのです。作者の物さしで計って、それでちがっていたら、はじめて直すのです。”という神代さんの言葉が紹介されています。これは“人によって、文字の使い方に、くせがある”ため、神代さんは作家別に送り仮名や漢字・ひらがなの使い方の用例を細かく記録しており、それをそれぞれの「作者の物差し」とし、校正の際には「あれは正しい」「これはちがう」と校正者の考えで画一的に修正するのではなく、例えば鴎外の作品であれば“〈舞姫〉では平かなで「たもう」だが、〈即興詩人〉では「給う」と漢字だ、しかし、一カ所、なんというところだけは、平かなだ”という風に、常に作者の作風に寄り添って校正を行っておられた、というのです。名人芸の域に達した、とでも言いたいようなこだわりぶりですが、それほど大切にされる「文章」があったのだ、という感慨に打たれた一節でした。

私の仕事である《産業翻訳》の校正は、校正の神様の手がけたお仕事とは全く性質が異なるので、そのまま比べることは出来ませんが、自分の外に確かな「物さし」をもち、それを尺度として校正するという点では基本は同じ。神代種亮氏の“号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの”(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/神代種亮)ということを知り、この秋は美しい「落葉掃き」を想像しながら毎日の校正に励もう、と思ったのでした。

今回も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。次回はまた括弧類のお話に戻る予定です。

 

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