「立てない」こと 執筆者:工学博士 寅吉

 「立てる」という言葉には「はっきりと目立つ形で示す」といった意味がありますが、似たような意味で映画演劇界では台詞等を思い入れを込めて強調する際によく使われるようです。歌で言えばサビ、歌舞伎で言えば見えを切るところでしょうか。以前朗読教室に通っていたとき、役者出身の先生がよく「はい、ここは立てましょう。」とやっていました。上手く立てるのはなかなか難しく、ツボにはまれば決まりますが、勘所を間違えると一人で粋がっているだけの白けたものになってしまいます。テレビドラマなどでやたら力んでいる許で興ざめのものがよくありますが、あれなどは立てることの下手な典型のような気がします。
 翻訳でも少し慣れてくると、兎角上手く訳してやろうという気負いが出てきがちですが、私の場合、そういう邪心を抱くと大抵失敗します。英文教室の課題でもカッコいい訳を付けてやろうなどと少しでも思っているとほぼ間違いなくトンチンカンなことになります。先生から「ここは立てないように」と苦笑されて赤面するのがオチという結末でした。
 先日、然る技術翻訳(英訳)の添削を受けました。返ってきた答案を見ると、「考え過ぎて複雑すぎる文章構成になってしまっています」、「文章構成力は高いと思いますが、上手にまとめてやろうという気持が強いのか、複雑な文章になりがちです」、「もっと肩の力を抜いて訳すと良いでしょう」等々書かれていました。随分はっきり言われてしまったな、と思いましたが確かにその通りであるなと得心もしました。こういうコメントが付いてくる添削も珍しいなと面白く感じたものです。これも多分に「必要以上に立てないこと」に関連あると思います。
 要は、気負い過ぎない、力まないということで何事にも通じる心構えでしょう。動物に接する時などによくこのことを実感します。
 通常私は別に凝った翻訳にこだわっているわけではありません。仕事ではむしろ「愚直な訳」に徹しています。技術翻訳ではその方が無難なことが多いですし、あまりいろいろ考えずにこなしていかないと先に進まないという事情もあります。その反動もあって演習等では考え過ぎの傾向になるのかなどと思ったりします。
 勿論愚直な訳であってもある程度の推敲は必要です。推敲なしで単に言葉を置き換えただけのような訳では読むに堪えません。要するに推敲のし過ぎも推敲不足もよくない。どこまで推敲するのが妥当かはなかなか難しい問題です。自分ではうまく文を練り上げたつもりでも他人が見ると違うというのもありがちなことです。ある程度主観が入る要素もあるかなという気がします。(これに関連して英文教室を受講する中で一つ思ったことがありますがそれについてはいずれ改めて書きたいと思います。)下記に一例を示します。ある翻訳者のブログの中の一節で推奨参考書を紹介している文です。

 最後、10冊目に選んだのは、『英文翻訳術』。•••
たとえば、この本の関係代名詞の項目は目からうろこでしたね。ひとつ紹介すると、
She solved in five minutes a problem that I had struggled with for two hours.
という文は、「私が2時間苦しんだ問題を、彼女は5分で解いた(1)」という意味ですが、
この文を
She solved the problem in five minutes, although I had struggled with it for two hours.
という風に読み解き、
「問題を解くのに私は2時間も苦しんだが、彼女は5分で片付けてしまった(2)」
というように、接続詞を補って訳すとうまくいくというパターン。•••

 この文の趣旨は関係代名詞の理解に適した参考書ということでその点はよくわかります。気になるのは訳文(1)と訳文(2)の対比です。(2)の方がこなれた読みやすい文になっているということなのでしょうが私にはどうもそうは思えない。(1)の方がむしろ簡潔でよい気がします。愚直な訳に慣れ過ぎた弊害でしょうか。往々にして訥々とした訳の方が好ましく思えますが如何でしょう。
なお、翻訳文という視点でみると訳文(2)には少し気になるところがあります。「問題を」という書き出しの座りが悪い。そのために「片付けてしまった」の対象が何となくぼやけています。「その問題を」とすればはっきりしますが、原文がa problemになっているからニュアンスがずれます。強いて書くなら「私が2時間も苦しんだ問題があったが、彼女はそれを5分で片付けてしまった」とでもするところかと思いますが、いずれにしても訳文(1)でよいように思われます。

 このブログの執筆も半分を過ぎました。偶に読み返してみると言葉足らずの点が多々あり汗顔の至りです。まあ素人エッセイということでご容赦いただきますが一つだけ補足します。以前、翻訳を行う上で得意分野を定めた方がよいという内容のことを書きましたが、これは特定の分野に凝り固まるのがよいという意味ではありません。不慣れな分野に無暗に手を出すと失敗するということであって自分の経験に基づくものです。翻訳の仕事をやっていく中で得意な分野が少しずつ拡大していくのは自然なことですし、余暇を見つけて興味のある分野の勉強に取り組むのも大変有意義と思います。私もかねてからエネルギー・環境関係の翻訳をやりたいと思っており勉強のために文献を集めています。目下の悩みはそれらの文献を読む時間がないことです。

 

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